ブラジル柔道男子代表監督を務める日本人女性の藤井裕子さんと夫・陽樹さんの奮闘を以前配信したが、物語には続きがあった。7歳の長男である清竹君が、なんとブラジルフットボールの名門フラメンゴに日本人として初加入したという。久保建英とのエピソードや初練習の“潜入取材”など、全3回にわたってレポートする(#1、#2はこちら)

 午後5時半、私と清竹君はこの日の練習場所へ向かった。フラメンゴの本拠地の正面入口ではなく、脇の入口だ。選手本人と同行者の身元確認があるが、陽樹さんに予め私の名前を連絡しておいてもらったお陰で、すんなり中へ入れた。

 この日の練習が行なわれる屋外のフットサルコートでは、小学生のチームが紅白戦をしていた。日本人の子供が二人おり、その母親が見守っていた。これは月謝を払ってプロコーチの指導を受けるエスコリーニャ(スクール)で、2人のコーチはいずれも女性だった。

 午後6時近くになると、U-7の練習兼入団テストに参加する選手たちがコート脇に集まってきた。

最後の入団テストを受ける親に話を聞いた

 その中に、清竹君の親友で、この日、最後の入団テストを受けるエンゾもいた。彼の父親もいたので、話を聞いた。

練習を見つめるエンゾの父親©Hiroaki Sawada

「息子は、アロウカ(リオ市内の強豪フットサルクラブ)でプレーするかたわら、去年はバスコダガマ(リオの4大クラブの1つ)のU-6でプレーした。ただ、バスコダガマは昨年の3月中旬に下部組織が閉鎖されていた間に指導者を解雇しており、今年はいつになったらU−7が練習を始めるのかわからない。これとは別に、ボタフォゴのU-7からも勧誘されている。

 ただ、私たち一家は皆、フラメンゴ・ファンで、練習環境もフラメンゴが一番いい。今日、入団テストに合格したら、バスコダガマを退団してフラメンゴへ移るつもりだ。

 合格する自信? もちろんあるさ。息子は、これまでの練習でもよくやっていた。すでに合格している選手と比べても全く遜色ない。もうとっくに合格していておかしくないと思う。

 万が一、今日のテストに落ちたら? そんなことはないと思うが、もしそんなことがあっても、息子がプロ選手になる夢を諦めることはない。よそで練習を続けるさ」

 やがて、練習が始まった。父兄(母親もいる)は、コート脇のスタンドに陣取る。

紅白戦が始まると父兄が“もう1人のコーチ”に

 最初はパス回し、ドリブルなどの基本練習。この間、父兄は大きな声で談笑している。練習の邪魔になるのでは、と思うくらいだが、誰も気にしていない。このあたりが、いかにもブラジルらしい。

 ところが――練習の後半になって紅白戦が始まると、父兄が俄然色めき立った。スタンドの席を立ち、コートの外の金網にへばりついて、息子のプレーを食い入るように見詰める。良いプレーをすれば「いいぞ!」と叫び、ミスをすると体をよじって残念がる。

 コーチが「水分を取れ」と叫んで練習が中断されると、息子を手招きして「もっと落ち着いてパスを出せ」とか「思い切ってシュートを打つんだ」などと指示する父兄もいる。それを聞いて、真剣な表情でうなずく息子たち。父兄は、"もう1人のコーチ"なのだった。

気づけば親など関係者が見つめる状況に©Hiroaki Sawada

 しばらく見ていると、チームの概要がわかってきた。

 この日の練習に参加したのは23人で、紅白戦でプレーできるのは10人だから、13人は補欠。監督、コーチが適宜、選手を交代させるのだが、各ポジションの序列に応じてプレー時間を決めている印象を受けた。

センターバック清竹君のプレーぶりは?

 清竹君がプレーするフィクソ(CB)のポジションには、状況判断が的確で相手のパスを頻繁にカットでき、確実にボールをキープして精度の高いパスを出せる選手がおり、当面、彼がレギュラーのようだった。

20日のフットサル練習の様子。大人顔負けの激しいタックルの場面も©Hiroaki Sawada

 清竹君は、最初は相手チームの突破を許したりしていた。しかし途中から落ち着き、相手のパスをインターセプトしたり、縦方向へのパスを通したりしていた。当面の序列は、控えの1番手のようだった。

 言わずもがな選手は皆、できるだけ長くプレーしたい。まだ合格が決まっていない者はなおさらで、他の選手がプレーしているのに気がはやってコートに入り、外へ出された子もいた。

 エンゾもフィクソだが、コートの外で出番を待っている時間が長かった。最初に出たとき、ゴール前で相手のパスをカットしたところまでは良かったのだが、パスが失敗し、それが失点につながってしまった。次に入ったときは、中盤でこぼれ球を拾い、巧みにボールをキープしてから、縦方向へのパスを成功させた。最初の失敗を何が何でも挽回しようという気持ちが、手に取るようにわかった。その後も、懸命にプレーしていた。

 2時間に及んだ練習が終わり、監督とコーチが集まってしばらく話し合う。おそらく、誰を合格させて誰を落とすかを相談しているのだろう。

練習後、フラメンゴのユニフォームを手渡され

 それから監督が「これから名前を呼ぶ子はここに残ってくれ」と伝え、6人の名を呼んだ。

 その中に、エンゾがいた。清竹君は、その他の選手と一緒にコートの外へ出てきた。そして私のところへ来て、「選手とその付き添いの人は、裏の事務所へ集まってくれって」と告げる。

「お疲れ様。頑張ったね」と清竹君をねぎらいながら事務所へ向かうと、選手たちが列を作り、1人ずつ事務所へ入っている。それから、ユニフォーム一式を手に、笑顔で出てきた。父兄から歓声が上がる。今年着用するフラメンゴU−7のユニフォームを手渡されていたのだった。

全身で見るとブカブカのユニフォーム©Hiroaki Sawada

 清竹君も事務所に入り、ユニフォームをもらってきた。弾けるような笑顔。彼にとって、一生忘れられない日になるだろう。本当に羨ましいが、その場に立ち会えて幸運だった。

 U-7のコーチに今後の練習予定を尋ねたところ、「通常は、週にフットサルを3回、フットボールを1回練習して、週末に試合をする。ただ、今はコロナのせいで異常事態なので、状況を見ながら週1、2回程度から徐々に練習の回数を増やしていくことになるだろう」との答えだった。

エンゾら名前を呼ばれた6人はどうなった?

「名前を呼ばれた6人はどうなったのか」と聞くと、「彼らはフットサルの選手枠には入れなかったのだが、週1回程度のフットボールの練習には参加してもらっていい。ただ、その場合、フットサルはフラメンゴと"友好的"なクラブで練習を続けることが条件となる」とのことだった。

"友好的"の意味を問いただすと、「フラメンゴのライバルクラブではないこと」。つまり、エンゾがフラメンゴで多くても週1回のフットボールの練習に参加したければ、ヴァスコダガマやボタフォゴでフットサルの練習をしてはいけないということになる。

カズも15歳からのブラジル挑戦だった

 過去、日本人で最も若くしてブラジルのプロクラブの下部組織に入団したのは、水島武蔵だ。10歳でブラジルへ渡ってサンパウロFCの下部組織に入り、19歳でプロ契約を結んだ。ただし、ブラジルでプロとして華々しい活躍をしたわけではない。

 カズこと三浦知良(現横浜FC)は、静岡学園高校を8カ月で中退して15歳でブラジルへ渡り、19歳になる直前にサントスとプロ契約を結んだ。その後、キンゼ・デ・ジャウー、マツバラ、コリチーバ、サントスなどで活躍し、1990年に帰国して日本のフットボールを大いに盛り上げた。

 橋本幸一も15歳で単身ブラジルへ渡り、キンゼ・デ・ジャウーなどで活躍。名門コリンチャンスにも在籍した経験がある。

10年前後は厳しい競争が待ち続ける

 一方で清竹君は、母・裕子さんが柔道のプロコーチとしてブラジルへ渡った関係で、リオで生まれ育った。フットボールに理解のある父陽樹さんの影響でゼロ歳からボールと戯れ、3歳でフットサルを始め、強豪フットサルクラブを経て、7歳にしてブラジルの超名門クラブの下部組織に加わった。

 これは、水島武蔵の10歳を上回る日本人としての最年少記録である。

 これまでのところ、理想的な道を歩んでいる。ただし、大変なのはこれからだ。

当然、加入できたことがゴールではなく、そこからが競争のスタートとなる©Hiroaki Sawada

 今後、引き続きフットサルで技術を磨きながらフットボールの練習にも参加し、ブラジルの選りすぐりの子供たちと切磋琢磨しながら、プロ選手の道を目指すことになる。プロ契約を結ぶまでに少なくとも10年前後かかるが、実はそこからが本当の勝負で、キャリアを通じて厳しい競争に勝たなければならない。

 陽樹さんは、「本人がプロ選手になりたいと言うので、可能な限り、環境を整えてやっている。ただ、プロ選手にもピンからキリまであり、ブラジル人の親のように何が何でもプロ選手になってほしいと思っているわけでもない。自分が好きなことをやってくれたらそれでいい」と語る。

 裕子さんもこのように語る。

「清竹にも麻椰にも、好きなことをさせたい。サッカーのプロ選手になるためには若くして学業を中断する必要が出てくるのかもしれないが、勉強はいつでもできる。自分がやりたいことができる条件があるときに、それを最大限に生かして頑張ってほしい」

もし「ブラジルに残りたい」と言われたら?

「今後、お二人がブラジルを離れることになったとき、清竹君が『僕はブラジルに残ってプロ選手を目指したい』と言ったらどうしますか」と尋ねたところ、陽樹さんは「本人が望むのであれば」、裕子さんは「こちらに心から信頼できる友人ができたので、彼らに預かってもらうこともできると思う。本人の意思を尊重し、将来の可能性を広げてあげたい」との答えだった。

 4月26日、フラメンゴU-7は今季最初のフットボールの練習を行なった。場所はブラジル海軍のスポーツセンターで、約1時間、2対2、4対4などで汗を流した。清竹君の感想は、「とっても楽しかった」。

 ただし、エンゾの姿はなかった。フラメンゴのU-7入団は叶わなかったが、ボタフォゴのU-7に入ってプロ選手の夢を追い続けるようだ。

 清竹君の、日本人としては前代未聞の挑戦が始まった。今後も、彼が奮闘する姿を追いたいと考えている。

なお、インスタグラム(https://www.instagram.com/kiyotake2014)で、随時、陽樹さんが清竹君の近況を報告している。ご興味がおありの方は、フォローしていただきたい。

<第1回、第2回、記事でご紹介しきれなかった写真も関連記事からご覧になれます>

文=沢田啓明

photograph by Hiroaki Sawada