中国語で卓球のことを「兵兵球」と書くと知ったのは、2008年の北京オリンピックの取材の時である。

 兵士が向き合いながら戦うのが卓球なのだ。

 中国において卓球は剣術のイメージが強いと確信したのは、福原愛に取材をしたときである(Number795号)。

 福原曰く、日本では「スマッシュ」の種類を表現する言葉は限られるが、中国では10段階刻みで、30から120くらいまでの表現があるという。

「ディエン」は表ソフトラバーでのスマッシュで、30パーセントほどの力で打つ。

「ファリー」は70パーセントで、コースをコントロールしたスマッシュ。

「コウシャ」は100パーセントで、一撃で仕留める。

 では、120パーセント、マックスで力を発揮する単語はなにかと聞けば、こんな漢字を書くという。

 発死力。

 相手を死に追いやるスマッシュ。

 ちなみにバックハンドスマッシュは「抜刀」。腰に位置する剣を抜く鮮やかなイメージが浮かぶ。

 中国の卓球は、剣を持ったスポーツなのだ。

「32個の金メダルのうち28個が中国」

 東京オリンピック混合ダブルス決勝、水谷隼・伊藤美誠組の相手である許昕・劉詩雯組のふたりは、剣術家のイメージにぴったりの選手だ。

 サウスポーの許昕は、大きな青龍刀さえ操りそうなダイナミックなプレーを展開する。一方で劉詩雯は表情をほとんど変えず、安定性が持ち味。どんな攻撃を仕掛けられても、巧みに受ける柔軟性を持ち、ミスも少ない。

 ダブルスに限らず、中国卓球の特徴は電撃戦である。序盤に相手に対して圧をかけ、ゲームを連取し、相手から気を奪っていく。

 さらには、1988年のソウル大会で卓球がオリンピックの正式競技として採用されて以来、2016年リオ大会までの32個の金メダルのうち、28個を獲得してきている歴史も相手への圧力となる。

 そして7月26日の試合も、同じような展開になった。許昕・劉詩雯組が2ゲーム連取した時は、このままストレートで勝つのだろうと思った。

 ところが――。

中国の剣術vs.伊藤美誠の「居合い」

 水谷・伊藤組は退くことなく、対決姿勢を明確にする。卓球台に対して下がり気味で相手に合わせていた感じだったが、第3ゲームに入って台に近寄ってのプレーが増え、攻めの姿勢に転じたのだ。

 中国の遠心力を生かした豪快な剣術に対し、間合いを縮め、「居合い」で勝負に出た。私にはそう見えた。

 その戦術は、伊藤美誠にしか出来ないものだ。

 伊藤は異能の人である。

 そのプレースタイルは独創的で、今大会の準決勝でも台湾ペアのサーブに対し、誰しもバックでの返球が妥当という場面で、いきなりフォアを繰り出す。

 最近はあまり使われなくなったが、「美誠パンチ」と呼ばれるほとんどバックスイングを取らず、払うようなスマッシュを繰り出す。この打球に対して、相手はタイミングも、球質にも対応できない。

元相棒「悔しいけど、美誠は水谷さんと組んだ方が…」

 ただし、困惑するのは相手ばかりではない。ダブルスでは味方までもが戸惑ってしまうのだ。

「中日スポーツ」に、かつて混合ダブルスで伊藤と組んだ経験を持つ森薗政崇が「悔しいけど、美誠は水谷さんと組んだ方が威力を発揮する」と真情を吐露し、興味深いコメントをしていた。

「美誠の魅力は男子顔負けの多彩な攻撃力。型にはまらない発想力がその神髄。僕はその攻撃の全てに対応できなかったので、美誠のプレーを制限していた。どんな球でも打ち返せる水谷さんの対応力は世界随一。2人なら中国を倒せるかもしれない」

 この言葉には、いろいろなことを考えさせられる。

 ダブルスは、相手に慣れると同時に、パートナーのスタイルを受け入れなければならない。

 たとえば、伊藤が美誠パンチを出し、相手がギリギリそれに対応したとする。守勢の相手から返ってくるのは、ナックル気味のボールで、パートナーは処理が難しい。つまり、伊藤の攻めによって、味方もリスクを負ってしまう。

 伊藤の剣は、諸刃の剣なのだ。

 しかし、森薗が言うように、水谷は30歳を超えてなお、球さばきが世界トップレベルだ。どんなボールが返ってきたとしてもくらいつく能力がある。

 仕掛けの剣の伊藤と、受けの剣の水谷。

 受けの水谷の存在によって、伊藤は戦闘能力を存分に発揮することが可能になっていた。

「水谷がお膳立てし、伊藤が刺す」

 第3ゲーム以降に戦闘姿勢が明確になると、消極的なミスが減り、失点も攻めた結果のものになっていった。競り合いのなかでも一歩も引かず、3ゲームから5ゲームまでを連取する。

 印象的だったのは、解説の宮崎義仁氏も話していたが、水谷が返球の際に決めに行かず、むしろ相手の返球コースを限定するような球を出し、それによって伊藤が決めるパターンを作ったことだ。

 水谷がお膳立てし、伊藤が素早く居合で相手を刺す――。

 居合抜きの達人は、同郷の先輩の助けを得て、冴えに冴えわたった。

 そしてまた、水谷のアシスト力を引き出したのは伊藤のプレースタイルだった。

 卓球台の近くに陣取り、相手との間合いを詰める伊藤のスタイルに合わせ、中陣での受けを得意としていた水谷も、前陣へと歩を進めた。これはふたりが混合ダブルスを組むようになって、水谷が特に意識していたことだ。

 その姿勢は水谷自身のプレー選択にも影響を及ぼし、勝負どころでのYGサービス、サービス返球時の逆チキータなど、機を見るに敏、時機に合ったプレー選択と反応が目立った。

 さすがに4ゲームを連取とはならなかったものの、勝負がかかった最終ゲームの8点連続奪取は、神がかりとしか言いようがなかった。

 伊藤の剣はさらに鋭さを増し、水谷の攻撃的防御力もパワーアップしていた。間合いと時間を詰めた攻撃的姿勢は、相手の豪快な剣さばきを完璧に封じた。

 まさに、圧倒だった。

©JIJI PRESS

 許昕・劉詩雯組にこんな戦いが出来たのは、準々決勝で断崖絶壁に追い込まれ、そこから奇跡の生還を果たしたからだろう。

 老獪な技を持つドイツペア相手に、最終ゲームで1対7から逆転したのは、ひとえに攻めの姿勢に徹したからだった。波に乗ったふたりは、準決勝でさらに戦闘による経験値を上げ、決勝では剣技を爆発させた。

 中国卓球の強さは、その兵法的な考えにあると私は思ってきたが、水谷・伊藤組は日本の技術で相手の兵法を圧したのだ。

 歴史は一夜にして変わった。

文=生島淳

photograph by JIJI PRESS