長嶋、王、バースから古田、桑田、清原まで……球界を彩った24人のスターたちは「最後の1年」をどう過ごしたのか? 去り際の熱いドラマを描いた『現役引退――プロ野球名選手「最後の1年」』(新潮新書)が発売された。そのなかから、いまやタレントとして大活躍の長嶋一茂の“現役引退”までを紹介する。93年、一茂はヤクルトから巨人へ金銭トレードで移籍してきたが……(全2回の後編/前編へ)。

 帰ってきたミスター、27歳のジュニア、加えてドラフトで引き当てたゴジラ松井という大物ルーキーもいた。93年宮崎キャンプはほとんどパニックのような熱狂を生み出すことになる。日曜午後のオープン戦地上波中継が視聴率20パーセント超えの異常事態。「週刊現代」93年2月6日号では、「松井秀喜vs.長嶋一茂 最後に笑うのはオレだ」という特集が組まれたほどだ。

 オープン戦で2打席連発弾など猛アピールを続けた真新しい背番号36は、ついに「6番レフト」で開幕スタメンを勝ち取る。その後は打撃の調子を落とし、二軍のデーゲームに出場してから一軍のナイターに駆け付けたこともあったが、4月23日には甲子園の阪神戦で左翼席へ移籍後初本塁打。これがセ・リーグ3万号のメモリアルアーチでもあった。「7番サード」で5打数3安打2打点の猛打賞アピール。ベンチではジャイアンツの長嶋監督、いやオヤジが見ている。余計なものなど何もない。ある意味、ガキの頃からの夢がかなった夜だ。興奮のあまり寝付けなかった翌朝、宿舎近くの売店で新聞をすべて買い込んだ。そして、この時がプロ野球選手・長嶋一茂の絶頂だった。

セ・リーグ通算30000号本塁打を放つ巨人・長嶋一茂

30歳で迎えた「最後の1年」

 今年ダメなら終わり。住んでいるマンションの天井が低くて思うように素振りができないため、引っ越しまでした。しかし、リトルリーグ時代に痛めた右肘は限界を迎え、右膝の状態も日常生活に支障が出るレベルまで悪化。9月には渡米してスポーツ医学界の権威、フランク・ジョーブ博士の執刀で手術を受ける。そこからは負傷箇所を騙しながらプロ生活を送る。主な仕事は三塁守備固め兼右の代打。ヤクルト時代と同じく、その素質と人気を見込んでロッテや西武からのトレード打診が報じられたが、父が息子を放出することはなかった。

 この時期、巨人は大型補強時代へと突入。大森剛、吉岡雄二といった二軍のタイトルホルダーでも一軍での出場機会に恵まれず、井上真二はイースタン史上初の通算100本塁打という記録を作っている。特別扱いされる一茂の存在が彼らの成長を阻んでいるという報道があったのも事実だ。結果がすべてのプロ野球。95年は一軍出場なしの崖っぷち。自分なりにあがいて苦しんで、気が付けば30歳。ついにプロ9年目の96年シーズン、長嶋一茂は「最後の1年」を迎えることになる。

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「暴言事件」「パニック障害」……

 原辰徳は前年限りで引退。新助っ人の三塁手ジェフ・マントを獲得するも、開幕から21打席ノーヒットと極度の打撃不振で一茂に出番が回ってくる。本拠地の中日戦で、約1年9カ月ぶりの先発サード起用に横っ飛びの美技で応え、ガルベスの完封勝ちに貢献した。だが、すべてをぶち壊す事件が起きる。5月13日、バント練習を命じた土井正三コーチに対し怒りが爆発。「くだらねえバント練習やらされちゃったよ! 何様のつもりでやってんだ! いらねえ、あんなヤツは!」なんて不満をぶちまけ、翌14日に罰金50万円の処分を課せられる。

 さらに追い打ちをかけるようにその夏、知人宅で神宮の花火大会を見物していたら、体が激しく揺れるような感覚に襲われた。その1週間後、食事中にトイレで倒れ、病院に運び込まれる。医師によると「過呼吸症候群」で自律神経をやられた可能性が高いという。自著『乗るのが怖い 私のパニック障害克服法』(幻冬舎新書)によると、発作の翌朝、川崎のよみうりランドにある二軍練習場に向かおうと、車に乗り込んだ途端に息苦しさを覚える。ヨタヨタと車を降り、歩きながら携帯電話で二軍マネージャーに自分の症状を伝えた。病院で「パニック障害」と診断され、毎朝の練習にも行くことができない。もはや野球どころではなかった。

父から息子に「お前はもう来季の戦力に入ってない」

 逃げるように箱根の山荘にこもり、ひたすら本を読む日々。この年、長嶋巨人は最大11・5差を逆転する“メークドラマ”を成し遂げるが、なんとか野球の結果を知ろうとテレビをつけても10分も見ていられない。

 肘痛を抱えながら、ベンチプレス170キロ、ベンチスクワット300キロを優に挙げ、背筋力は300キロ以上あった。なのに、心がついてこない――。

「残念だけれど、お前はもう来季の戦力に入ってない」

 96年秋、田園調布の実家で、父は自らの口から息子に戦力外を通告した。「わかりました」とだけ答える一茂。夢の終わりは呆気ないものだった。少年時代、父親のところに送られてくる大リーグの16ミリフィルムに衝撃を受け、瞬く間に強肩強打の捕手ジョニー・ベンチのファンになった。すると父・茂雄が子供用のミットからプロテクター、マスクやレガースまで用具一式を買ってくれたという。あまりの嬉しさにそれを全部体につけたまま寝た一茂。夜遅くに帰ってきたミスターは、眠る息子を起こさないよう、笑いながらそれを全部外してやったのだという。

 一茂だけじゃない。茂雄の夢もここで終わったのだ。プロ9年間でわずか通算18本塁打。それでもファンや関係者、多くの人間が未完の大器・長嶋一茂に夢を見た。夢の中で始まり、夢で終わったプロ野球人生が確かにそこにあった。

(【前編を読む】ノムさん「あいつはいうことを聞かん」小5で野球をやめた“2世”長嶋一茂がヤクルトに入り、巨人にトレードされるまで へ)

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文=中溝康隆

photograph by KYODO