2020年から2021年(対象:12月〜3月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト3を発表します。高校スポーツ部門の第1位は、こちら!(初公開日 2021年3月25日)

 まだ春の訪れには少し早い2月下旬。ニットのロングカーディガンは長身には映えるが、見ているだけでも少々肌寒い。

「完全に(洋服を)読み間違えました」

 正面や斜めを向き、カメラに笑顔を向ける。今でこそ、ごく自然なその光景も、“あの頃”は無理だった。狩野舞子はそう言って笑った。

「15歳から21、22歳頃までは完全に暗黒の時代でしたね。暗黒面でダース・ベイダーが出てくるんじゃないか、っていうぐらい(性格が)暗かったです」

 2018年に現役引退。バレーボール選手ではなくなってから間もなく3年が過ぎる今、笑みを浮かべながらも「暗黒」と当時を振り返った。きっかけは高校時代の“春高ポスター事件”だ。

 事件と書けば煽りすぎのように見えるが、決して大げさではない。それほど2006年の春高バレー本大会のポスターは衝撃的だった。

2006年春高バレー(第37回)の大会PRポスター ©︎Fuji tv

高校生では異例の“撮り下ろし”

 右には男子の前年度優勝、深谷高校(埼玉)エースの八子大輔(現JTサンダーズ広島)。左には当時2年だった八王子実践高校の主将でエースの狩野の顔が並ぶ。現役高校生のプレーシーンを使ったものではなく、撮り下ろした写真でつくられた斬新すぎる構図だった。

 しかもそのポスターが本大会よりも前に、東京都大会の予選会場である駒沢屋内球技場の至るところに貼られていた。自身の「顔」が、これから出場をかけて戦う大会の「顔」となっている通常なら考えられないような状況に、狩野は「さすがに困惑した」と笑いながら振り返る。

「びっくりしますよね。しかもこんなにどアップで(笑)。当時は取材や撮影があっても何に載るかはわからないまま受けていたので、ポスター撮影だったこともその日の練習が始まるまで知らなかった。直前の練習でめちゃくちゃ怒られて、微妙な顔で撮影したのはよく覚えています」

中学生の日本代表選出は24年ぶり

 狩野舞子という少女が、世間の注目を浴びたのは2004年。八王子実践中学3年の時だ。

 中田久美以来24年ぶりに中学生での日本代表選出という話題性に加え、当時から身長は180cmを超える逸材。その前年のワールドカップで大旋風を巻き起こした栗原恵と大山加奈のメグカナコンビ、“スーパー女子高生”と人気を集めた木村沙織に続く待望の大型アタッカーの登場にメディアは色めき立った。

 さらに色白の整った顔立ちも相まったことで、狩野は「期待の美少女エース」として実力以上の注目を集めていく。

中学3年時に日本代表に選出された狩野舞子 ©︎AFLO SPORT

 代表合宿中のケガでアテネ五輪への出場はかなわなかったのだが、八王子実践高に入学した時点ですでに狩野の知名度は群を抜いていた。1年時から出場した春高でもエースとして活躍、試合が終われば多くのカメラや記者に囲まれる。

 そんな背景から、2006年の春高でも狩野は紛れもなく大会ナンバーワンの注目選手であり、大会の「顔」だった。

「春高」を盛り上げたい気持ちから

 同時期に大会の運営、さらにはPRを担うフジテレビ事業部のスタッフが一新されたこともあり、「もっと高校生のフレッシュな大会として盛り上げよう」と春高自体も変化を求めていた。その新たな挑戦の第一歩とも言えるのがポスターだった。

「インパクトを考えても、狩野を起用することは必然だった」

 そう振り返るのは、当時のフジテレビ事業部プロデューサーで、後にバレーボールを含むスポーツ局でもプロデューサーを務めた藤山太一郎だ。

「春高は高校生バレーボール選手にとって魅力的な大会で、高校生が主役。そういう新しさ、カッコよさを全面的に打ち出したかったんです。前年までのポスターは試合のスナップ写真がズラっと並ぶ中に『春高』と描かれているだけで見栄えはしない。そんな時に前年度優勝の深谷にスーパースター・八子君が出て来た。これはぜひ、八子君をポスターに使いたい。じゃあ女子はどうするか? と考えた時、知名度、注目度で言えば圧倒的に狩野舞子でした」

 もちろん、「高校生の大会であるにもかかわらず、特定の選手を取り上げるのはどうなのか」と高体連は難色を示す。だが、新たなスターの誕生をアピールしてスポーツ界を盛り上げたいと嘆願を重ねた結果、世代を代表する2人を“高校生バレーボール選手”の象徴とすることに理解を示した。大会名も漢字表記から「HARUKO」とローマ字に変え、完成したのが2人の顔が大きく並んだポスターだった。

春高バレーのイメージソング発表会見に出席する狩野舞子、八子大輔ら  ©︎Sankei Shimbun

「結局、舞子さんだよね」

 狙い通りの出来栄えに、藤山は「大満足だった」と言う。

 では狩野はどうか。

「下馬評ではその年の(八王子)実践が東京では1位だろうと言われていたけれど、まだ出場が決まったわけじゃない。実際、大会直前の合宿で腰を痛めて、毎日注射を打ちながら練習していたのですが、大会の注目選手として扱ってもらう以上、出ないわけにはいかない。ポスターにもしていただいたし、少なからずプレッシャーはありましたね」

 男子は前年に続き、名実共に大会の「顔」となった八子を擁する深谷が連覇を果たす一方で、八王子実践は準々決勝で優勝した東九州龍谷に敗退。しかし試合後、勝利チーム以上に多くのメディアが囲んだのは、狩野だった。

「自分がバリバリやって、引っ張った結果ならいいんです。でも腰が痛くて迷惑しかかけていないし、そもそも大会直前までは別の選手が入ってチームをつくってきたのに、試合になれば私が出る。外された子からすれば『結局、舞子さんだよね』となって当然で、私を気遣って頑張ってくれる仲間もいる。注目されるのはありがたいし、バレーボールを広めるために必要なことだよ、と言われれば今は理解できます。でも当時は嫌でしたね。試合前もカメラがグイグイ近寄ってくるから、集中できない。そっとしておいてよ、という気持ちは常にありました」

©︎Shigeki Yamamoto

「何で私がここにいるの?」

 常に過大評価がつきまとう。「期待」と受け取れば何ともありがたいことではあるが、狩野の性格はそれほどポジティブではなかったという。

「そもそも中学生の時に初めて代表合宿に参加した時も、すぐに外されると思っていたんです。それが18名から15名になってもまだ残っていた。実力不足は自分が一番よくわかっているし、場違い感しかないのに、何で私ここにいるの? って。結局脚のケガで(最終メンバーから)外れて、ホッとしたんですけど学校に戻れば“日本代表の狩野舞子”って色眼鏡で見られる。名前ばかり独り歩きするのが、すごく嫌だし、怖かったです」

 日本代表なのだからこれぐらいできるはず。体育館では嫉妬も含めた視線が集まり、たまの休みに出かければ「あの子、バレーの子だよね」と指を差されるので唯一息をつけるのは実家に戻った時ぐらい。気づけばいつも人目ばかりを気にするようになった。

でっかい身体を小さく折り曲げて

 高校卒業後も、姉の美雪が在籍した久光製薬(現・久光)スプリングスに入団したが、試合に出ずともカメラで追われる生活は変わらず、気になるのは自分のプレー内容よりも周囲の目線。望んだわけではなくとも、自分ばかりが取り上げられることで周囲からは「舞子はいいよね」と言われる始末。それならまだマシで、時には何もしなくても「調子に乗っている」と陰口を叩かれることもあった。

 さらに言えばケガが多い狩野は、念入りにストレッチやダウンに時間をかけなければならない。しかし試合終了後のコートに長く滞在するとカメラに囲まれる時間が増えるため、避けるように早々に切り上げる。

 そうなれば当然、ケガにつながり、悪循環を招く。

「とにかく目立ちたくなかったから、でっかい身体を小さく見えるように折り曲げて(笑)、ファンサービスもしたいけれどやれば“調子に乗っている”と言われるから塩対応もいいところで。当時の先輩と、あの頃の話をするたびに言われるんですよ。『舞子、負のオーラしか出ていなかったよね』って」

久光製薬時代の狩野舞子(2007年) ©︎YUTAKA/AFLO SPORT

 未来のために、華やかなバレーボール界、バレーボール選手の代表としてポスターの「顔」に抜擢される。だが、現実は輝かしい日々とは程遠い、猫背になるほど「目立たぬように」とうつむいた狩野の姿があった。

藤山さんの思い「今だから話せる」

 当時を振り返り、ポスターの仕掛け人でもある藤山は「今だから話せる」と明かす。

「本来チームスポーツである以上、個別の選手を突出して取り上げるのはあまりいい方法ではないかもしれない。でも、短時間で視聴者に伝える術として仕方ない部分もある。

 八子くん、狩野さん、ポスターに登場してもらった2人は僕にとって今も特別な存在であることに変わりはありません。でもだからこそ、本来発揮し得る可能性を潰すぐらい、必要以上に僕らが重いものを背負わせてしまったんじゃないか、という申し訳なさは消えません」

 担ぎ出した側と、担ぎ出された当事者——。

 時を経て、藤山は再びスポーツ局のプロデューサーとしてロンドン五輪を目指すバレーボール日本代表を担当した。同時期に日本代表へ選出された狩野との交流も続き、女子バレーボール代表は銅メダルを獲得し、その歓喜する輪に狩野の姿を見た。

 そこで初めて、藤山は安堵した。

「よくぞここまで来てくれた、と胸を撫で下ろす思いでした」

【後編へ続く】狩野舞子が「変えたい」と思う若い女性選手の環境とは? 男性指導者の「生理」への理解、下着のラインの“ズーム撮影”…

ロンドン五輪で ©︎Asami Enomoto/JMPA

2020-21年 高校スポーツ BEST3

1位:中学生で日本代表、狩野舞子は“期待の美少女エース”のころをなぜ「暗黒時代」と呼ぶのか【衝撃の“春高ポスター事件”】
https://number.bunshun.jp/articles/-/847900

2位:【涙の高校サッカー選手権】1年に正GKを奪われた“J内定3年”の葛藤、「楽しそうにサッカーやるヤツら」への反抗心
https://number.bunshun.jp/articles/-/847901

3位:甲子園でヒジを壊した沖縄水産の“悲劇のエース”大野倫 「ぶっ殺す報道」の真相と恩師・栽監督の言葉とは
https://number.bunshun.jp/articles/-/847902

文=田中夕子

photograph by Shigeki Yamamoto