今季、8年ぶりの日本球界復帰を果たした東北楽天ゴールデンイーグルスの田中将大。マウンドに立つ彼の帽子の内側には、NPBの選手としては初となる特殊なプロテクターが仕込まれている。

 帽子の右側頭部にはさまれた黒く薄いプロテクターの名は『プロX ヘッドガード・フォー・ピッチャーズ』(以下、プロX)。投手の頭部を強い打球から守るそれは、アメリカのセーファー・スポーツ・テクノロジー(SST)社によって開発された。

 田中がプロXをつけるようになったのは、ヤンキースに所属していた昨年7月4日、打撃練習での投球中、右側頭部にライナーを受けたからだ。マウンドに倒れ込んだ田中は、直後の精密検査で軽度の脳震盪と診断された。

打撃練習中にボールが頭部を直撃し、脳震盪の検査を受ける田中将大(2020年)©︎Getty Images SST社が開発したヘッドガード(右投げ用)。大小のマジックテープ(付属)をアイロンで装着して装着/筆者撮影

 SST社を創業したマット・マイヤー氏が、当時を振り返る。

「あの日、私はフロリダでバカンスを過ごしていて、ヤンキースのチーフトレーナーから“田中用と他の投手用にサンプルを届けてほしい”というメッセージをもらいました。サンプルを送った数日後、彼がプロXの薄さと軽さを気に入ったという報告があり、実戦で使用することを前提に商品を出荷しました。その後、ずっとプロXを着用してマウンドに上がっているわけです」

 アメリカではアスリートの身体を大切にする意識が高く、日本球界で急速に普及した打者のフェイスガード「C-FLAP」もアメリカからもたらされた。

 ただ、C-FLAPのついたヘルメットをかぶり、ヒジや手首、足首などを防具で覆った打者に比べると、プロテクターをつけていない投手は極めて危険な状態にさらされている。

 彼らはボールをリリースした直後、無防備に近い状態になる。そこに強烈なライナーが飛んでくる可能性があるからだ。

 選手の身体能力が向上することで投手の球威は増し、それに比例して打球速度も上がっている。

 今年4月12日、エンゼルスの大谷翔平が7回に放った二塁打の打球速度は、今季メジャー最速となる192キロと報じられた。バットの芯で捉えた打球が、投球速度を超える速さで投手を襲えば、これを避けるのは難しい。

 実際にメジャーの公式戦では打球の直撃によってケガをする投手が、1年にふたりほどいるという。日本人投手では、2002年に石井一久が頭蓋骨を亀裂骨折。2009年には黒田博樹が3週間ほど戦線離脱を余儀なくされた。

打球が直撃し、うずくまるドジャース時代の黒田博樹 ©︎Getty Images

 こうしたリスクに、投手たちも無策だったわけではない。

 2014年、当時パドレスのアレックス・トーレスが打球から頭部を守るために開発された特殊帽をかぶり、マウンドに上がった。だが、緩衝材を内蔵した帽子はあまりにも大きく、投球の邪魔になることもあって浸透しなかった。そのコミカルな外見は、“スーパーマリオ”と揶揄されたものだ。

まるでスーパー・マリオ?と話題を集めたアレックス・トーレスのキャップ ©︎Getty Images

マイヤー氏も経験した“打球直撃”

 SSTのマイヤー氏がプロXを考案したのも、実は自身が投手をやっていて打球が直撃した痛い経験があるからだ。

「14歳のころ、強烈な打球がヒザを直撃し、直後頭部に当たったことがあります。あのときは気を失い、マウンドに倒れ込みました。あのときから、いつか投手用のプロテクターを作りたいと思うようになったのです」

 マイヤー氏は2011年から開発を始め、3年の試行錯誤を経て、プロXの完成にこぎつけた。

「私がもっとも重視したのが、プロテクターをつけているのを忘れるくらいのフィット感。そのために薄さと軽さにこだわりました。強度を上げようとすると、どうしても素材が厚く重いものになってしまう。強さと薄さ、軽さを満たすのは容易ではなく、強度の計算や素材探しに時間がかかりました」

 素材は航空・宇宙分野にも応用されるカーボンファイバーと、防護服にも使用されるケブラー繊維の複合素材に落ち着いた。複合素材の本体と頭部が接する面には、緩衝材となるポリウレタンのパッドがつけられている。

 サイズについても、さまざまなパターンを試してみた。

「私は当初、前頭部から後頭部までカバーしようと考えていました。でもその長さでは、どうしても帽子にフィットしない。そこで原点に立ち返り、どこに打球が当たるか過去の事例を調べることにしました」

 地道なリサーチの結果、後頭部までカバーする必要がないことがわかった。

「右投手なら右前頭部から側頭部にかけて、左投手ならその逆。そこにほぼすべての打球が当たっていたからです」

 この結果を受け、プロXは“19×10センチ”の楕円状に落ち着いた。重さはわずか50グラム。非常に小さく軽いため、「投球に集中できる」という嬉しいメッセージも田中から届いたという。

 プロXは一見、簡単に折れそうな薄さだが、マイヤー氏は強度に絶対の自信を持っている。それは“リブ”というあばら骨状の凹凸を施しているからだ。

「守るべき部分がわかったことでサイズが決まりましたが、表面の形状には悩みました。その中で出てきたのが、我々がリブと呼ぶ形状です。この凹凸があることで衝撃が分散され、割れる心配はまったくありません」

 素材とサイズ、そして形状が決まり、試作品ができあがると、マイヤー氏はひたすらテストを繰り返した。

 プロXをつけたマネキンに、96キロから149キロの硬球を何度もぶつけ、その衝撃を計測。プロXを着用すると、つけないときに比べて衝撃が約50%低減するというデータが得られた。

開発の経緯を教えてくれたマット・マイヤー氏

7年もの時間を費やした普及活動

 こうして14年、晴れてプロXが市場に出ることになったが、決して大きな反響があったわけではないという。

「この商品を初めて見た人の多くは、“これはなんだ?”と首をかしげていました。無理もありません。過去になかった商品ですから。その後の7年間は、“なぜプロXが必要なのか”を伝えることに費やされたといっても過言ではありません。というのも大ケガが起きない限り、プロXの重要性が認識されることはないですからね。しかもこの2年はコロナ禍で多くの球団が緊縮財政を強いられているので、新しい道具を購入する余裕はないのです」

 それでもプロXは“見えないところで”、徐々にユーザーを増やしている。

「15年に初めてメジャーリーガーが着用し、以来15人ほどの投手が使っています。興味深いのは、そのほとんどが自身かチームメイトが打球の直撃を受けた経験の持ち主です」

 プロXユーザーには、ブルージェイズのロビー・レイ、ツインズのマット・シューメイカー、カージナルスのダニエル・ポンセ・デ・レオン、レイズのコリン・マクヒューといった実力者の名が並ぶ。

 田中の着用が報じられると、NPB球団からも問い合わせがあったという。

 ユーザーはプロ選手ばかりではない。アマチュアでも徐々に認知されており、アメリカの少年野球で打球を受けた投手が、プロXをつけていたことで傷ひとつ負わなかったケースもあったという。

「打球が直撃しても倒れなかったので、アンパイアが驚き、保護者の方にたいへん感謝されました」

 フィジカル能力の向上によって、投手が危険にさらされている野球界。“見えない保険”プロXが、投手にとってマストアイテムになる日も遠くはないのかもしれない。

文=熊崎敬

photograph by Sankei Shimbun