雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」を紹介します。今回はマリア・シャラポワにまつわる3つの言葉です。

 <名言1>

 私がこうしてみんなに知ってもらえているのは、アメリカに行ったおかげ。ロシアだったら埋もれていたと思う。

(マリア・シャラポワ/Number549号 2002年5月9日発売)

 ◇解説◇

 シベリア生まれの少女が、フロリダのニック・ボロテリー・テニスアカデミーに入門したのは7歳になる前のことだった。当時極めて困難だったアメリカ行きのビザを取得した父ユーリだったが、フロリダに到着したときにユーリの所持金はなんと「700ドル」だけだったという。なおかつ、英語も話せなかったのだ。

「私にも家族にももちろん迷いはあったわ。でも、テニスをする環境は間違いなくアメリカのほうが整っている」

 きっかけはモスクワのキッズイベントでマルチナ・ナブラチロワの目に止まり、アメリカ行きを勧められたことだったが、家族にとっても大きな覚悟を強いられたのは間違いない。しかし、この決断がなければシャラポワの成功はなかっただろう。

 <名言2>

(シャラポワは)自分の力で復帰すべきだと思う。

(アンディ・マリー/Number923号 2017年3月16日発売)

 ◇解説◇

 女子テニス界の象徴的存在だったシャラポワのキャリアが暗転したのは、2016年の全豪オープンのことだった。大会期間中の検査でメルドニウムの陽性反応が出たことにより、ドーピング違反で1年3カ月の出場停止処分を受け、多くのスポンサーが去っていった。そんな彼女が復帰することになったのは、2017年4月のポルシェ・グランプリだった。

 当時シャラポワは1年以上公式戦に出ていないため、ランキングは消滅していた。そのため大会主催者は主催者推薦枠で出場させる意向だと伝えられていたが、これに異を唱えたのがマリーだった。

2014年のエキシビションマッチではともにプレーしたマリー(左)とシャラポワだったが……©Getty Images

 テニス界のみならずスポーツ界全体を揺るがす違反行為で処分を受けたのに、こんなに簡単に復帰していいものか。スター選手なら何をしても許されるのか。誰もが思う疑問だが、マリーが口にすると重みはさらに増したのだ。

「ビッグネームの出場がチケット販売につながると思えば、彼らはそうするだろう」

 マリーはこう皮肉った。

同年代のライバルへの痛烈な敵愾心

 <名言3>

 こんな女の子たちのほとんどは甘やかされたガキだった。

(マリア・シャラポワ/NumberWeb 2018年6月29日配信)

 https://number.bunshun.jp/articles/-/831201

 ◇解説◇

 幼少期のシャラポワが門をたたいたニック・ボロテリー・テニスアカデミーは、錦織圭が鍛錬を積んだ場所としても知られている。しかし、シャラポワは自伝で当時について攻撃的な表現を用いて振り返っている。

「少女たちは世界中からこのアカデミーに来ていた。まあまあ上手な子もいた。かなり上手な子も。優秀な子もいた。でも、大半はさほど上手ではなかった。こうしたプレーヤーたち、アカデミーに真の意味で利益をもたらしている生徒がいたのは、彼らの親が現実に向き合うことができなかったからだ」

2001年ごろのシャラポワ©Getty Images

 シャラポワはアカデミーで友達を作ることは決してなかったという。将来、コート上で戦うかもしれない相手と友好関係を持つ意味はないと考えていたからだ。

 果たして、成功を収めたシャラポワはさらにテニス界で孤独を深めていった。そんな孤高の女王は栄光ののち、前述したドーピング違反、怪我との戦いの末に2020年2月、コートを去ったのだった。

文=NumberWeb編集部

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