伊達公子さんが気になる人を招き対談する、『週刊テニスNAVI』(WOWOW)内の「伊達公子のキニナルコト」というコーナーがある。そこで彼女がオファーを出したのが、錦織圭など日本の男子トップ選手を輩出している“盛田正明テニスファンド”の創始者、日本テニス協会名誉顧問の盛田正明氏だった。

テニス界の重鎮であるため、伊達さんも「ダメ元」だったというが、貴重な対談がついに実現。ここではそのさわりや番組に入りきれなかったエピソードを紹介するとともに、対談後に行った伊達さんのインタビューを公開する。(全2回の1回目/#2へ)

 かつて、世界の4位まで上った『世界の伊達公子』が、顔中に笑みを咲かせ「盛田さん」と向き合っていた。

「ぜひ、盛田さんにお話を伺いたかったんです」

 2000年から2011年まで日本テニス協会会長職にも就いた盛田氏の功績は、盛田正明テニスファンド(以下MMTF)の設立でも広く知られているだろう。

 錦織圭を筆頭に西岡良仁ら、現在世界ランキング上位に名を連ねる日本男子のフロントランナーは、いずれもMMTFの支援を受けていた。その優れた育成システムは、どのように生まれ、いかに運営されてきたのか? そして創設の背景にある、盛田氏の情熱や理念とは何なのか?

伊達公子さんと盛田正明さん ©Yuki Suenaga

ソニー退職後に立ち上げた「盛田正明テニスファンド」

 約2年前に、自らもジュニア育成プロジェクトを立ち上げ、今年2月にその一期生を送り出したばかりの伊達は、育成の難しさに直面し、悩み、迷いもしたのだろう。盛田氏に質問を投げかけ、その返答を一言も聞き漏らすまいとばかりに身を乗り出す姿には、日本テニスの未来への切なる願いが溢れていた。

 日本のテニス界を盛り上げたい、世界で戦える選手が出てきて欲しいという切望は、伊達と盛田氏を結ぶ最大の共通項だ。

 学生時代はバレーボールに青春を捧げた盛田氏の、テニスとの出会いはソニーに入社後のこと。始まりは単に、気分転換を兼ねたリクリエーションだった。

 たが、やがて海外出張が増えていくと、欧州を発祥としアメリカで栄えたこの球技が、欧米では格好のコミュニケーションツールにもなると気づく。何よりコートに立ってボールを打てば、仕事の疲れも異国で過ごすストレスも、汗とともに流れ落ちた。

「これは良い! テニスは、頭の薬だ!」

 出張先にラケットを持ち歩き、グランドスラムも現地観戦するようになった盛田氏は、ある頃から、世界で活躍する日本人選手の出現を強く願うようになる。

 その夢を叶えるべく退職後に立ち上げたのが、有望ジュニアを米国のIMGテニスアカデミーに留学させる、盛田正明テニスファンドだ。

「日本では良いテニスをしても、海外でダメになる子もいる」

 そのファンドで支援するジュニアたちを、いかに選定してきたかという伊達の問いに、盛田氏は、「まったく分かりません。私はシステムを作っただけ。選ぶ目はありませんから」と朗らかに即答した。餅は餅屋ではないが、才能あるジュニアの発掘は信頼できるスペシャリストに一任するのが、盛田流の組織運営術。

 ただ、アメリカのアカデミーに送ることに関しては、盛田氏は確固たる選定基準を有し、それを実現するシステムを築いていった。

「日本では良いテニスをしても、海外ではダメになる子もいる。なのでまずIMGアカデミーに2週間送り、テニスだけでなく、アメリカでの暮らしにフィットできるかを見ました。12〜13歳の子供ですから、親御さんが『出しましょう』と言ってくれないと、できることでもない。ですから子供が2週間経って帰ってきたら、親も呼んで話をし、これなら大丈夫と思う子を送るようにしました」

 世界で戦っていくメンタリティを育む――それは盛田氏にとって、テニスの技術を磨くのと等価に重要なことだった。

 だからこそ渡米したジュニアたちは、日本人とではなく、外国人と相部屋にするようにアカデミーにお願いした。だが、MMTF発足から3年ほど経っても、なかなか活躍する選手は出てこない。

「これは、厳しいことも言わないと、本当に良い選手は生まれないな」

 そう感じた盛田氏は、MMTF設立の4年目に入った時、奨学生にノルマを課すことにした。

厳しいノルマを達成したのは「わずか4名」

「かなり厳しいノルマを5つ出し、そのうち2つをクリアすれば翌年も支援を継続します、できなければ日本に帰します、ということにしました。ですから残念ながら、2年、3年で帰した子たちも居ます」

 MMTFの支援は、18歳までと上限を定めている。設立から21年経った現在、MMTFの奨学生としてIMGアカデミーに渡ったジュニアは、30名弱。そのうち、18歳まで毎年ノルマを達成し続けたのは、僅かに4名しかいない。

 その4名こそが、錦織圭、福田創楽、西岡良仁、そして中川直樹。なかでも、錦織と西岡はトップ100入りを果たしている。

錦織圭 ©Getty Images

 目標と現状を突き合わせ、浮かび上がった溝を埋めるべく、MMTFはシステム上の改善を重ねてきた。その成果は、ジュニア育成の成功例として関係者に希望を与え、また錦織らが世界の頂点に挑む姿は、純粋に人々の胸を打つ。その錦織をはじめ、MMTF出身者は盛田氏を「最大の恩人」と敬愛し、多くのテニス関係者も、「日本テニス界発展の最大の功労者」と謝意を示してきた。

 もっとも当の本人は、「ファンドは、自分の夢を実現するために始めただけ。世のため人のためという、崇高な気持ちがあった訳でもないのですが」と、謙遜して手を振る。今でも1〜2週間に一度はコートに立つという盛田氏は、「90歳を超えても、テニスは未だ楽しめますでしょ? そんなスポーツ、他に何がありますか」と、声を上げて快活に笑った。

伊達が迷ってきた「私がしたいと思うことが正しいのか?」

 1時間に及ぶ対談を終えた時、伊達の表情は、どこか晴れやかに見えた。盛田氏の話を聞き、自らの思いも打ち明ける中で、伊達の心に灯った、進むべき先を指す光——。それは、「物事を決めたり考えて行動に移していく時、その動機付けはシンプルでいいんだな」という、普遍的かつ絶対的な真理だったという。

「盛田さんは、自分の信念のようなものを、無駄をそぎ落としシンプルにした上で、行動を起こしてきたんだなと感じました。

 私も選手だった時は、自分のことを考え、自分の意見を通し、自分が勝つためにやるというシンプルな考え方ができたんです。でも今携わっているジュニア育成では、いろいろな人が置かれている状況なども考え、本当にこれでいいのかな、私がしたいと思うことが正しいのかなと考えることが多くなった。

 ただそのような状況下でも、リーダー的な立場の人は決断力が求められる。全員の思いを実現することは難しいので、信念を持って突き進むのが大切なのかなというのは、自分が迷いがちなことが多い中で、改めて感じさせられたことでもありました」

©Yuki Suenaga

ジュニアとはいえ、世界を目指す一人のテニスプレーヤー

 自らのプロジェクトでジュニアたちと接する時、伊達は、「果たして自分の経験や考えを、そのまま伝えていいものか」と自らに問うてきたという。

「私の経験は、世界で戦った中で感じたこと。それを子供たちにダイレクトに言って伝わるのか、子供たちには重すぎるのかなと考えもするんです。でも、いろんな人に相談する中で、何歳だからというのは関係ない。ジュニアとはいえ、世界を目指す一人のテニスプレーヤーなのだから、一人の人間として対等に向き合えば良いのでは、と言われたこともありました」

 そのような逡巡も抱えるなかで、伊達は盛田氏に、背を押してもらいたかったのかもしれない。

 だからこそ濃密な対談を終えた時、彼女は明朗な口調で言った。

「そのうえで、突き進んだらいいのかなと感じました」

(【続きを読む】留学も英才教育もなし…それでも“世界4位になった”伊達公子に聞く「部活から世界に羽ばたくことは可能ですか?」へ)

「週刊テニスNAVI」

公式サイト)https://www.wowow.co.jp/detail/172167

文=内田暁

photograph by Yuki Suenaga