雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」を紹介します。今回は6月14日に50歳の誕生日を迎えた前田智徳氏にまつわる言葉を紹介します。

<名言1>
前田さんの孤高というイメージと、僕はスタイル的に違う。今まで通りふざけさせてもらいます。
(鈴木誠也/NumberWeb 2019年3月24日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/838730

1994年から「背番号1」をつけた前田智徳 ©︎Hideki Sugiyama

◇解説◇
 広島に6年ぶりに戻ってきた「背番号1」は、重たい。鈴木誠也は2019年シーズンから背番号を「51」から「1」に変えた。

 前任者の前田智徳は“孤高の天才”として寡黙に打撃を追求する姿がファンの心をとらえ、絶大な人気を誇ったレジェンドだ。後継者となった鈴木もまた、打撃を追い求める打撃人である。

 普段の打撃練習から殺気立ったようにバットを振る。練習でミスショットしても悔しがり、打撃投手の間合いが合わなければ、1m前に出て構えることもある。1球にかける集中力がほかの選手とは違う。

 バットを選ぶ所作も前田を彷彿とさせる。メーカーから定期的に10本のバットが届けられると、鈴木はまず芯の部分を右手でたたき、音を聞く。そして両手で握り、感覚を確かめる。

 しばらくすると、バットを仕分けした鈴木は担当者に向かってこう口を開く。

「すみません、この2本をお願いします。あとは大丈夫です」

 長さや重さに大きな差はない。ただ、どうしても微妙な違いは生じてしまうものだという。その微妙な違いから、鈴木の感覚に合うのはいつも10本中2本程度。その姿にアシックス社の担当・佐々木邦明氏は「誠也くんが新しいバットにする動きって、前田さんと全く一緒なんです。そして、あの緊張感。前田さんに似てきたなって思うときがあります」と前任者の姿と若き1番の姿を重ねた。

2019年から背番号を「51」から「1」に変えた鈴木誠也 ©︎Hideki Sugiyama

 鈴木は「前田さんの孤高というイメージと、僕はスタイル的に違う。今まで通りふざけさせてもらいます」と謙遜するが、その重みを誰よりも理解しているのは鈴木本人だろう。

<名言2>
前田には技術的に教えることは何もない。
(山本浩二/Number878号 2015年5月21日発売)

◇解説◇
 熊本工業高校から入団した前田智徳の非凡な才を見出したのは当時、監督だった山本浩二だ。1990年春のキャンプで二軍練習を視察した際、ノックを受けていた前田のフィールディングの良さが目に付いた。

 打撃練習を見てさらに驚いた。詰まって凡打になるような内角ギリギリの速球を、前田は一瞬体を引いてヒットゾーンに打ち返す技術を持っていた。

「この18歳は大したもんやな。面白い」

 1年目の6月に一軍に上げると、前田はその期待に応えるかのように初打席でツーベース。開幕戦から1番センターに抜擢された2年目は、6度目のリーグ優勝に貢献し、自身も20歳でゴールデングラブ賞を獲得。翌年からは3季連続で打率3割をマークした。

「天才と言われるけど、天才じゃない。物凄い努力家よ。自分のスタイルがあって、凄い準備をして、練習のルーティンを絶対に崩さない」

 反面、他を近づけないオーラを纏っていたことで、当時のチームメイトからは「前田は人嫌いなんじゃないか」とも囁かれたが、前田を孤立させないよう気遣ったのが山本だった。

山本浩二 ©︎Makoto Kemizaki

「ブチッ」という音が聞こえた

 そんな前田を悲劇が襲う。1995年5月23日のヤクルト戦、当時ショートを守っていた池山隆寛は二塁ゴロで一塁に駆け込む前田の足から「『ブチッ』という音が大歓声の中からはっきりと聞こえてきた」と証言する。前田は右足アキレス腱を断裂、プロ野球人生を左右する大怪我だった。

右足アキレス腱を断裂し、倒れ込む前田 ©︎Sankei Shimbun

 柔と剛が合わさったバッティングを作る下半身の粘りは元に戻らない。そんなジレンマを抱えたからか、「前田智徳は死にました」と自虐的な言葉を口にするまでに落ち込んだ。

 しかし、苦しむ前田を救ったのもまた山本だった。監督を離れ、解説業を担っていた山本に入院中の前田から電話があったという。ご飯に連れて行って欲しいと頼る前田に、山本は家族共々、焼肉屋へ連れ出し、冗談を投げかけた。

 バランスが良くなるから左足も切ったらどうや――。

「こちらからアイツの中に入っていけば心を許すヤツやから、冗談でもいいから話をすることが、アイツに対して最も大事なことやったね」(山本)

 復帰した前田はその後も痛めた箇所を庇ったことで故障が相次いだが、結果を出し続ける。96年から4季連続で打率3割をマーク。2000年には「もう一度万全な状態にしたいと」と左足アキレス腱の手術に踏み切り、02年にカムバック賞を受賞。05年には全試合フル出場を果たし、打率.319、32本塁打、87打点と生涯最高の成績を収めた。規定打席に到達しなかった2シーズンを除き、打率3割を超えたシーズンは11回を数えるが、そのうち8回が右アキレス腱を断裂した後の記録である。

「……無事これ名馬っていうじゃない。前田にそれがあれば、大変な選手になっていたよ。数字にしてもタイトルにしてもね」

 そう話す山本の表情は、どこか誇らしげだった。

<名言3>
いや、きた球を打つんですよ。
(前田智徳/NumberWeb 2005年7月21日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/12342

◇解説◇
「いやあ天才じゃない」

 前田智徳を評する達川光男の言葉である。即答だった。

「あれはね、僕はとにかく練習でここまできました、そう言うたね。突然、閃いたらバット振るらしい。ワシなら閃いても、まあ明日にしようか思うけどね」

 1990年から92年、現役時代は少しだけかぶっている。ある日のバント練習。頭脳派で鳴らしたベテラン捕手は、熊本からやってきたルーキーに声をかけた。

「バッターボックスに入って、どの球、待っとるんや」

 まだ少年の顔だった前田は答える。

「いや、きた球を打つんですよ」

©︎Koji Asakura

 それから15年後、スタジアムそばの飲食店で、のちに監督としても「きた球を打つ男」と接した達川光男は笑っていた。

「凄いな、お前。そう言いましたよ。それが最初の会話やったね。最初から左(投手)を苦にしなかったのも印象に残っとるね」

 監督時代(1999年〜2000年)は前田を4番に据えた。

「僕ではふさわしくない。そう言うたよね。アキレス腱を切ってなかったら喜んで打たせてもらいますと。いまは故障したら治す自信がない。4番は1年間すべて出なくてはならない。ものすごく4番という打順に敬意を表したよね。そういう人間なんです。個性派のようで気を遣うタイプじゃね」

©︎Koji Asakura

 アキレス腱断裂という選手生命を左右する負傷をした後も、打率3割は記録し続けた。

「ただ本人が言っとったけどね。僕は復帰はしたけど復活はしてません。打って守れて走れたら復活ですと」

 懐かしそうに続ける。

「そういえば、この前は試合中のコメントでこう話した。開かずに開いて打ちました。下半身は開いても右肩は開かないという意味や思うけどね。復帰はしたけど復活はしてない。開かず開いて打つ。うまい表現よね。研究するんですよ。ミーティングも聞かんふりしてよう聞いとる。ビデオも見らんふりしてよう見とる。きた球を打つんやけど読みも凄いよ。相手が自分をどう攻めるかを考えながら練習する。自分で自分をよう知ってるの」(達川)

<名言4>
線でボールをとらえてレフト方向にも打ち返せる。前田智徳さんのスイングの軌道だと思いましたね。
(松本有史/Number962号 2018年9月27日発売)

◇解説◇
 2018年シーズンを大きな飛躍の年にした広島・西川龍馬。

 社会人野球の王子時代、そのバッティングに目を奪われたと振り返るのが松本有史スカウトだ。バットをムチのようにしならせ、インパクトの瞬間はバットとボールがくっついているように見えたという。

「線でボールをとらえてレフト方向にも打ち返せる。前田智徳さんのスイングの軌道だと思いましたね」

 176cm、72kg。決して大柄とは言えない、むしろユニフォーム姿を近くで見ると華奢。それでも松本スカウトはその素質に惚れた。

「西川が打者としてあのくらいやるのは、見えてました。(鈴木)誠也もよく『あいつは天才ですよ。変化球も右手一本で拾っていとも簡単にヒットにする』って感心していますし」

 松本自身も現役時代はカープで内野手として活躍、04年にはウエスタン・リーグで打点王を獲得している(当時の登録名は松本奉文)。自らの眼を信じることができたのは、無駄のないフォームで「芸術品」と称された偉大な先駆者の打撃を見てきたからこそ。

 赤ヘルで見せてきた前田の生き様はしっかりと次世代へと繋がっているのだ。

涙のホームランの真相とは?

<名言5>
涙のホームランですか? ホンマ、マスコミも巧くこじつけてくれますワ(笑)
(前田智徳/Number322号 1993年8月20日発売)

◇解説◇
 1992年9月13日、東京ドームの巨人戦。5回裏、外野の守備についていたプロ3年目の前田は、巨人・川相昌弘の打球を後逸し、同点に追いつかれる大きなミスを犯した。それは同時に大先輩である北別府学の勝利投手の権利を消失させることを意味していた。

 しかし前田は、8回に自らのバットで取り返す。巨人・石毛博史から目の覚めるような勝ち越しの2ランを放ち、もつれた試合に決着をつけた。ダイヤモンドを駆ける若きバッターは込み上げてくる熱いものを抑えることができず、感情の発露が涙となって現れた。

8回に勝ち越しの2ランを放つ前田 ©︎Ssnkei Shimbun

 誰もがそう解釈していたが、当の本人は唇を噛み締めながらこう振り返る。

「自分に悔やしくて泣いたんですよ。(ミスを)取り返さんといけんかった打席(6回)で、センターフライに倒れてしまった。あそこで打てんかった自分は本物やない。そのことに腹が立って泣いたんです。最後にホームランを打ったところで、自分のミスは何ら消えることがない。あの日、自分は負けたんです」

 このインタビューでの冒頭で、22歳の前田はこんなことも言っていた。

「今の野球はね、好きじゃないんですよ。ちょっと活躍すれば、すぐにもてはやされる。マスコミが“アイツはいい選手だ!”とおだてれば、素人はすぐにだまされる。だから、そんな素人にちょっとは言ってやりたいんですよ。野球はそんなに甘っちょろいもんじゃないんだぞって……」

Number322号の表紙を飾った22歳の前田智徳

 野球に対して誰よりも真摯に向き合う姿勢は、ずっと変わらなかった。

文=NumberWeb編集部

photograph by Naoya Sanuki