日々、欧州サッカーとその地でプレーする欧州組のニュースは、この切り口で眺めることにしている。

「キリスト教文化圏の影響」

 なにせデータをたどると、サッカーの世界で「キリスト教文化圏かどうか」は、その競技力や発展に決定的な違いを生んでいるのだ。これまでのW杯全大会でベスト4以上にキリスト教国以外が入ったのはわずか2例しかない(02年のトルコと韓国)。90年の歴史で、それ以外はわずか2なのだ。

 つい先日も、現海外組のトップランナーの一人でもある鎌田大地(アイントラハト・フランクフルト)の興味深い証言を目にした。

「欧州1年目のとき(ベルギーにレンタル移籍する前のフランクフルト在籍時)に、ちょっとヤル気がないみたいに見られがちで、ハセさん(長谷部誠)にも『それだと損するから、やっているようにしっかり見せたほうがいい』とアドバイスされたこともあります」

(参照:https://number.bunshun.jp/articles/-/847847)

フランクフルトで主力の長谷部誠と鎌田大地©Getty Images

 本人は別のインタビューでも「黙して、集中しながらプレーしようとする狙いもある」と言っている。

 日本の感覚からすれば分からなくもない。しかしこの地で長年プレーする長谷部誠からすれば「やめたほうがよい」となる。

ドイツは自己主張の渦巻く世界

 筆者自身も15年前のドイツでのプレー経験(10部だが)から、本当によく分かる。ヨーロッパのピッチ。そこは、壮絶な自己主張の渦巻く世界。常に自分から言葉とテンションを発しながら、時に意見の衝突を厭わない姿勢を見せていくくらいでちょうどよいのだ。自分の特性を以て、社会(チーム)の公益(勝利)に貢献できることを主張しなければならない。これはいま日本で求められる「国際人像」とも重なる。

 黙っていることは「何も考えていないこと」「考えを言葉にする努力を怠っていること」を意味する。つまりは「言うまでもないことは大したことがないこと」ということだ。筆者はドイツ在籍時代、明らかにチームで一番下手っぴな選手が、監督に「俺はやれる。試合に使ってほしい」と顔を真っ赤にして主張する姿を目にした。

 ではなぜ、この「主張」にキリスト教と関係があるのか。そもそもこの宗教は愛を語るものではないのか?

「縦のつながり」か「横のつながり」か

 筆者が大いに注目している点は、キリスト教社会に「先輩・後輩の関係がない」という点だ。これがサッカーのピッチ上のプレーに大きな影響を及ぼしている。

 ドイツ中世史の専門家で阿部謹也先生の名著『「世間」とは何か』によると、キリスト教社会の「個人」は、

「すべてを超越した存在である神と繋がっている。それゆえ、個人に尊厳がある」

 のであり、日本のそれとは根本的な観念が違う。

 神と繋がっている感覚、というのは日本のキリスト教徒に話を聞くと「神に護られている感覚」でもあるらしい。

 この「縦のつながり」が強い。時にチームメイトとの「横のつながり」より強いようにも見えた(このあたりは筆者自身がドイツのピッチで「そうじゃないか」と思った、という体感の話だ)。

個々人は「通じ合わないもの」という前提

 日本・韓国のような「儒教文化圏」よりも相対的に「横のつながり」が弱い分、個々人は「通じ合わないもの」という前提がある。日本文化会議編『西欧の正義 日本の正義』にはこんなくだりがある。

「キリスト教は、少なくとも西ヨーロッパの場合、戦士の宗教として、封建社会に時代的要請を受け、西ヨーロッパ世界全体に力強く展開することができた。一神教すなわち一なる神を求め、信じるということはその対極にある人間全体、人間そのものに対して根底的な不信感を抱くことにほかならない」

 尊厳があるから、上下関係もない。「横のつながり」が弱いから、周囲に厳しく、意見もはっきりと言わなければならない。

 前回は、この連載の中で核となるこういった定義を示した。前出の『「世間」とは何か』『儒教とは何か』などを参考にしたものだ。

 <西洋型=神を崇拝>

 すべてを超越した存在である神と個々人が繋がっている。それゆえ、個人に尊厳がある(縦のつながり)。ゆえに「年齢による上下関係なし」。各個人が「自分の個性を発揮して組織・公益(勝利)に貢献する」チーム。

 <東アジア型=祖先崇拝>

 共同体(農村)のなかで、伝統行事の習わしを知る年配者(先輩)が尊敬された(横のつながり)。ゆえに「年齢による上下関係あり」。各選手が「自己犠牲により組織・公益(勝利)に尽くそうと考える」チーム。

中田英寿、本田、宮本、大黒、松井を見て感じること

 では、こういった点が具体的にピッチでの思想の何に影響を与えるのか。以下もまた、筆者のこれまでの取材と研究に基づく見立てだ。ぜひとも、日本代表のトッププレーヤーの話を聞いていきたい。ちなみにこの連載の定義では、欧州・南米は「キリスト教社会という範疇においてはほぼ同じ」という考えだ。実際に筆者自身、アルゼンチンやブラジルなどでプレー経験のある人と話をしても「同じだよね」と共鳴しあうことが多い。

◆自己主張

 前述の通り。「神と繋がった個人同士」は年齢による上下関係がないから、自己主張も強い。

 幼少期から上下関係もないから、フィジカルコンタクトも厭わない。だからインテンシティが強くなる。身体だけではなく、ぶつかり方を知っているのではないかという仮説がある。筆者はドイツ時代の所属クラブのユースチームで、「8歳が10歳を蹴っ飛ばして泣かす」といった場面をよく見てきた。

 ちなみに日本でもこの「年齢による上下関係」について「変わりたい」という願望はすでに共有されている。

 なぜ、中田英寿と本田圭佑に熱狂する? 日本代表内で年齢に関係なく「自分だけの特長を発揮して勝利に貢献できるのだ」と主張してきたからではないか。中田は先輩を呼び捨て、本田はFKのチャンスに中村俊輔にキッカーを譲ろうとしなかったエピソードが知られる。それはもはや「欧州化した日本人像」なのだ。

2009年の日本代表オランダ遠征©Takuya Sugiyama

◆自己責任

 自分の責任の範疇においては徹底的に任務を遂行するが、それ以外は他に任せきる。この傾向が、日本や韓国よりも強い。

 この点について初めて関心を持ったのが、03年にオランダのPSVで韓国人サイドバックのイ・ヨンピョに話を聞いた時のことだ。

「ここでは、オーバーラップをしたら自分で責任をもって戻れ、ということになっている。そこが難しいですね。韓国ではその後のカバーリングの陣形変化まで戦術として決まっていたので」

 もちろん日本人プレーヤーからも似た声が聞かれる。2013年に宮本恒靖から、オーストリア時代の話を聞いた。監督から「味方ボランチのプレーエリアでターンを許したなら、センターバックが前に出ろ」と指示されたという。宮本は「それでは残りのセンターバックが一人になる」と思ったが、監督の答えは「残った一人は自己責任で守れ」。

宮本恒靖や大黒将志も欧州クラブでの“新鮮な経験”をしている©Mami Yamada

 またフランスでプレーした大黒将志と松井大輔からは「フランスのセンターバックには『抜かれたら個人の責任』という考えが強い」という趣旨のコメントも聞いた。

 筆者自身がドイツでこの点を強く感じたのは、ピッチ外でだった。カフェで、電化製品店で。「担当エリア以外の仕事に、別の担当者が取り組んでくれない」。おかげで散々待たされた。そこにスタッフがいるというのに……。

風間八宏さんに話を聞いて考えたこと

◆専門性

 以前に風間八宏さんに話を聞いた際、後にバイエルン・ミュンヘンやドイツ代表で活躍するオラフ・トーンのユース時代の話をしてくれたことがある。

「彼はもうすでに10代にして、自分がどんな人間で、どんなプレーヤーで、何が特徴なのかはっきりと言い切っていた」

ドイツでのプレー経験のある風間氏©Toshiya Kondo

 また05年にサッカー専門誌で「奥寺康彦−チャ・ボングン対談」の執筆を担当した際、チャ氏からこんな話が出てきた。

「ドイツでは左足の苦手な子には無理して教えないんですよ。『右足のスペシャリストになれ』と教える。それで試合に出ていくことで多少は左足のことも考えるようになる、という発想です」

 ちなみに05年にパク・チソンがマンチェスター・ユナイテッドでデビューを果たした際(チャンピオンズリーグ予備予選)、現地のアナウンサーは「この選手は右利きか左利きかわからない」と口にしたという。

 もっとも近年、フランスのアカデミーのエリート教育などでは「逆足も教える」という流れがあるようだが。

喋らずとも「何者か」を伝えきる鎌田のすごさ

 これら3つの話がキリスト教文化圏の「神と繋がった尊厳のある個」と繋がる。

 本連載は、これを「最新の海外組」などの取材を通じて実証していこうではないかという試みだ。

 ちなみに筆者自身がドイツで試合に出るために考えていたのはこういうことだ。

「俺の左足こそ一番すごい。だから全部俺にボールを出せ」と単語を繋いで言いまくり、雰囲気を発してチームメイトに伝えまくる。

 チャ・ボングン氏のいう「逆足を教えない」というのは本当で、当時の10部のアマチュアリーガーたちはほとんど蹴れなかった。筆者は日本の部活で「両方蹴れるようになれ」と先生に教わり、自分の個性などは考えずそれに従った。だから蹴れたのだ。ちゃんとドイツ語も喋れないし、とにかく「左足でめちゃくちゃ蹴る自分」を伝えまくろうと決めた。

 そう考えると、冒頭の鎌田の姿勢はホントにすごいことだと思う。ハキハキと喋らないで、「自分が何者か」を伝えきるなんて……欧州組に何が起きているのか。この点からも論を展開していきたい。

<第1回も関連記事からご覧になれます>

文=吉崎エイジーニョ

photograph by JMPA