今から9年前、EURO2012ウクライナ・ポーランド大会で、イタリア代表が見せた快進撃を記憶している読者も多いのではないか。

 チェーザレ・プランデッリ監督率いるアズーリの中核選手の1人として大会に臨んだMFリッカルド・モントリーボは、決勝戦を含む4試合に出場して1アシストを記録している。

 キエフでの決勝戦で、1968年大会以来となる栄冠に挑んだイタリアだったが、当時無敵を誇ったスペインの前に夢は無残に砕け散った。

 ロシアW杯予選敗退の痛みを語った1回目に続き、あのときの苦渋とアズーリの秘話を明かすモントリーボ独占インタビューの2回目。アズーリ・ファン必読です。
(翻訳&構成 弓削高志)

最良の思い出は2012年大会、でもスペイン戦は

――それでは、貴方自身のイタリア代表時代の話を聞かせて下さい。プランデッリ監督の寵児とも言われた貴方は、EURO2012ウクライナ・ポーランド大会で中心選手の1人として活躍しました。同大会での準優勝が代表キャリアのピークと言えるでしょうか?

モントリーボ そうだね。2007年の秋に(当時のロベルト・)ドナドーニ監督から初めてA代表に呼んでもらって以来10年間、5人の監督の指導を受ける機会に恵まれた。中でもプランデッリ監督には可愛がってもらったし、僕が代表で最もうまくやれていたのも彼がアズーリを率いていた頃だ。

 君の言う通り、僕の代表での最良の思い出はやはり2012年大会と言えるだろうね。あのときのチームは予選のときから歯車が噛み合っていたし、本大会でも1試合ごとに自信を深めながら勝ち上がっていった。そして、あの"最悪の結末"を迎えたんだ。

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 決勝戦でスペインに屈した0−4の大敗は、誰にとっても忘れられるものじゃない。一言言わせてもらえるなら、失点の3点目と4点目はうちが1人少ない状態で食らったものだ(※57分、先発したモントリーボと交代したMFチアゴ・モッタが、出場からわずか3分で肉離れをおこし負傷退場。交代枠を使い切っていたイタリアは、残り30分以上を10人で戦わざるを得なくなった)。

 とはいえ、残念だけど歴史に刻まれるのは4失点大敗という惨めな結果なんだ。

当時のスペインはとんでもないドリームチーム

――改めて、あの悲劇的なファイナルをふり返ってもらえますか。

モントリーボ 当時のスペインは、とんでもないチームだった。まさにドリームチームさ。彼らは、夢のような中盤を軸にした黄金時代の絶頂期にいた。前半で2点を先行されて、こっちは浮足立ってしまった。休養日が1日少なく、絆創膏だらけ(=満身創痍)だったイタリアに比べ、スペインのフィジカルコンデイションは万全だったからね。後半に入って、何とかゲームを盛り返そうとしたんだけど(モッタの負傷退場によって)10人になってしまった。

 僕らが対戦した2012年大会のスペインは、代表史上最強のチームだ。僕に言わせれば、南アフリカW杯で世界王者になった2010年のチームよりも強いと思うね。

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ドイツ、イングランド戦は最高の思い出だ

――しかし、大会を通して見せたイタリアの戦いは胸のすくものでした。初戦でスペインと1−1で引き分け、クロアチアとの2戦目もしぶとく1−1、3戦目のアイルランド戦で2発快勝の決勝トーナメント進出。イングランドとの準々決勝をPK戦で制して、2年後にブラジルW杯を制するドイツを準決勝で見事に破りました。2012年大会におけるイタリアのベストゲームを選ぶとすれば?

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モントリーボ 思い出として最高なのは、2−1で勝ったドイツとのセミファイナルだね(※先発したモントリーボは、36分にFWマリオ・バロテッリの2点目をアシスト。さらにドイツ国籍の母親を持つモントリーボにとって、ことさら思い入れのある試合だったことは想像に難くない)。ただプレー内容で言うなら、ベストゲームと言えるのは準々決勝のイングランド戦だと思う。

 決着こそPKにもつれこんだけれど、数多くの決定機を作り、試合を完全に支配することができた。決勝トーナメントに入っても僕たちに対する下馬評は低くて、どの国からも『イタリアは怖くない』と思われていた。だから、イングランドやドイツに勝ったときはしてやったりという感じで、余計に嬉しかったね。

――当時のアズーリには、大会ベストイレブンにも選ばれた天才アンドレア・ピルロ(前ユベントス監督)をはじめ、問題児アントニオ・カッサーノ、悪童バロテッリ、そして鉄壁の守備を誇ったBBC(アンドレア・バルザーリ、レオナルド・ボヌッチ、ジョルジョ・キエッリーニ)など個性豊かな選手が揃っていました。大会期間中の興味深いエピソードがあれば教えてください。

超アグレッシブな“ピンポン武闘会”

モントリーボ 合宿中に、代表選手全員でピンポン大会をやったんだよ。言い出しっぺが誰だったかは覚えてないけど、いざゲームが始まったら全員の怒声飛び交う本気モードさ。皆、負けず嫌いだから。単なる気分転換のはずが、超アグレッシブな"ピンポン武闘会"とでも呼ぶべき真剣勝負に様変わりしたんだ。

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 連日連夜あまりにも白熱しすぎて、チームの中が徐々にギクシャクし始めたものだから、プランデッリ監督も察知したんだろうね。監督から「ピンポン禁止令」が出たよ(笑)。ふり返れば、いったい何やってたんだと思うけど、ああいう馬鹿なことがチームの結束を固めるのに一役買ったんだよ。

――ピンポン大会で一番上手かったのは?

モントリーボ バロテッリ。あいつは本当に強かった!

(第3回に続く。関連記事からもご覧になれます)

文=マルコ・パソット

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