男子100m・山縣亮太の日本新記録に沸いた布勢スプリント(鳥取)で、もう1つ、密かに注目を浴びていたのが女子100mの福島千里(セイコー)のレースだった。

 福島といえば、女子100m、200mの日本記録保持者で、長年、日本女子スプリント界を引っ張ってきた存在だ。オリンピックには、北京、ロンドン、リオデジャネイロと3大会連続で日本代表として出場。2012年のロンドン大会には、1964年東京大会以来となる女子4×100mリレーでの五輪出場の大きな力となった。

 しかし、近年はアキレス腱炎などのケガに苦しみ、なかなか結果を残せていない。自身がもつ100mの日本記録は11秒21だが、2019年のアジア選手権以降は12秒さえも切れないレースが続いていた。日本選手権では100mで7連覇を含む通算8度の優勝を誇るが、2020年はその舞台に立つ権利をも手にすることができなかった。つまり、もし東京オリンピックが昨年に開催されていたら、その時点で福島の4大会連続出場は完全に断たれていたということだ。

五輪選考をかけたがけっぷちのラストチャンス

 現在は日本陸連強化委員会ディレクターでもある山崎一彦氏の指導を受けているが、昨年11月からは男子マラソン代表の大迫傑のトレーナーも務める五味宏生氏にリハビリやフィジカルトレーニングの指導を受け、復活に備えてきた。そして、今シーズン初戦の3月27日の順天堂大学競技会では11秒86(+1.2m)と復調の兆しを見せていた。しかし、それでも、東京オリンピックへの関門となる日本選手権の申込資格記録11秒84にはわずかに届かなかった。

 その後も、4月29日の織田記念を左太腿の肉離れで欠場するなどケガもあり、記録を伸ばせず、日本選手権の申込資格記録の有効期間の2021年5月31日までにクリアできなかった。日本グランプリシリーズでの記録も認められるため、その1戦である6月6日の布勢スプリントが、事実上、日本選手権に出場するためのラストチャンスだった。福島は、まさにがけっぷちに立たされていた。

追い風をも味方につけた福島千里の走りは

 この日の福島は、予選から逆境を撥ね除ける走りを見せた。予選では11秒82(+2.0m)と申込資格記録をさっそく突破。さらに、B決勝では11秒78(+1.6m)に記録を伸ばした。今年の日本選手権からはターゲットナンバー制が導入され、出場枠の目安が設けられており、女子100mは“40”となっている。11秒82のままでは日本選手権の出場が認められない恐れもあったが、記録を11秒78に伸ばしたことで、(あくまでも筆者の手元の集計だが)おそらくは出場枠内にも入り込んできただろう。

 実は、布勢スプリントが行われた鳥取市にあるヤマタスポーツパーク陸上競技場(旧名称・鳥取県立布勢総合運動公園陸上競技場)は、追い風が吹く競技場として知られている。

 風速2.0mよりも強い追い風が吹くと公認タイムにはならないため、2004年のアテネ五輪前に日本選手権が開催された際には、追い風を和らげるために開閉式のフェンスが設置されていた。

 福島自身、この競技場で、2009年には1日に2度も日本記録を更新。2011年には追い風参考記録を含む日本最速タイムの11秒16(+3.4m)をマークしており、相性は良い。

 とはいえ、この日も予選2組目が+2.3mの追い風だったように、風が公認の範囲内で収まるかは紙一重の状況だった。福島が走った際は、予選+2.0m、B決勝+1.6mとまさに絶好のコンディション。追い風をも味方に付けたといえる。

依然として五輪出場は厳しい状況

 しかし、「首の皮一枚つながった感じ」と福島自身が口にしたように、まだまだ五輪選考の入り口に立っただけに過ぎない。100mで東京オリンピックに出場するには、日本選手権で3位以内に入るのは当然として、自身の日本記録を上回る11秒15の参加標準記録を突破しなければならない。依然として、現実的にはオリンピック出場が厳しい状況であることに変わりはない。

 ただ、5月の世界リレーで女子4×100mリレーの日本代表は4位に入り五輪出場権をつかんでおり、リレーメンバーの一員として4大会連続のオリンピック出場という道も残されている。メンバーは、リレーの特性のほか、日本選手権の成績も考慮して選考されるため、日本選手権で上位に入れば、福島が選ばれる可能性もあるだろう。

 だが、世界リレーのメンバーを中心に若い選手が力を付けてきており、これもまた決して簡単なことではない。

30代で活躍するわずかな陸上選手のひとりとして

 福島は、日本選手権の最終日の6月27日に33歳になる。

 かつて福島のライバルだった高橋萌木子も昨年に引退。日本女子スプリント界で30代で第一線で活躍する選手は、福島を含め、市川華菜、和田麻希や大石沙也加ら少数しかいない。

 現在の日本ランキング上位は大学生ら若い選手が占めているが、30代の福島にはまだまだやれることを見せてほしい。現に、布勢スプリントの前日には、ジャマイカのシェリー=アン・フレーザー=プライスが、34歳にして世界歴代2位となる10秒63(+1.6m)をマークして見せた。日本でも、2001年に二瓶秀子が30歳で当時の日本新記録を樹立した例がある。福島も、昨年までの不調を思えば今再び上り調子にあり、日本選手権では一矢報いる走りを期待したい。

 日本の陸上女子選手でオリンピック4大会連続出場は、長距離では福士加代子がいる。福島がもし今夏の東京大会に出場すれば、福士に並ぶことになる。女子短距離ではもちろん単独で最多記録だ。願わくは、7月にオリンピックスタジアムを駆ける福島の姿が見たい。

文=和田悟志

photograph by Kiichi Matsumoto