元ヤクルト投手の安田猛さんが20日午前2時30分、胃がんのため東京都内の自宅で亡くなっていたことが分かった。73歳だった。現役引退後、スコアラーとして同球団を支えていた安田さんが、野村克也監督のもと挑んだ1995年日本シリーズを振り返った記事を特別に公開します。
1995年日本シリーズ、天才打者イチローを封じない限り日本一はない状況で、野村はいかに策を組み上げたのか。分析を担った名スコアラーが、その全容を語る。
【初出:Sports Graphic Number999号(2020年3月12日発売)「日本一のスコアラーが振り返る イチローを封じた7×9の魔法陣。」/肩書などはすべて当時】
ストライクゾーンは25分割、ボールゾーンも含めれば、スコアラーからバッテリーに指示されるゾーンは63分割されていた。高めのボールゾーンは6、低めのボールゾーンは0。ストライクゾーンの高低は、高めから5、4、3、2、1とナンバーリングされている。内外角はさらに細かく9列に分割されていて、右バッターの内角への明らかなボールゾーンを1、きわどいボールゾーンが2、内角いっぱいのストライクが3、やや内寄りのストライクが4、真ん中が5、やや外寄りは6、外角いっぱいが7、外角へギリギリ外れたボールが8、外角への明らかなボール球を9とする。
つまり右バッターの内角(左バッターの外角)低めいっぱいのストライクは“31”、外角(左バッターの内角)高めのストライクは“75”、真ん中低めのボール球は“50”、真ん中高めのボール球が“56”、ど真ん中は“53”ということになる。

野村から教えられた“2つの鉄則”
野村克也が監督を務めたスワローズで5年間、一軍のピッチングコーチを務めていた安田猛は、1995年には先乗りスコアラーを任される。その年、スワローズはリーグ優勝を果たし、日本シリーズで(オリックス・)ブルーウェーブと対戦することになっていた。
スワローズのスコアラー陣はシリーズを前に、野村からイチローを丸裸にするよう、指令を受ける。シーズン最多安打を達成、2年連続で首位打者を獲得していた22歳になろうかというイチローの膨大なデータを前に、安田は野村から教えられた2つの鉄則を思い起こしていた。
「野村監督はこう言っていたんです。まず『キャッチャーは初球にストライクを取りたいもの、そうすればリードが簡単になる』ということ。そしてもう一つが、バッターには4つのタイプがあるということ。
それは、(1)まっすぐを待って変化球に対応するタイプ、(2)右か左か、打つ方向を決めて打席に入るタイプ、(3)高めか低めかを決めて打つタイプ、(4)球種に山を張る不器用なタイプ、の4つです。イチローは天才型に多いとされている(1)のタイプでした」
安田が導き出した「イチロー対策」
安田はさまざまな形でイチローのデータを集めて分析した。その際、力になったのが“アソボウズ”のデータだ。今でこそピッチャーが投げたボールを一球ごとにマーキングするカラーチャートは珍しくないが、パソコンが普及していなかったこの当時、スコアラーのデータとパソコンによるカラーチャートをマッチングさせるシステムを開発したアソボウズのデータは画期的だった。
いち早くそのデータを入手した野村は、イチローがヒットを打ったコースと凡打に終わったコース、ファウルしたコースと見逃したコース、さらに打ったボールはストレートだったのか、そのスピードは145km以上だったのか、変化球を打ったとしたらどの球種だったか、あるいはどのコースをどの方向へ打っているのかといった傾向を割り出し、イチロー対策をまとめた。安田がその全容を明かす。

「インハイ、つまり65、75はどんなバッターでも打ちにくいに決まっています。でもイチローの場合は145kmを超える速い球ならベースの上の36、46はもちろん、高さ、コースがボール球の26、25のゾーンでもアウトハイの手が伸びそうなところなら振ってくるという傾向がありました」
“低めの変化球”で空振り三振を奪う
野村は日本シリーズが始まる前、マスコミを通じて「イチローを攻めるには内角に始まり内角に終わる」「いかにインハイを攻め切れるか」とイチローを挑発して、インハイを意識させようとしていた。しかしスワローズが振らせようとしていたのはアウトハイのボールゾーンの速い球で、インハイではなかった。
実際、野村の挑発に対してムキになっていたイチローは高めの球を強引に打ちに来る。結果、イチローは第1戦、第5戦に先発したテリー・ブロス、第4戦で先発を務めた川崎憲次郎といったストレートが145kmを超える二人の高めに苦しみ、ポップフライを打ち上げ、空振り三振を喫した。さらに安田がこう続ける。
「もう一つ、速い球のないピッチャーがイチローをどう攻めるかというところで効果的だったのは、外角低めの変化球、内角の速い変化球、内角低めに落ちる球でした。ただし50、60、70という内寄り低めのボールゾーンへ落とす球はイチローには打たれると……イチローはワンバウンドの球を平気でヒットにしていましたから、低めのストライクゾーンへ落としなさいと、野村監督がそう言っていたのを覚えています」
中継ぎだった伊東昭光や、第3戦に先発した吉井理人といった技で勝負するタイプのピッチャーは、イチローに低めの変化球で勝負を挑み、空振り三振を奪う。つまりはこの日本シリーズ、イチローはパワー系のピッチャーが投じるアウトハイのボールゾーンの速い球か、あるいは技巧派タイプのピッチャーが操る内外角いっぱいの低めへの変化球に苦しんだ。
「あれが6戦、7戦までもつれこんでいたら……」
それでもイチローはブロスや川崎のストレートが140kmに満たなければいとも簡単にヒットを放ち、目も身体も慣れてきた第5戦ではブロスの143kmのインハイをライトスタンドへ叩き込む。さらに最後となった打席では145kmのインハイも痛烈なライト前ヒットを放って、意地を見せた。安田が言った。

「イチローは明らかに対応してきていました。第5戦で終わったからよかったんですけど、あれが6戦、7戦までもつれこんでいたら、どうなっていたかわかりません。もしかしたらウチは、イチローにメッタ打ちされてやられていたかもしれませんね」
イチローは「僕に力がなかった」とコメントした。そんなはずがないことをわかっている天国の野村も、今ごろ安田のこの言葉に頷いていることだろう。あの、ニヤリという不敵な笑みを浮かべながら――。
文=石田雄太
photograph by Sankei Shimbun