20世紀末から21世紀初頭のリバプールを率いたジェラール・ウリエがこの世を去って約半年が経つ。信頼関係を築いたフランス人記者が、マイケル・オーウェンとジェイミー・キャラガーというリバプールの2大レジェンドに独占取材。恩師への思いを語ってくれた<翻訳:山中忍/全2回>

 昨年の12月14日に届いた、ジェラール・ウリエ他界の悲報。故人を偲ぶインタビューを担当することになった私が、最初に話を聞いた元リバプール選手の1人にジェイミー・キャラガーがいる。

 地元のクラブに現役生活のすべてを捧げた元DFは、自身にも多大な影響を与えたという恩師への思いを熱く語ってくれた。

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あそこまで仕事に打ち込む監督を他に知らない

 ジェラールは、この先も世界中でサッカーに携わる人々の心の中に生き続けるさ。あの情熱と優しさに触れれば、誰だって惹きつけられる。

 UEFAにも関わっていて、傘下にアメリカやヨーロッパのクラブを持つレッドブル社でもサッカー関連の要職に就いていただろう? レッドブル・ザルツブルクでプレーしていたサディオ・マネやナビ・ケイタがいるから、現在のリバプールにも通じていた。

 普段、『フットボール・マン』という言葉が軽く使われすぎているように感じるけど、ジェラールの場合は特別。本当に相応しい。サッカーのために生きているような人だった。監督としてだけじゃない。フランスのサッカー協会でテクニカル・ディレクターを務めていたこともあれば、UEFA技術委員会で仕事をしていたこともあったように、常にサッカーの世界に身を置いていた。それも単なる識者としてではなく、サッカーに惚れ込んでいる人間として。その愛情は、どの国の、どの職場でも感じ取れたと思う。

 あそこまで仕事に打ち込む監督を、俺は他に知らない。

 どんな些細な点も見逃さずにこだわる。熱血監督とは言えないけど、“熱中監督”かな。1日中サッカーを観て、サッカーの話をしていたい。そんな感じだった。

 実際は、かなり辛い仕事だったはずなんだ。まず当時のリバプールには、外国人を監督として素直に受け入れる土壌がなかった。今では珍しくも何ともないけれど、ジェラール以前の監督は1人残らずイギリス人だったから、就任には批判の声もあった。

 世間は、外国人路線になびいただの、伝統の“ブート・ルーム文化”(スパイク保管用の小部屋がコーチ陣の非公式会議室になった、名将シャンクリー時代以来続いていた)を捨てただのと言われていたからな。

 しかも、ジェラールが就任した当時のリバプールは昔のように国内外で優勝が当たり前と言われるような状態じゃなかった。少なくとも就任前の5、6年間は、間違いなく勝者のメンタリティを忘れかけていた。

 そんなチームだったから、新監督が変化させないといけない点が山ほどあったはずだ。ちょうど、サッカー界自体が新しい時代に入りかけていた時期でもあった。スポーツサイエンスやスポーツ栄養学の導入とか、練習施設の近代化とか。リバプールの場合つい最近(昨年11月)新しいトレーニングセンターに移ったばかりだけど、構想を立ち上げたのはジェラールだった。

改善の必要性をクラブに訴え、実際に変えていった

 誰よりも、リバプールを21世紀に導こうと情熱を注いでいたよ。就任当初クラブの練習環境を目の当たりにして、世界的な強豪レベルにまったく及ばないと痛感したのだろう。ジェラールは改善の必要性をクラブに訴えて、実際に変えていったんだ。

 俺に言わせれば、ジェラールの監督就任がリバプール復興の始まりだ。

 90年代は無冠ではなかったが、成功という言葉は使えない。彼の下で、再びヨーロッパの強豪と呼ばれるに相応しい姿を見せ始めることができたんだ。国内外でトロフィーを獲得して、大陸側の名だたる敵地に乗り込んで結果も残した。ローマでの勝利(2001年2月UEFAカップ、2−0)や、バルセロナでのスコアレスドロー(01年4月UEFAカップ準決勝、0−0)。UEFAカップとスーパーカップでタイトルを手にし、ヨーロッパ最高峰の戦いにも初めて参戦した(いずれも01年)。

ウリエの就任で復活を遂げたリバプール。2001年には3冠を達成した©Getty Images

 ラファエル・ベニテス時代に成し遂げた2005年のチャンピオンズリーグ優勝にしても、チームの核はジェラールの時代に出来上がっていた。監督交代後のチームには当時の主力が5、6名残っていた。

 21世紀最初の10年間には成功という言葉が当てはまるし、すべてジェラールの就任がきっかけだ。監督として背負った任務の中でも、リバプールを国内外で優勝候補として復活させること以上の困難とプレッシャーを伴う仕事はなかったと思う。試合数の多さにも耐えられるだけの総合的な戦力と体力、そして精神力を備えたチームに作り変えること。その大仕事をジェラールはやってのけたんだ。

教員としてやって来たこの町でファンに混じって試合観戦

“完パケ”と言える指揮官だった。よく、あの監督は優れたマン・マネージャーだとか、この監督は純粋なコーチ風だとか言われるけど、ジェラールはすべてを持ち合わせていたと思う。

 特に、指導者としての豊かな知識には敬服させられたよ。自分を含めて当時の若手は、そんな監督が頷いてくれるようなプレーをしようと練習から必死だった。一見シリアスに見えるから、初めは厳しい先生が担任になった生徒のような気分で緊張したし(苦笑)。

 それが、実際に接してみたら優しい言葉もかけてくれるし、凄く人間味のある監督でね。選手自身はもちろん、選手の家族に対しても思いやりがある。監督である以前に人として尊敬できる人物だったから、チームを束ねて成功に導くことができたのだろう。

 ジェラールの指導を受けていなかったら、自分がリバプールの選手のまま現役を終えることは難しかったと思う。たぶん、無理だっただろうな。

 練習への取り組み方や体のメンテナンス方法、それらの大切さを教えてくれたのもジェラールだった。だから、選手として成長するだけじゃなく、最後までトップレベルで現役生活を続けることができたと思っている。

 リバプールヘの愛着は本当に強かった。若い頃、教員としてやって来たこの町で市民の姿に触れて、ファンに混じって試合を観ていた過去があるから、リバプールの何たるかが“分かる人間”だったんだ。

試合中のベンチで胸に痛みを覚えて緊急手術を受けることに

 監督としても地元との結び付きを大切にしていた。往年の生え抜き選手だったフィル・トンプソンや、サミー・リーをチームスタッフに迎えたこともそう。そういったあたりも、本当にイケてたねぇ。ジェラールがリバプールの人々にどれだけ敬愛されているかが、祖国のフランスでも理解されているといいんだけどな。

 またサッカーに対する情熱は、彼自身が惹かれたリバプール市民にも負けていなかった。ジェラールほどサッカーにぞっこんの人物には、いまだにお目にかかれない。本当さ。

リバプール初のフランス人監督はファンからも愛される存在だった©Getty Images

 監督時代は、きっと寝ても覚めてもチームのことが頭から離れなかったと思う。それが、心臓に負担をかけてしまった一因だったんじゃないかという気もしている。ずいぶん前のことになるが、試合中のベンチで胸に痛みを覚えて緊急手術を受けることになった、あのアンフィールドでのリーズ戦(2001年10月13日)のことは忘れられない。リバプールを再び国内外の頂点に立たせたい一心で、それこそ不眠不休でハードワークを重ねたことでああなってしまったんじゃないか……そう思えてならない。

 リバプールとの絆は、クラブを去った後も弱まらなかった。アストンビラの監督としてアンフィールドに戻って来た時も(2010年12月)、会見に臨む姿を見て、リバプールの監督をしているような錯覚を覚えたよ。

 ある意味、ジェラールが完全にクラブを離れたことは1度もなかった。

 プライベートで連絡を取り合っていた選手も多い。俺やスティーヴィー(・ジェラード)のようにね。後任になったラファにも、就任当初は舞台裏で力を貸していた。退任直後のEURO2004中には、試合会場でスティーヴィーの家族にラファを紹介していたよ。自分から監督の仕事を奪った男にだ! そういう人なんだよ。監督ではなくなっても、リバプールのためを思っていてくれた。

クラブを追われた監督が退任を求めた張本人と並んで会見

 退任発表会見もよく覚えている。リック・パリー(当時のCEO)も同席していたんだが、あんな退任発表は見たことがない。今後も、あり得ないと思う。クラブを追われた監督が、退任を求めた張本人と並んで会見に臨むなんて……。品格と威厳を感じさせた2人の様子を見ながら、サポーターの1人として誇りを覚えたね。

 リバプールの勝利を願う気持ちが変わることはなく、試合を観に戻って来たいと言っていたジェラールは、退任後の行動も発言通りだった。

 あの優しい笑顔が懐かしいよ。一緒に思い出される、お馴染みの赤いマフラーも!

 思い出の出来事は、(11時間に及ぶ)心臓の大手術で一命を取り留めた後、初めてアンフィールドのベンチに戻って来た日のことになるな(2002年3月19日、CLローマ戦)。ベンチに監督の姿がない試合が5カ月ほど続いていたが、いきなりジェラールが目の前に現れた。俺たち選手には知らされていなかったんだ。それが、試合の2、3時間前に突然。びっくりするやら、興奮するやらで、みんな『ジェラールが戻って来た!』って大騒ぎさ。

 キックオフの前にトンネルから姿を見せると、相手の監督だったファビオ・カペッロとがっちりハグを交わして、スタンドからは大歓声が沸き起こった。最終的に2−0で勝利を収めて、準々決勝進出を決めた。

 あの一戦は、俺のリバプール・キャリア最高のハイライトの1つでもある。その中心に、ジェラールがいてくれた。俺にとっては一生の思い出さ。

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文=フィリップ・オクレール

photograph by Getty Images