新型コロナウイルスは、サッカーだけでなくフットサル界にも大きな影響を及ぼしている。2020年9月に開催予定だったW杯が開催延期となり、ブルーノ・ガルシア監督率いる日本代表も仕切り直しとなる中で、フットサル界のレジェンド森岡薫はスペインの地から「42歳でのW杯出場」に執念を燃やしている。そんな彼に、現地スペインで直撃取材。激動のキャリアなど全3回にわたってお届けする(#1、#2はこちら)

「ずーっと名古屋でやっていて、結果も出していたのに。その年の優勝の決勝ゴールを決めたのも自分だし。本当に活躍は変わらずだったんですけど、急にGMから『来季は契約しない』って言われて。頭、真っ白になりました」

 追い打ちをかけるように、直後にはじまったAFCフットサル選手権では準々決勝で伏兵ベトナムにまさかの敗戦。ワールドカップ出場権のかかった5位決定プレーオフでもキルギスタンに足をすくわれ、日本は4大会ぶりにワールドカップ出場を逃してしまう。

「正直、選手としての引退を考えました。初めてですね、本当に辞めようと思ったのは。それくらいダメージが大きかった」

 この時点で37歳を迎えようとしていた。すぐに4年後を見据えることは難しく、目標を見失った森岡は現役引退を考えた。

「辞めていたら後悔していたんだろうな」

 しかし、森岡にはまだ現役を続けるべき理由があった。

「どうしていくべきか家族ともいろいろ話をして、考え直して。多分、辞めていたら後悔していたんだろうな。あそこで引退していたら名古屋の10連覇を阻止できなかったので」

 打倒名古屋。それは不本意な形で退団を強いられた森岡にとって大きなモチベーションとなった。

「ちょうど中国からオファーがあって、名古屋より断然いい額を出してくれた。『もういいや、海外でやるわ』ってなっていたんですけど、その後すぐ日本代表合宿があったせいか、すぐに頭を切り替えられたんですね。それでちょうど名古屋で合宿だったので、GMをホテルに呼び出したんですよ。ちょっと話したいので来てくださいって」

 そこで森岡は、名古屋のGMに向かってこう宣言した。

「僕は来季、日本に残ります。名古屋の10連覇は僕が阻止しますから。またリーグで会いましょう」

「この試合が人生最後の試合でもいい」

 翌2016/17シーズン。Fリーグの強豪ペスカドーラ町田に移籍した森岡は、シーズン王者を決めるプレーオフで有言実行を成し遂げる。

「もうこの試合が自分の人生にとって最後の試合でもいい」

 決死の覚悟で臨んだ名古屋との準決勝。町田はレギュラーシーズンで1分2敗と勝てていなかった宿敵を3-0で破り、Fリーグ発足以来続いてきた絶対王者の覇権に終止符を打った。

2016/17シーズン、町田に所属した森岡©Yohei Osada/AFLO

 この試合で森岡は、渾身の右足シュートをゴールに突き刺している。

「名古屋にはすごくお世話になった。名古屋があったからこそ今の自分があるので、特別な思いはある。ただ自分を戦力外にしたのは若返りを図るみたいな理由で、僕がダメだったとか、結果を出してないとかじゃなかった。だから俺を戦力外にしたことは間違いだったと証明したい。名古屋を辞めてからその時までずっとそう思っていたので、それをぶつけてやりました」

狂った青写真。それでも目指すワールドカップ

 並行して森岡は、ブルーノ・ガルシア新体制となった日本代表でも挑戦を続ける決意を固めた。

 就任直後、ブルーノから呼び出された森岡は『お前はこの先どうしたいんだ?』と問われ、こう答えた。

「フットサルをやっている以上、やっぱり代表を目指したいです。今から4年後は41。ただ2年後のアジアカップは39なので、自分は行けると思っています。やれる自信はあります」

 森岡の意思を確認したブルーノは「分かった。とりあえず2年後のアジアカップまでやってみろ」と言った後、こう付け加えた。

「他の選手と同じことをしていたら、俺は若い選手を選ぶぞ」

 そこからは1年1年が勝負だった。

 完全プロクラブの名古屋とは違い、町田は働きながらプレーしている選手がほとんどで、十分な練習時間も確保できない。名古屋では自身のプレーに集中していれば勝てたが、町田ではそれ以外にも考えるべきことがある。良くも悪くも視野は広がっていった。

「名古屋にいた時は『俺に出せ、俺が試合を決めてやる』っていう感じだったんですけど、町田に行くといろんな角度から物事を見なければいけなくなった。周りを見るようになって、何でうまくいかないんだろう、何でできないんだろうって思うことが多すぎてイラッとしたり、自分のプレーに集中できない部分はあったと思いますね」

 それでも町田での2シーズン目にはFリーグのベストファイブに選ばれた。得点ランキング10位での選出は、生粋の点取り屋だった森岡にプレーの幅が広がりつつあることを意味した。

 だがワールドカップを翌年に控えた2019/20シーズン、再び森岡は「若返り」という言葉に悩まされることになる。

 若手中心のチーム作りを打ち出した監督と考え方が合わず、衝突してしまったのだ。

「僕が目指しているフットサルと監督がやろうとしているフットサルの違いが大きすぎて。監督は若手を育てたいから、なかなか自分が思うような練習内容ができなかった」

 このままでは翌年のワールドカップに招集されないのではないか。そんな危機感を抱いた森岡は、環境を変えることを決意する。

「他の選手たちとの違いを出すためには、強いリーグで戦わなきゃいけない」

 そう考え、いくつかの人脈を当たっていた矢先に届いたのがオパルロからのオファーだった。

 スペインリーグでの経験を武器に、ワールドカップ行きの切符を掴む。森岡が描いていた青写真はしかし、パンデミックという想定外の不可抗力によって大きく狂わされた。

未払い5カ月、アウェー戦では旅費を節約

 昨年7月にオパルロとの契約を延長し、新シーズンに向けてスペインに戻った森岡は、チームを取り巻く状況が大きく変わっていることに気づく。

「いろんなスポンサーが抜けたりして、未払いが5カ月近く続いていて。それを疑問に思う選手、『戦う意味あんのか?』って選手がいる中で、結果も付いてこない。言い訳にはしたくないんですけどね」

コロナ禍で、オパルロを取り巻く現状も厳しいという©Daisuke Nakashima

 元々、資金力に乏しい町クラブだったオパルロの財政はコロナ禍でさらに悪化。旅費を節約するため、アウェー戦はぎりぎりの人数のみ連れて行くような状況が続いている。

 さらには関係者に陽性反応や濃厚接触者が出るたび、試合もトレーニングもできなくなる。ピッチ内外で不安定な状況が続く中、チームは最下位が定位置となり、森岡もシーズン前半は立て続けに怪我に見舞われた。

 2月27日には森岡の獲得に一役買ったエクトル・ソウト監督が辞任。監督交替後も光明は見えず、オパルロは4試合を残して2部降格が決まった。

 自身もいまだノーゴール。これまで常に強豪クラブでプレーしてきた森岡にとって、点を取れないことも、チームが勝てないことも初めての経験である。

「いろんなことをプラスに考えるために、このシーズンを迎えているのかなと思います。いいシーズンではない、全てにおいて。でも、トンネルの先には光があることを信じてやっています。道のりが厳しくなればなるほど、ゴールが近づいてくる。物事をそう見るようにしているんですよね」

「監督は分かっていると思うんです」

 とはいえこのような状況下、現実的に見てワールドカップに招集されるのは難しいのではないか。そんな懸念をほのめかすと、森岡ははっきりとこう返してきた。

「僕はそういうふうには見てはいない。点取ってないし、勝ってもいないからワールドカップは厳しいよねって見られるかもしれないけど、日本とスペインのレベルは一緒じゃないから。監督は分かっていると思うんです。もちろん点も決められて、勝利にも貢献できるに越したことはないので、そこは言い訳なくやっていきたいですけど」

 4月21日、AFCはパンデミックの影響で予選が行えなかったワールドカップにイラン、日本、ウズベキスタンの3カ国がアジア代表として出場することを発表した。並行して日本では16日間に渡る日本代表候補の強化合宿を実施。9月の本大会へ向けた動きが本格化しはじめた。

「もう一度、日の丸を背負いたいんです」

 その傍ら、同月に42歳の誕生日を迎えた森岡は、苦しい状況下でもポジティブな思考を保ちながら、ワールドカップを見据えてスペインでの挑戦を続けている。

「自分の子供は2人ともサッカーをやっているんですけど、2012年はまだ1歳で、もう一人は生まれていなくて、何も分からない状態だった。その子供に『パパもワールドカップ出て欲しい』って言われたんですよね。それが僕にとってはすごく大きい。それに2016年の悔しい気持ちを洗い流すには、ワールドカップに出るしかない。まさかコロナの影響で1年延びるとは思っていなかったですけど、それでも出るって思いは誰よりも強いと思っています」

©Daisuke Nakashima

 泣いても笑っても、今年がラストチャンス。果たして9年ぶりのワールドカップを目指す森岡の思いは実現するのだろうか。

「今はもう、やっていくしかない。もう一度、日の丸を背負いたいんです」

文=工藤拓

photograph by Daisuke Nakashima