2017年に現役生活にピリオドを打った伊達公子が、国内の15歳以下の女子を対象としたトップジュニア育成プログラム『伊達公子×YONEX PROJECT 〜Go for the GRAND SLAM』を立ち上げたのは約2年前だった。2019年5月に選考オーディションを行なって最終的に4人を選び、これまでに1泊2日のキャンプを重ねること計8回。先日、最終キャンプをもってプログラムは終了し、記念すべき一期生が“卒業”の日を迎えた。

 ささやかなセレモニーが催され、2年間伊達とともに指導に携わってきたプロのコーチ陣ひとりひとりからエールが送られる。最後にマイクを持った伊達は、「私にとっても初めての試みで難しい部分もあったし、うまく伝えられないこともたくさんあったと思います」と切り出し、あきらめずに夢を持ち続けてほしいと激励し、これからの心構えなどを優しく、厳しく説いたあと、「コートではまた会えると思うので、どこかで会いましょう」と約3分半の挨拶を締めくくった。

©Yuki Suenaga

 個々の成長の跡を確かに感じつつも、コミュニケーションの中身には無念も残る。別れの寂しさ、切なさも当然ある。4人を送り出した直後の感情を一言で表すなら、「複雑」という言葉以外にないようだった。現役時代に自分のテニスと向き合っていたときとは別の迷いや歯痒さがあったことだろう。

16歳女子高生がプロ転向へ「気持ちが固まった」

 それでも4人に与えた影響は大きく、プロ転向を決心する16歳まで現れた。昨年12月、愛媛県松山市で初開催されたITF公認の国際ジュニア大会『リポビタン国際ジュニア』で準優勝した奥脇莉音。4月から高校生プロとして活動していくという。

今回のプログラムに参加し、“プロ転向”を決意したという奥脇莉音さん ©Yuki Suenaga

「プロジェクトに参加していなかったら、こんな決心はできなかったと思います。プロになりたいということは前から言っていたけど、そのために何かしていたかといえば何もしていなかった。正直、今ほどテニスを楽しめていませんでした。1回目のキャンプのときに伊達さんに『もっとテニスを楽しんで』とアドバイスされて、それからどんどん自分のテニスが良くなってきたんです。目の前の課題を一つずつクリアしていくだけでなく、環境を変えたり、そういう大事なことも自分でしっかり考えて行動に移せるようになったのも、伊達さんやコーチたちのおかげです」

 7回目のキャンプで意志を伝えたところ、伊達からは「今のままじゃダメだよ」と強く念を押され、選考の段階からプロジェクトに携わってきた元世界ランク21位の浅越しのぶからはさらに厳しい言葉があったと、奥脇は打ち明ける。しかし、それで逆に気持ちが固まったという負けず嫌いだ。

 奥脇が準優勝した松山の大会もまた、伊達がゼネラル・プロデューサーとして立ち上げたものだった。プロジェクトではまずグランドスラム・ジュニア出場を目標に掲げているが、プロのシステムと同様、そのためには国際大会で勝ってポイントを増やしていかなくてはならない。しかし協会派遣やスポンサー支援の遠征などを除けば、海外の大会を転戦できるのは家庭が経済的に恵まれているごく一部のジュニアに限られる。ならば国内に大会を作るしかない。そして、経験の浅い子供たちにチャンスを広げるためには格の低い大会が望ましい。芽生えたアイデアを短期間で実現させる伊達の行動力はさすがだった。

 コロナ禍の中での開催で出場者は日本選手のみ。そこで準優勝したにすぎず、海外での実績があるわけでもない奥脇の判断が賢明だったのかどうか、答えが出るまでには時間がかかるだろう。プロを輩出することがプロジェクトの使命ではない。だから伊達や浅越も手放しで喜ぶのではなく、むしろその覚悟を問うたのだ。

ジュニアに指導する浅越しのぶさん ©Yuki Suenaga

「日本の女子はいつの時代も強いという未来を作りたい」

 1月に行なったインタビューで、伊達はこう話していた。

「将来の目標としてグランドスラムを掲げてはきましたが、あの子たちがそこまで行くにはまだ長い時間がかかるし、行けるのかどうかもわかりません。ただ、最近のジュニアたちは90年代と比べてもいいものを持っていると思います。テクニックもそうですし、情報が入りやすい時代なので、グランドスラムというものもイメージしやすい。でも、夢は持っていても、今やるべきことの自覚が足りていないのかなと思います。そこを引き上げてあげることができれば」

 夢を持つジュニアたちをサポートしたい、という伊達の思いは真剣だ。しかし、46歳での引退当初からジュニア育成への情熱に燃えていたかというと、そうではない。

「一番にやりたかったことは、日本のテニス環境の整備です。今の日本の女子は大坂なおみ選手の存在が大きいですけど、次に続く若い選手が乏しいことは明白です。私たちがいた90年代といういい時代がありましたが、日本の女子はいつの時代も強いという未来を作りたい。海外にテニス留学をしなくても、日本で育った選手が世界で活躍できるような環境作りをしたいと思ってきました」

世界トップ30に「大坂なおみ以外いない」という現状

 伊達の全盛期は日本女子の全盛期でもあり、1995年の全豪オープンではグランドスラム史上最多の日本女子11人が本戦ドローに名を連ねた。伊達が自己最高の世界4位を初めてマークした同年11月13日付のWTAランキングでは、17位に沢松奈生子、27位に神尾米、40位に長塚京子と続いた。長塚はその数カ月前に自己最高の28位に達しており、前年には遠藤愛が26位をマークした。

 その時代が終わり、次の時代を引っ張った杉山愛も最高時の8位から陰りが見え始めていた頃、伊達は11年以上のブランクを経て現役復帰。2008年、37歳だった。第2次キャリアの最高位は46位だったが、その伊達が日本女子のトップという時期もあった。

 現在は、大坂の次が78位(3月1日付)の日比野菜緒、そして83位の土居美咲と続く。このプロジェクトの選考会を行なった頃には、トップ100に大坂以外誰もいなかった。土居が2016年10月に30位となったのを最後にトップ30には大坂以外にいない。また、世界のトップ100には22歳以下の選手が18人ランクされているが、日本人はおらず、20歳の内藤祐希の186位が最高位である。

世界ランク1位の大坂なおみ ©Getty Images

 ただ、こうした現状だけが伊達を<改革>へ駆り立てたのでもない。そもそも環境整備とは何を意味するのか。第1次キャリアでは得ることのなかった第2次キャリアでの経験の中で、その具体的なアイデアは形作られていった――。

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文=山口奈緒美

photograph by Yuki Suenaga