NumberWebでは過去に話題になった記事を再公開しています。今回は1990年代の名スプリンターとして名を馳せたサクラバクシンオーについて、全レースで手綱をとった小島太氏の言葉とともに振り返った記事です。(初公開:2017年10月18日、肩書などすべて当時)

 一度だけ、その瞬間に立ち会ったことがある。どのレースだったかはすっかり失念してしまったが、電光掲示板に赤くその4文字が表示されると、場内が一気にどよめき立った。

 レコード。歴代最速。一等賞中の一等賞。あのどよめきは、歴史的瞬間に立ち会えた者だけが味わえる驚きと感動の発露でもあった。

 そして、ふと思った。すべての馬が目指す最高峰の舞台であるGIレースでレコードが生まれた時、そこにどんなストーリーがあったのだろう、と。

 Number937号・競馬特集の「秋競馬最速最強レコード伝説」では、衝撃的なレコードが生まれた5つのレースを取り上げた。その中に、1994年のスプリンターズステークスがある。“JRA史上最速スプリンター”の誉れ高い、サクラバクシンオーのラストレース。主戦騎手だった小島太調教師は、23年前のレースをこう振り返る。

「まだまだ全然走れるよ、もったいないなあ、というのが正直なところだったね」

 引退当時5歳にして21戦11勝。1400m以下のレースに限っては12戦11勝という生粋の短距離王であった。

「初めて乗った時、素質はあるな、とは思ったけど、ここまで大成するとは想像もしなかった」(小島)

小島「豪快なイメージがあるけど、最高の乗り味」

 デビュー当時は「驀進王」の名にそぐわない、華奢で貧相な馬だったという。骨も弱く、'93年4歳春のシーズンは脚部不安のため全休している。しかし、休養明けの4歳秋からバクシンオーは本格化への道をたどる。復帰戦のオータムスプリントSを制すると、アイルランドT(4着)、キャピタルS(1着)をこなし、3歳時に6着で敗れたスプリンターズSでGI初戴冠を果たす。

 それから1年後、バクシンオーは連覇の懸かったスプリンターズSを1分7秒1のレコードタイムで優勝。まさに華々しく花道を飾った。

 21戦すべてに騎乗した小島師は、全盛期のバクシンオーについてこう語る。

「性格が素直だから、何も苦労しなかった。最後の直線に入ったら、あとは馬本来の力が出せるようにしてあげるだけ。見ていると豪快なイメージがあるバクシンオーだけど、実は脚の関節がものすごく柔らかくて、コーナーリングもすごくスムーズ。あの感触を味わえる馬は他になかったね。最高の乗り味だった」

キタサンブラックに流れるバクシンオーの血。

 サクラバクシンオーは引退後、種牡馬となり、ショウナンカンプ(2002年高松宮記念)、グランプリボス('10年朝日杯FS、'11年NHKマイル杯)、ビッグアーサー('16年高松宮記念)など、数々の名馬を世に送り出している。

 20年前、最高の相棒との思い出を感慨深く話す小島師。話題は、サクラバクシンオーを母の父に持つ“あの馬”にも及んだ。

「立派な体格をしていて、フォームもしなやかで、スピードも抜群。キタサンブラックを見ていると、バクシンオーの面影を感じるよ」

 現役最強馬は、史上最強スプリンターの血を確実に受け継いでいるのだ。

文=朴鐘泰

photograph by JRA