初対戦となる投手の初球を思い切り振り抜き、快音を残したかと思えば、あるときはゾーンぎりぎりの際どいボールを、平然と見送る。打席での様子はプロ入り2年目の選手とは思えない落ち着きぶりだ。

 そのことを指摘すると岸潤一郎は苦笑した。

「落ち着いて見えますか? 全然です。毎回吐きそうです」

 岸が1番に座るようになったのは6月2日からのことだ。それまでトップバッターとしてチームをけん引し、リーグトップの20盗塁を記録していたルーキーの若林楽人が5月30日の阪神戦で負傷交代。6月1日、岸は抹消された若林に代わって7番センターでスタメン出場を果たすと、7回にはプロ初ヒット初本塁打を記録。その活躍を認められ翌2日には1番打者に大抜擢されたのである。

「1番打者というのもですけど、やはり、気にしたくないけれど、結果は出したいと思ってしまうんで。また打てなくなったら二軍行きかな、とか。いろいろなことがあいまっての緊張感ですね。いい緊張感を持って打席に立っています」

プロ初安打をホームランで飾った岸潤一郎 ©︎Kiichi Matsumoto

昨季はわずか3打席だった

 6月15日現在、29試合に出場。打率は2割3分5厘ながら、大事な場面でのヒットや勝負を決める働きで、強い印象を残している。

 昨シーズンの一軍出場はわずか5試合、3打席だった。

「昨年はチャンスをもらえても、それを生かせられなかった。だから今回は何としてもという気持ちです。まだ、いただいたチャンスをつかもうとしている途中です」

 昨シーズン、若手の外野手が一軍で活躍する中、どんな思いで練習に励んでいたのだろうか。

「試合で結果を出せるように、ファームでも取り組んでいました。昨年の取材でも何度かお話させてもらっているんですけど、山川(穂高)さんにアドバイスいただいたこと。それを受けて、しっかり取り組んでいました」

 昨年7月、初めて一軍昇格を果たした際に、岸は山川に質問をぶつけた。

「自分から相談に行ったんですけど、けっこう勇気がいりました」(岸)

 ルーキーがチームの主砲にアドバイスを求めるのは、容易なことではない。それほど岸にとっては切実だった。

「山川さんからは『基本的なことがまだできていないのに、形ばかり気にしている。まずは強く振ることから始めたほうがいいよ』と言われました」

 それまでの岸は、技術のことばかり考え、フォームも試行錯誤していた。そんな岸にとって山川の言葉は岸本来の、思い切りの良さという長所を思い出すきっかけとなった。

「そうか、まずはフォームうんぬんの前に強い打球を打てることが大事だな」と、そのアドバイスがすとんと腑に落ちた。

「山川さんみたいに角度をつけた打球ではなくても、まずは強く速い打球が打てるように練習しようと思いました」

 強い打球を打つという意識を持ったことで、練習の際のチェックポイントもおのずと変わった。

岸にアドバイスを送ったという山川穂高 ©︎Kiichi Matsumoto

二軍生活で改めて学んだこと

 昨年は二軍で54試合に出場した。

「終盤、けっこう自分でもいい感じで打てていたので、それをどう継続するかというのが次の課題になりました。好不調の波はどうやったら改善するのかということも考えましたけど、でも基本は初球から強く振ることを頭に入れていましたね」

 二軍では守備や走塁など基本的なプレーも、改めて学ぶいい機会となったと岸は振り返る。

「佐藤友亮さんが外野守備走塁担当コーチだったので、一緒に練習する時間が長かったんです。守備がより安定するにはどうしたらいいかと一緒に考えてくださいました。たとえば僕は肩が長所だと思ってきたんですけど、肩の強さを生かしたまま、どうやって正確に投げるかという練習を積みました。

 あとは試合でミスをしたとき、なぜそういうミスにつながったのか。走るときのスタートにしても『こうなっているから一歩目がスムーズに出ていないよ』など、いろいろアドバイスをいただけたのは大きかったですね」

 肩の強さを生かすためには、バックホームやランナーの進塁を刺す際にどうしたらストライクの送球を投げられるのか。無駄なステップを減らすこと、体重移動の方法などを繰り返し練習した。

 多くの時間を二軍で過ごした2020年は、岸にとって決して無駄にはならなかった。

 レギュラー獲得に向けて日々、奮闘している岸に今後の目標を聞いた。

「数字とかではなくて、とにかく1試合、1打席を大切に。結果を残してライオンズが勝てるように。自分ができることを精いっぱいやるだけです」

 明徳義塾高校時代、甲子園の申し子と呼ばれた。1年の夏、2年の夏、3年の春・夏と4度、甲子園に出場した。1年夏はベスト4、2年夏3年春はベスト8。3年の夏はその年、優勝した大阪桐蔭と対戦して敗れたが、3年秋の国体では頂点に立った。第10回U-18アジア選手権の日本代表にも選出され、準優勝に貢献。しかしその後、大学に進んだが右ひじの故障で野球を断念。大学も辞めた。

3年夏、岡本和真を擁する智弁学園相手に好投する岸潤一郎 ©︎Sankei Shimbun

 その後、四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスを経て、2019年ドラフトで西武に8位指名を受けたが、一時は「消えた天才」と言われ、テレビ番組で特集された過去も持つ。

 苦労人と言われることについて、本人はどう感じているのか尋ねた。

「うーん、そんなことないとは思うんですけどね。苦労人って言われているのは知っていますけど、そんなに特に自分では苦労したとは思っていません。なるようにして今に至ったという感じです。ただ、高校のまま順調に行っていても、今のように野球ができているかはわからないですし」

 日々、緊張の毎日だとインタビューの冒頭で話していたが、その表情はとても充実しているように見える。

「ほんと、急がば回れじゃないですけど、野球をやめた時期があって、独立リーグを経て、こうしてライオンズに入ってよかったんだと今は思っています」

 今季のライオンズはレギュラークラスの選手の故障が多く、前半戦は若手の活躍で26勝27敗と1試合の負け越しで踏み止まっている。

 今後、故障者の復帰や、虎視眈々と外野のレギュラーをねらう若手が岸のあとを追いかけてくるだろうが、この正念場を乗り切り、レギュラーの座を確固たるものにできるか。注目していきたい。

文=市川忍

photograph by KYODO