『週刊テニスNAVI』(WOWOW)内の「伊達公子のキニナルコト」というコーナーで実現した伊達さんと盛田正明氏の貴重な対談。そのさわりや番組に入りきれなかったエピソード、対談後の伊達さんへのインタビューなどを紹介する記事の後編です。(全2回の2回目/#1へ)

「まったくの例外。どうしてこういう人が生まれたのか? 私のセオリーにはまらない人です」

 元日本テニス協会会長で、現在も、自ら立ち上げたテニスファンドを通じジュニア育成に尽力する盛田正明氏は、そう言い相好を崩した。

 これまで、錦織圭や西岡良仁らをファンドの奨学生として世界に送り出した盛田氏には、その実績の集合知として、選手育成に一定の法則を見出したとの自負がある。その盛田氏をして、「まったくの例外」であり「私のセオリーにはまらない人」と言わしめた人物とは、かつて世界の4位まで上り、37歳での復帰後もツアー優勝など驚異の戦績を残した、伊達公子である。

海外留学経験もなかった少女が世界へ

 日本女子テニスが隆盛を極めた1990年代、伊達は“純国産選手”のパイオニアだった。

 テニスを始めたのは、6歳の時。きっかけは両親がたしなんでいたためだが、あくまで趣味の領域で、本格的なプレー経験があった訳ではない。その娘である伊達も、テニスの名門・園田学園高校に進学するも、海外留学等の経験はなし。

 そんな少女が、高校卒業と同時に世界に飛び出すと、プロ転向の翌年には全豪オープンベスト16進出の快進撃を見せたのである。そこからは、全米オープンベスト8に、世界ランキングトップ10入りと、彼女が走りぬけた道にはことごとく、「日本人初」のマイルストーンが刻まれた。

 現在のように、どこに居ても家族や友人とつながっていられる時代ではない。世界が今より遥かに大きく、ツアーが孤独な戦場であった30年前に、海外生活の経験もエリート教育の経験もない伊達が成し遂げたことは、世界的に見ても異例だったろう。

伊達公子(1993年撮影) ©Kazuaki Nishiyama

高校の部活動から世界に羽ばたくことは可能か?

 その規格外の元トッププレーヤーが、今、ジュニア育成に乗り出している。

 15歳以下の女子を対象とした、トップジュニア育成プログラム『伊達公子×YONEX PROJECT』を立ち上げたのが、2年前。オーディションの末、第一期生に選ばれたのは4人という、少数精鋭での発進だった。

 自身のジュニア時代の足跡や選手としての経験が、マジョリティではないとの認識は、伊達本人にもあるのだろう。

 現在のテニス界においても、高校の部活動から世界に羽ばたくことは可能か? あるいは、伊達公子の成功は環境が大きかったのかという問いに、伊達は次のように明瞭に答える。

「環境だけではないと思うんですよね。私が部活動を経験したからという理由だけでもないし、今の子が当時の私と同じルートをたどったとしても、同じようになる訳ではない。そこには、(園田学園テニス部監督だった)光國(彰)先生がいたり、光國先生が病気をしたことで小浦(武志)さんとの出会いがあったり。単に『部活動』の一言では語りつくせないものがあるから、今の私が存在するわけで、まったく同じ環境をそのまま誰かに当てはめても、同じ結果になるわけではないと思います。

 それは、時代が違うから無理なのかということでもないでしょう。10人いれば10人の道があり、私の性格もある。同じように光國さんと小浦さんに教わっても同じようになるわけでもないし、出会うタイミングが違えば、また違う展開になるでしょうから」

©Yuki Suenaga

 園田学園の黄金時代を築いた光國氏から、伊達は在学中も「勝たんでええ」「高校時代はダメでもええ」と言われてきたという。当時はその真意を測りかねたが、今では、将来を見越し大きな器を用意してくれていたのだと分かる。

 またコーチの小浦氏は、情報を得にくい時代にも世界にアンテナを張り巡らせ、最先端の高価なトレーニング器具を、伊達のために購入したこともあるという。

 個性的な名伯楽たちとの出会い。そして与えられた情報や指導から、自分に必要な要素を取捨選択する嗅覚と判断力——必ずしもエリートではなかった少女には、それら稀有な資質が備わっていた。

2人が共感する「コーチがずっと同じではダメ」

 コーチということで言えば、前述した盛田氏の「セオリー」に、次のようなものがあるという。

「私のセオリーには、コーチがずっと同じではダメというのがあります。学生でも、小学校では小学生を、高校では高校生を教える先生に習わなくてはいけないのに、テニスではコーチがずっと手放さないでしょ? あれでは強くなれないと、私はかねがね思っているんです」

 その盛田氏のセオリーを裏付ける究極の成功例が、錦織圭だ。

「錦織圭が強くなれたのは、コーチをその時々で替えていったから。彼の場合は、コーチの上にもう一人マネージャーが居て、その人がアレンジしてくれたんです。コーチを替えるたびに、圭はステップアップできた。ただ日本にはその役職がいないので、コーチがずっと抱え込んでしまう。これでは、小学校の先生が大学まで教えているようなものだと感じています」

 この意見に「同感です」とうなずく伊達の言葉に、盛田氏は確信めいた口調で応じた。

「私に言わせれば、伊達さんはそのコーチを自分でお替えになった。そんな人はいませんよ。だから伊達さんは例にならない。普通の選手はそうはできないから、誰かが替えなくてはいけない。そうでなければ、せっかくの才能がそこで止まってしまいます」

 この二人のやり取りに、一つの真理が浮かび上がる。

 盛田氏を「例外」と驚かせる伊達の強さの根幹とは、自らをマネージメントする能力であり、彼女が踏襲してきたセオリーは、その実、盛田氏が導き出したそれと同じなのだ。

「テニスは、コートに入れば判断の連続で、決断の繰り返し。ボールをうまく打ち返せる技術だけでは、強くなれないと私も感じていました」と、伊達は若き日を振り返る。究極的には、進むべき方向を見定め自ら決断を下す力こそが、最も重要な資質なのだろう。

 この真理は恐らくは、自身のプロジェクトを立ち上げ、10代前半の少女たちと向き合うなかで、伊達が改めて実感した育成の精髄でもあるようだ。

世界を目指す上で「教育を受ける時間は必要なのでは」

「教育のなかで大切な『4つのC』があるというのが、私に響いたんです」と伊達は言う。「4C教育」は、米国の教育省がアップル社、マイクロソフト社、その他20の機関および教育専門家たちと連携して提唱したロジック。

 その「4つのC」とは、Creativity(創造性)、Critical thinking(論理的/客観的思考)、Communication(意思疎通)、そしてCollaboration(協力・協調)だ。

「創造することと、自分のアイディアを伝えていくことがコートの中では必要だし、それを判断していく力も大切。どれ一つをとっても、テニスにおいても必要な要素だと思ったので、ジュニアと接するときには、同時にこれらの要素も育てていかなくてはいけないと思いました。かっこいいフォームで打つだけでない部分の大切さを、ジュニアの時から育てていかなくてはと思ったんです」

©Yuki Suenaga

「4つのC」のコンセプトや重要性を身をもって知る伊達は、ジュニア時代の過ごし方についても、次のように語っている。

「最近私が思っているのは、世界のトップ100や50に行ける人は一握りな訳で、そこに行きつけない人の方が多いということ。もちろんベースは、そこへの可能性に懸けて突き進んでほしいのですが、そうはならない可能性の方が高い。その可能性をわざわざ言う訳ではないですが、今の時代の流れでは通信制の高校などに行くことが多いなかで、果たしてそれが良いのか。メリハリをつけて教育を受ける時間は必要なのではという気がします。

 というのも結局は、テニス選手のキャリアは他の職業に比べて短く、その後の方が長い。高校時代は伸びる時期なので、テニスに費やしたいと思うのは当然です。ただ、テニス選手に求められるスキルはたくさんあるなかで、学校の勉強がコートの中にも還元される。学ぶ時間は確保する方がいいと思います」

 一見、例外に見える突出した才能や成功の中から、中核となる普遍性を見いだし次代に伝えることが、教育や育成の本質だろう。その意味で伊達公子は、自身の中から普遍性を取り出し、ジュニアたちに教えようとしているのかもしれない。

「他の選手たちの刺激になれば」と復帰した37歳の時から…

 26歳でファーストキャリアに区切りをつけた伊達が、再びコートに戻ってきたのが37歳の時。その背景には、「同じコートに立つことで、他の選手たちの刺激になれば」という、いわば「強化」への思いがあった。

「それでも何も変わらなかった現実があるなかで、ならば次世代を育てようと、育成にシフトしたんです」と、元世界4位は言う。

 もちろん、一朝一夕で成果が出るものでもないことは、本人も重々承知のうえ。だからこそ「あと何年、育成に携わりそうですか?」との問いに、彼女は満面の笑みで応じた。

「何年くらい? 体があと何年動くか……最近調子が良いんですが、あと10年やったら、60歳ですよ、私! でも、60くらいまでは軽くいきたいところです。最低10年。そうでないと、子供も簡単に育つわけではないので。最低10年くらいは元気で動いていきたいと思っています」

©Yuki Suenaga

(【前編を読む】伊達公子が聞く、錦織圭を輩出した“盛田ファンド”のジュニア育成術「日本では良いテニスをしても、海外でダメになる子もいる」へ)

「週刊テニスNAVI」

公式サイト)https://www.wowow.co.jp/detail/172167

文=内田暁

photograph by Yuki Suenaga