読者各位は阪神タイガースのマスコット、トラッキーの背番号がなぜ「1985」なのかについて説明できるだろうか?

 昭和世代の関西のおじさんなら

「何言うてんねん、1985言うたら阪神が21年ぶりに優勝した年やないか。バース、掛布、岡田が大活躍した年や。そんなことも知らんのか」

 と言いそうだ。実際にはトラッキーが誕生した年なのだが、多くの阪神ファンは「あの1985年を記念している」と思っているだろう。

槙原相手に3連発、セ独走優勝のち西武を下し日本一

 この年、4月17日の阪神甲子園球場での巨人2回戦の7回裏、阪神の3番ランディ・バース、4番掛布雅之、5番岡田彰布が、巨人の槙原寛己から3連続でバックスクリーンに本塁打をたたき込んだのだ。

岡田の本塁打に大喜びのバース©Kyodo News

 筆者はこれをスポーツニュースで見ていたが、10年前の1975年7月19日、阪神甲子園球場で行われたオールスター第1戦を思い出した。この試合では広島の山本浩二と衣笠祥雄がパ・リーグの2投手から2本ずつ計4本のホームランを打った。

 主砲2人の活躍に勢いづいて、広島はこの年創設以来の悲願だったリーグ優勝を飾ったのだ。

 バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発も阪神大攻勢の狼煙ではないか、という印象を持ったのだ。

 果たして、阪神はこの年、2位広島に7差をつけて優勝、その勢いで日本シリーズでも西武を4勝2敗で下し、日本一に輝いた。

 ランディ・バース31歳、掛布雅之30歳、岡田彰布27歳。この3人の強打者の経歴は、全く異なるものだった。

バースは最初「バス」表記だった!?

 バースは1972年、ドラフト7巡目でツインズに入団する。77年にはMLBに昇格するもなかなか目が出ず、チームを転々とする。

アメリカ時代のバース©Getty Images

 1983年に阪神に入団した時点でMLBではわずか9本塁打。阪神でもそれほど大きな期待はしていなかった。「(1976年に40本を打った)ブリーデンくらい打ってくれれば」とファンは思っていたそうだ。

 ちなみに来日を報じたスポーツ紙では「ランディ・バス」だった。球団がのちに登録名を「バース」にした。1年目は35本塁打、打率.288、2年目は27本塁打、打率.326、「迫力はないけど、まあまあやな」とも阪神ファンは言っていた。

 迎えた3年目の1985年も出だしが悪く、「バックスクリーン3連発」の1発は、バースのシーズン初本塁打。その時点で打率はまだ1割台だった。しかしここから爆発的に打ち出してこの年、セ・リーグ初の「外国人選手三冠王」。54本塁打を打って王貞治のNPB記録(当時)に「あと1本」まで迫ったのだ。

小さな大打者・掛布は85年を最後に記録が……

現役時代の掛布©BUNGEISHUNJU

 掛布雅之は1974年習志野高からドラフト6位で阪神に入団。阪神首脳陣の前で入団テストを受けてのドラフト指名であり、全くの無名だった。しかし開幕一軍をつかみ3年目には3割をマーク。豪快な打撃に加え、一塁に糸を引くような送球をする華麗な三塁守備でもファンを魅了した。本塁打王3回、打点王1回、王貞治引退後のセ・リーグで「最強打者」の座を広島の山本浩二と争った。

 しかし小さな体で活躍し続けた勤続疲労もあり、掛布はこの1985年を最後に成績が急落し、3年後の1988年オフに引退している。

「岡田を使え」の声に監督が辞任したことも

 岡田彰布は大阪、北陽高時代に甲子園に出場。早稲田大では2学年上の法政大、江川卓に度々痛打を浴びせるなど屈指の強打者として知られ、1979年のドラフトでは西武、ヤクルト、南海、阪急、近鉄、阪神が競合の末、地元・阪神が指名権を獲得。鳴り物入りで阪神に入団。1年目には「岡田を使え」と言うファンや球団の意向に反発して、ブレイザー監督が辞任する騒ぎを起こした。この年新人王を獲得する。

関西出身の“エリート”だった岡田©BUNGEISHUNJU

 1985年は6シーズン目。1983年に右足を負傷して戦線離脱。翌1984年も故障の影響でフル出場できなかったが、久々に万全のコンディションで開幕を迎えていた。

「まあまあやな」の評価が定まりつつあった外国人打者と、無名から這い上がった看板スラッガー、そしてエリート内野手。キャラが全く違う3人の打者は、この年、記録的な打棒を見せた。

3人の合計本塁打歴代トップ10を並べてみると

<同一チーム3選手のシーズン合計本塁打数トップ10>
1位 1985年/阪神/129本
バース54本、掛布雅之40本、岡田彰布35本

2位 2001年/近鉄/127本
ローズ55本、中村紀洋46本、吉岡雄二26本
2位 2010年/巨人/127本
ラミレス49本、阿部慎之助44本、小笠原道大34本
4位 1950年/松竹/124本
小鶴誠51本、岩本義行39本、大岡虎雄34本
4位 2002年/西武/124本
カブレラ55本、松井稼頭央36本、和田一浩33本
6位 2004年/巨人/119本
ローズ45本、小久保裕紀41本、阿部慎之助33本
7位 2004年/ダイエー/117本
松中信彦44本、ズレータ37本、城島健司36本
8位 1978年/広島/117本
山本浩二44本、ギャレット40本、ライトル33本
9位 1990年/西武/114本
デストラーデ42本、清原和博37本、秋山幸二35本
9位 1968年/巨人/114本
王貞治49本、長嶋茂雄39本、柴田勲26本

 バース、掛布、岡田の3選手が打った129本塁打は、今に至るNPB記録だ。

 この記録は長らくラビットボールと言われる高反発ボールを使用した1950年の松竹ロビンスの数字が圧倒的だったが、阪神はこれを35年ぶりに更新したのだ。

 試合数が増えた21世紀以降、120本を超す記録がいくつか出たが、1985年の阪神の記録はいまだに更新されていない。

1番・真弓の34本塁打もスゴかった

祝勝会で笑顔の真弓(右)や掛布ら©BUNGEISHUNJU

 また1985年の阪神では、この3人だけでなく真弓明信も34本塁打。同じチームで30本塁打を打つ打者が4人揃ったのは7例だけだ。カッコ内は4人の合計本塁打数である。

1978年 広島(147本)
山本浩二44本、ギャレット40本、ライトル33本、衣笠祥雄30本
1984年 中日(132本)
宇野勝37本、谷沢健一34本、モッカ31本、大島康徳30本
1985年 阪神(163本)
バース54本、掛布雅之40本、岡田彰布35本、真弓明信34本

2001年 ダイエー(141本)
小久保裕紀44本、松中信彦36本、城島健司31本、井口資仁30本
2004年 巨人(149本)
ローズ45本、小久保裕紀41本、阿部慎之助33本、高橋由伸30本
2007年 巨人(129本)
高橋由伸35本、阿部慎之助33本、小笠原道大31本、李スンヨプ30本
2010年 巨人 (158本)
ラミレス49本、阿部慎之助44本、小笠原道大34本、坂本勇人31本

 1985年阪神の4人合計の本塁打数163本も史上最多。この年の阪神は、球史に残る豪打でペナントを奪取したのだ。

バース以来いない本塁打王。佐藤輝、大山は?

 それ以降も阪神は2003年、2005年にリーグ優勝を果たしているが、阪神ファンにとって1985年は特別な年だ。圧倒的なパワーで他球団を蹴散らしたシーズンの印象は今も強烈なのだ。

 道頓堀にファンが飛び込んだり、カーネル・サンダースの人形を投げ込んだり、ファンの大騒ぎが顰蹙を買った面もあった。筆者は大阪近郊のベッドタウンに住んでいるが、その駅前にも車から阪神の旗を振り回してクラクションを鳴らすファンが現れて驚いた記憶がある。

 恐らく1985年を契機として、阪神ファンは大きく変貌したのではないか。良くも悪くも、1985年はエポックメイキングな年だったのだ。

.350、54本塁打、134打点のバースは86年にも三冠王に輝いた©BUNGEISHUNJU

 ランディ・バースは翌1986年も打率.389、47本塁打、109打点で三冠王を獲得したが、阪神タイガースの本塁打王はそれ以来、昨年まで34年も出ていない。

 1992年に阪神甲子園球場のラッキーゾーンが撤去されて以降、シーズン40本塁打を打った打者は2005年の金本知憲(40本)、2010年のクレイグ・ブラゼル(47本)の2人だけだ。

サンズも含めて、36年前の再現なるか?

佐藤輝やサンズらを擁する今季は猛虎打線復活の予感がする©Kyodo News

 今季は、大型新人・佐藤輝明がデビューした。横浜スタジアムでは「誰も見たことがない」という右中間への場外本塁打を打った。まだ確実性に欠けるが、昨年、ここ10年では最多の28本塁打を打った大山悠輔、そして「意外にやるやないか」と評判のジェフリー・サンズの3人で、派手な花火を打ち上げてほしいと思っている阪神ファンは多いだろう。

 4月17日の甲子園でのヤクルトとのデーゲームは雨天中止になってしまったが、今後のサトテル、大山、サンズは36年前の再現を演じてみせることができるか。

文=広尾晃

photograph by BUNGEISHUNJU