1人、また1人とグラウンドから姿を消していった。

 非常事態に陥ってから、早いもので約1カ月が経った。

 北海道日本ハムファイターズに新型コロナウイルス感染拡大が直撃した。ゴールデンウイークのことである。記憶に新しいだけに、いまだ平時とは違う。他球団でも同様のケースが発生した。現場レベルでの緊迫は解けずにはいるが、プロ野球の球団としての日常は取り戻しつつある。

 2021年シーズンを再スタートしているが、またいつ感染症に見舞われてもおかしくないのである。未曽有の局面と向き合った体験を踏まえて今回、備忘録として記す。

今思えば、いつもと違っていた

 突然のことだった。

 4月30日、札幌ドームでの埼玉西武ライオンズ戦。遠征を終えて戻ってくるチーム本隊へと合流した。前カードは、敵地での福岡ソフトバンクホークス戦。多くの選手らは前日の試合を終え、その足で福岡から北海道まで帰ることができていた。一部は、当日移動という1日だった。

 私はその遠征には帯同しておらず、本拠地で待ち受けていた。午後6時開始のナイターに備えて正午前に球場入りすると、既に前日移動していた複数の選手の姿を、クラブハウスなどバックヤードで見つけた。

 今思えばその時、いつもと違っていた。いつも笑顔を絶やさず、ハツラツと挨拶をしてくるA選手はマッサージチェアに体を預けていた。自身の用具があるロッカーとは別室にいた。声を掛けても反応が薄く、表情も暗かった。球場入りするとすぐにトレーニングウエアに着替えるのが選手のルーティンだが、私服のままだった。通路ですれ違ったB選手も同じような格好だったため違和感はあったが、その時点では気にも留めていなかった。

 状況を把握するまでに、それほど時間はかからなかった。

 A選手、B選手ら体調不良を訴えている選手が数人、発生したとの情報を共有されたのである。症状等から、新型コロナウイルス感染の疑いがある。その他選手、チームに携わるスタッフらも一斉に所定の検査を受検するように通達があった。有症状者は即時、球場から隔離された。検査結果を、待つことになったのである。

 一縷の望みを抱いてはいたが、多くの人が覚悟はしていただろう。陽性であることが判明したのである。

 その翌日以降も検査を重ねていくうちに、さらに感染者が増えていった。埼玉西武ライオンズとの3連戦のうち1試合が中止となり、次カードのビジターでの千葉ロッテマリーンズとの3連戦、チーム編成が困難であることからファームも同様の措置となった。チームが、シーズンが、いきなり止まったのである。

 大型連休中は連日、全員がPCR検査を受検することになった。併せて濃厚接触者の特定が行われていくと、日に日に小所帯となっていったのである。保健所の指示もあり、5月2日からチーム活動が停止となった。私を含めて周囲へと伝播させないように、各人に厳格な行動制限が指示された。この間、計13人の陽性が判明した。後に、クラスター認定されたのである。

 瞬く間に、チームが一時解体された。チーム活動停止期間は、陰性の選手も、満足なトレーニングはできない状況となったのである。

 誰が、いつ発症するか不明であるため、最適な措置となる。5月6日にチーム活動を再開するまで、合宿所内の自室、また自宅などにこもり、収まるのを待つのみという時間を過ごした。公式戦モードの肉体のコンディション、技術などの感覚を維持するための手段が断たれたのである。

調整はわずか1日、練習もエリア分け

 翌5月7日、札幌ドームでの東北楽天ゴールデンイーグルス戦から公式戦は再スタートとなったが、調整できたのは前日の1日のみだった。活動停止期間は自室、自宅でできる腕立て伏せや腹筋、体幹トレーニング、素振りなどの基礎運動に限られたが、調整の猶予はわずか1日だったのである。

 室内練習場での練習も厳戒を極めた。練習スペースが「密」にならないように時間、エリアを区分した。選手同士の接触が必要なメニューは一切排除された。

 一例を挙げる。野球では、基本の中の基本のキャッチボールも該当した。1人で黙々と防球ネットへとボールを投げ込むことで、代用したのである。打撃練習はマシン相手、また1人で行うことができる、通称「置きティー」などと言われるティー打撃などに限られた。全員が、不織布のマスクを着用。防疫効果が高いだけに、運動時の呼吸は過酷そのもの。不要な会話も抑止していた。よく息切れの比喩として使われる「ゼーゼー」が、そこかしこから漏れ聞こえてくる異様な雰囲気だった。

 シーズンは再開されたが、舞台裏は日常とは遠かった。

 陽性者、濃厚接触者が出た場合には柔軟に出場選手登録・抹消が可能な「特例2021」を適用してのチーム編成。ファームから大挙して、その要員が一軍へと合流していた。公式戦を行うことが最優先で、勝ち負けは二の次。

 いつもは少し会話も聞こえてきていた食事を摂るサロンも、黙食が徹底されていた。全体が、試合前のテンションではなかったのである。

 後日談で聞いたがその間、チームを離れていた陽性者、濃厚接触者はさらに厳しい環境に身を置いていたという。宿泊療養施設等は最低限の生活ができるスペース、設備のみ。ある選手は「ただ時間が過ぎるのを待っていただけ」と、アスリートとしての活動が完全にストップしたそうである。同じ施設の隣部屋で療養していた選手が咳き込むなど、苦しんでいる状況を壁越しにリアルタイムに把握できたスタッフもいたという。

 孤独な闘いを、各自が強いられていた。

ルーキー今川は体重が7キロ減

 陽性者と濃厚接触者の隔離、療養期間は、陰性者の活動停止期間よりも長期に及んだ。

 陽性判定を受けたルーキー今川優馬選手は7キロ減など、体重が激減した選手も複数いた。また有症状だった選手の1人は、いまだ味覚と嗅覚に明らかな障害があるという。

「食べ物を口に入れても、何食べているか分からない。何を食べても味がほぼ一緒で、しょっぱいとか少しだけ感じるくらい。ビールを飲んでも、炭酸水を飲んでいるような感じ。香水のにおいとか、くさいとか、まだ何も感じない」

 いまも後遺症と向き合いながら、再びグラウンドへと帰ってきたのである。

再開初戦の5月7日、ホームランを放った杉谷を迎える日ハムベンチ ©KYODO

 選手もスタッフも皆、カムバックした。公式戦を1試合、1試合、進めることができている。そこには無数の支えがあった。保健所等とのやり取りでクラスターの全容把握から、小康状態へと持ち込むまで粉骨砕身、深夜も含めて非常時を収拾するために最前線に立ち続けた職員がいた。

 多忙な中でも対応に尽力をしてもらった検査機関、また後方支援をいただいた医療関係者の方々がいた。的確なジャッジで感染の抑え込みへ、難解な局面の舵取りをしていった各ポジションの責任者がいた。感染者拡大の緊急事態に備えて「特例2021」で一軍へと招集されながらも無情にも出場することなく、ファームへと戻った若手たちも数人いた。

 手と手を携えながら、全員で未知なるウイルスと格闘した。新型コロナウイルス禍に見舞われた直後には出口が見えなかったトンネルを抜け、大きな山を越えたのである。北海道日本ハムファイターズの一員として今、ありがたみを感じる日々を過ごしている。

 1人、また1人とグラウンドへと戻ってきた。

 野球ができている平穏は、尊いものである。

文=高山通史

photograph by KYODO