13年越しの「五輪連覇」を果たし、再び金メダリストとなったソフトボール日本代表の大エース・上野由岐子。彼女の雄姿に間違いなく大きな刺激を受けているのが野球日本代表「侍ジャパン」のホークス・千賀滉大だろう。

 2人が1月に行う自主トレでともに練習をする間柄だというのは広く知られている。今回の東京五輪ソフトボール日本代表で公式トレーナーも務めた鴻江寿治氏が主宰する合宿に千賀が初めて参加をしたのが2012年1月で、それが最初の出会いだった。

 当時の千賀はプロ1年目を終えたばかりで、早生まれのためまだ18歳。ホークスでの背番号は128。まさしくダイヤの原石の頃だった。

「言葉の一つ一つがすごいなという印象ですが、特に覚えているのは『周りに流されちゃダメ。三流の選手は三流のことしかしない。一流の選手は三流のことはやらない』という言葉です」

 9年前の合宿が終わった後、千賀はまだあどけなさの残る表情で目を輝かせながらそのように話していた。

2010年育成ドラフト4位で蒲郡高(愛知)からホークス入り。写真は一軍デビューした2012年(当時18歳) ©KYODO

上野「まだ18だし、何も知らない頃だった」

 それから毎年ではないが、1月になると同じように合宿をともにした。

 千賀は、支配下選手になり、中継ぎでオールスターに選ばれるまでになり、そして先発ローテ入りしてからも成長は止まることなく日の丸を背負ってワールド・ベースボール・クラシックで大活躍し、日本を代表するピッチャーになっていった。

 その過程を上野は見てきた。

「鴻江先生の合宿って、1月でもキャッチャーを座らせて結構投げるじゃないですか。この時期だから5割の状態でもなくて、2、3割かもしれないけど、それを踏まえて『こういう球を投げるんだ』と思えることが自分の刺激になるんです。あとはグラウンド以外でも一緒に過ごすので、やっぱりいい選手って気づきとか、ちょっとした仕草とか違うんですよね。具体的に説明するのは難しいけど、ずっと見ていると分かるんですよ。

 千賀投手は最初からすごいボールは投げていたけど、生活とボールの質にものすごく差があったように感じていました。まだ18だし、育成選手で何も知らない頃だったと思うので。でも、年に1回しか会わない中で、『去年よりすごく良くなったな』とか『大人になったな』とか見えてくるものがありました。実力に対して心が追いついてきたんだな、雰囲気も言動も変わって、心が落ち着いたんだと成長を感じたものです」

千賀にとって「初めての壁」

 筆者もその合宿を共に過ごしてきた。ふと考えると上野と千賀は、似たタイプの投手だなと思うことがある。

 とても研究熱心で、特にフォームや体の構造などについて物凄く興味を持っていること。マウンド上ではいつもポーカーフェイス。そして、基本的にプラス思考なところも同じだ。 

 しかし、本来は明るいはずの千賀の笑顔を、もう長いこと見ていない。

 2021年、彼はずっと苦悩と戦っている。両ふくらはぎの状態不良のために春季キャンプをずっとリハビリ組で過ごし、調整遅れからやっと立つことの出来た今季初の一軍マウンドの4月6日のファイターズ戦で強烈なピッチャーライナーを捕球した際にバランスを崩して、着地の際に左足首に体重が乗り捻ってしまった。左足首の靱帯を損傷して長いリハビリ生活を余儀なくされた。しばらくは松葉杖が手放せない生活で、東京五輪出場は絶望視されていた。しかし、順調な回復を見せ、追加召集という形で侍ジャパンに加わることになった。

 だが、今度は調子が上がらない。一軍復帰戦となった7月6日のマリーンズ戦は3回途中9安打、3四球、自己ワーストの10失点と大炎上。何より深刻だったのが、158キロの直球を投げても奪三振がゼロだったこと。球速表示だけは以前よりも上がっているのに、空振りがとれない。この試合だけでなく、復帰前のファーム戦でも同じ。二軍降格後の調整登板でも、代表に合流してからの壮行試合でも苦戦が続いている。

なぜ投球フォームを変えたのか?

 投球フォームを変えた影響であることはほぼ間違いない。以前に比べて体を回す意識が強くなり、ホームベース方向への推進力が弱くなっている。その分、開きは早くなる。球速があっても空振りがとれないのはそのためではなかろうか。

 千賀は昨年春の開幕延期期間の練習のあいだに「今までの僕よりもすごくなるため。今までのものをすべて捨てて、新しいことをやっています。今までが『A千賀』ならば今回は『B千賀』というくらい違うもの」とかなり大胆なフォーム改造に乗り出した。

 理想形を追うとメジャーリーガーの投げ方が近い。日本では「肘を先に出して、しならせて」などと昔からよく言われるが、求めたのは「肩肘を意識せずに投げる。それが怪我回避には大切」という考え方だった。

 昨年は準備期間が短く開幕後に苦戦したことで、元のフォームに戻してシーズンを戦い抜いたが、今年に向けてオフ期間から再び自分の新しい理想を追い求めて準備をしてきた。

 十分な成功を収めてきたのに、なぜ、わざわざ。

 多くの人がそう考えるだろう。

王貞治「その一瞬のために365日努力をする」

 しかし、一流には一流にしか分かり得ない世界と、その中での超感覚がある。

 千賀の近くには、野球界のレジェンドもいる。王貞治ホークス球団会長だ。上野は、王会長とも似ていると思うことがある。たびたび同じような言葉を口にするのだ。

「喜びは一瞬。その一瞬のためにアスリートは365日努力をする」

「たとえ優勝した日であっても、365日のなかに特別な日なんて存在しない」

 上野に、王会長と同じだねと投げかけると「えっ、そうなんですか! 王さんと一緒だなんて、私すごいじゃないですか!」と無邪気に笑っていたのだが。

 それはともかく、王会長は「変化を恐れるな」とホークスナインに今も昔も口酸っぱく言い続けている。

「我々の世界はね、コレでいいということはない。今年良かったから来年も結果を残せる保証なんてどこにもない。もっとうまくなるためにつねに変化をしていかないといけない。変化を恐れちゃダメなんだ」

 王会長自身も現役時代は、「周りから見れば気づかないかもしれないけど」、どんなに好成績を残しても打撃フォームを改造し続けていたという。

 だから千賀が選んだ道を否定することなど、出来るはずはない。

「千賀くんはまだ経験していないことが多い」

 だがしかし、スポーツは結果で評価をされる世界だ。

 千賀と上野が最後に会ったのは、新フォームに本格挑戦する前の昨年1月の合宿だった。

 そこにはジャイアンツの菅野智之も初めて参加していた。前年の菅野は11勝6敗、防御率3.89の成績。普通ならば及第点なのだが、3年連続沢村賞を目指していた菅野である。限りなく頂上に近い景色を見た人間にしか分からない苦しみがそこにはあった。

 菅野にしてみれば、上野にならば自分の胸の内を理解してもらえるのではないかと思って、この合宿の門を叩いたのだった。

 菅野から言葉を受け取った上野は、こんな風に言っていた。

「菅野くんの気持ちは分からなくないです。やっぱり、ずっとトップを走ってきているから、そこから落ちたショックというか……自分自身が許せないと思うんです。でも、それを経験したから、今シーズンは強くなるんじゃないかなって思いますけどね」

 その話の流れで「千賀の場合は?」とも訊ねてみた。

「千賀くんはまだ経験していないことが多い。これからじゃないですか」

つながったノーノーのバトン、つながれ金メダルのバトン

 千賀はこの前年シーズンにノーヒットノーランを達成し、4年連続2桁勝利と初の奪三振王のタイトルを獲得していた。彼自身は「突き抜けきれない自分が歯がゆい」といつも悔しがっていたが、本当の意味で「勝てなくなった」という経験はしたことがなかった。

 よりによって2021年の東京五輪というタイミングで、初めての壁にぶち当たってしまったのだ。

 上野はあの時、菅野にこんな言葉を投げかけたという。

「結果が出なくなったということは、今のままでは通用しない自分がいて、次のステップに移るチャンスだと思う。それをきっかけに、そこから積み上げていくことで新しい自分を作れる。今そこで挫折して終わるか、ステップアップできるのか大事な分かれ道で、自分の体や考え方の変化についていけなかった人が脱落していくんだと思います」

 最初は変えることを恐れ、ためらっていた菅野がフォーム改造を決断。鴻江氏から教わった腕から動かす独特なフォームが誕生した瞬間だった。

 千賀は柔軟だし、器用な選手だ。変わることが出来る。仮に昨年のように元に戻すことになったとしても、それは決して後退ではなく前進だ。少なくとも、今のままで東京五輪のマウンドに上がることはない。1日、いや1秒を無駄にするまいと、今も懸命なはずだ。

 ところで千賀が一昨年にノーヒットノーランを達成した際、その2日後に上野もまた日本リーグでノーヒットノーランを達成している。祝福のメッセージを送ると「千賀君のノーノーを知ってたのでめっちゃ意識してたし狙ってましたよ〜笑」と返事があった。千賀に伝えると、「それが出来るのが恐ろしい笑笑」と仰天していた。

 あの時つながったノーヒットノーランのバトン。今度は上野から千賀へ、そしてソフトボールから野球へ――。

 つながれ、金メダルのバトン。千賀の笑顔と共に。

文=田尻耕太郎

photograph by JIJI PRESS