中日の根尾昂に待望の初本塁打が出た。5月4日のDeNA戦(バンテリンドーム)で、大貫晋一から右中間スタンドに運んだ一発は、何とグランドスラム。1号が満塁ホームランだったのは、史上87人目だった。

 3年目。105打席。21歳1カ月。遅くはないが、早くもない。というのも、この世代は粒ぞろいで、小園海斗(広島)、山口航輝(ロッテ)、太田椋(オリックス)がすでに4本、根尾と大阪桐蔭高校同学年の藤原恭大(ロッテ)、濱田太貴(ヤクルト)、野村佑希(日本ハム)も3本と若くして才能を輝かせているからだ。

 それでもホームグラウンドのスタンドは総立ち。両親や恩師の談話も添えられるなど、スポーツ紙各紙の扱いも大きかった。以前に筆者は根尾のことを「国民の息子」と書いた。いかにも利発。ちゃらちゃらとは対極の立ち位置は、まさしく「理想の息子」である。

根尾昂という才能に最も早く触れた1人

「私はホームランを生で観たわけではなく、仕事の帰り道にカーラジオで聴いていました。もう鳥肌が立ちましたね。それで家に帰って、今度は映像で確かめて……。もちろん本人にも祝福のラインを送りましたよ。とんでもない数が届いていたはずなのに、即、返信がありました。ああいうところですよね。根尾選手がすばらしいと思うのは」

 ここにも根尾を息子のように慈しむ“父”がいる。厳密には野球用具を介した元担当者と顧客という関係なのだが、その絆は太さだけではなく、長さも余人には及ばない。ゼット株式会社の名古屋支店でリーダーの肩書きをもつ伊藤嘉浩氏だ。地元関係者を除けば、いわば根尾昂という才能に最も早く触れた1人でもある。初めて会ったのは、2012年晩秋と記憶する。根尾は岐阜県飛騨市の河合小6年生だった。

音重鎮さんから「すごい子がいるぞ」と

「ナゴヤ球場の屋内練習場でしたね。根尾選手はドラゴンズジュニアに選ばれていて、監督だった音(重鎮)さんから『すごい子がいるぞ』って教えていただいたんです」

 NPB主催の12球団ジュニアトーナメントを戦うドラゴンズジュニアの一員として、根尾は週末ごとに飛騨市から通っていた。現役時代は勝負強い打撃で鳴らした音が、ゼット社の顧客だったことも幸いした。出会ったころの飛騨の神童に抱いた印象は、実は9年たった今も変わらない。

「受け答えが1人だけ違っていましたね。それとあの目力!」。伊藤氏も愛知県の公立高校で白球を追った元球児だ。音が言った「すごい子」の意味はわかった。ただ、12歳の少年の才能を囲い込み、将来を見越して青田買いするような無節操な付き合いはしなかった。

神童と呼ばれる少年も未来はわからない

 年末の12球団トーナメントを終え、飛騨が本格的な冬を迎えるころ、飛騨市に隣接する高山市のスポーツショップイネの店主と伊藤、根尾父子の4人が喫茶店に集まり、話し合いの場を設けた。

「選ばれたドラゴンズジュニアの中に入っても、光っては見えましたし、すごいとも思いましたよ。でも野球をやっていればケガもある。スキーもやっていたので、そこで骨折することだってあるかもしれない。何より小学生に無償提供するのは明らかに行き過ぎている。そこでイネさんを通じて、用具を買っていただく。その上でしっかりサポートやアドバイスもさせていただきますよとなったんです」

 職業柄、神童や天才と呼ばれる少年は他にも見てきた。すなわち、早熟が必ずしも未来の保証書とはならないことも知っていた。そもそも12歳の少年のサポートを開始すること自体が、30年以上のキャリアをもつ伊藤氏にとっても前例のない特別待遇だった。豊かな才能、企業倫理、そしてビジネス。両親が医師という根尾家もすぐに理解を示してくれ、根尾とゼット、いや伊藤氏との付き合いが始まった。

12歳から変わらず礼儀正しく、目力に秀で、謙虚

 神童は中学生で硬式球を握り、大阪桐蔭で春夏の甲子園を連覇し、4球団競合のドラフト1位でプロに入った。さまざまなサポートは受けつつ、購入していた野球用具も、プロ入り後は「用具提供」という契約形態を取っている。初本塁打を放ったバットは長さ85.5センチ、重さ880グラム。グラブ、スパイク、ウエアもデザインや形状を変えつつも、ゼット社製を使ってきた。しかし、同社には「アドバイザリースタッフ」が現在、千賀滉大(ソフトバンク)など20人いるが、根尾はまだ仲間入りを果たせていない。スター候補といえども、実績を積んでからというわけだ。

 現在の伊藤氏は中日ドラゴンズ担当は後輩に任せ、販売エリアを奔走している。とはいえ根尾のプレーは毎日気になる。12歳から変わらず礼儀正しく、目力に秀で、謙虚。そんな神童を距離感を違えずに成長を支え、見守ってきた。もちろん、この先も。

文=小西斗真

photograph by Kyodo News