敗れた直後、福島由紀は柔かい表情を浮かべた。最後、身体の右側に来た強打を返せなかった廣田彩花と左手でタッチする。

 やがて2人の目に涙が浮かんだ。

 7月29日、バドミントン女子ダブルス準々決勝。中国の陳清晨、賈一凡組と対戦した世界ランキング1位の福島、廣田は1−2で敗戦。大会を終えた。

「最後まであきらめず、2人で楽しんでやるというのは伝えられたと思います」(福島)

 最後まであきらめない――。それは大会前、出場できるかどうかの瀬戸際に立たされて生まれた2人の決意だった。

金メダル候補が直面した試練

 金メダル候補として注目されたペアの異変が明らかになったのは、1次リーグ初戦。廣田が右膝まわりに入念なテーピングを施し、右足全体を覆うような大きなプロテクターを装着して登場したときだった。

 試合に勝利したあと、明かされたのは全治6カ月と言われる右膝の前十字靭帯断裂の重傷を負ったことだった。6月の日本代表合宿中でのことだった。

 多くのアスリートの競技人生を左右してきた大怪我に廣田の気持ちは揺れ動いた。

「一度は(オリンピックのコートに)立てないんじゃないかと思いました」

 廣田は、状態をこう明かす。

「コートに立てるまで回復して、7、8割は戻っています」

 ただ、カバーする範囲はいつもより狭まり、プレーに影響を及ぼしているのは見てとれた。

 それでも福島は語った。

「廣田ができる範囲で動いて自分がカバーするだけですし、それは苦ではないです」

 2戦目を勝利して準々決勝進出を決めた。しかし、最終戦で敗れて2位となり、準々決勝は世界ランキング3位の中国ペアとの対戦となった。1位通過していれば、あたらなかったであろう強豪ペアとの対戦で、まずは第1ゲームを先取。ただ第2ゲーム以降は強打を中心に前後左右に揺さぶる相手に対応できなかった。

 福島・廣田の通称“フクヒロペア”の特徴は、状況に応じてフォーメーションを変える「ローテーション」の速さや、コート全体をカバーする力を身上とするプレー。持ち味の粘り強さに加え、2017年から世界選手権で3年連続準優勝に終わったことの反省により、攻撃力も養ってきた。その成果は五輪前の大会で表れていた。優勝を飾った昨年の全英オープンや全日本総合選手権では、福島が硬軟合わせたショットで相手がレシーブできるコース、ショットを限定し、廣田が仕留めるパターンが見られた。

 しかし、その持ち味で相手を圧倒する姿を見ることは、怪我によってかなわなかった。

奇跡の決勝トーナメント進出

 第3ゲームを取られ、準々決勝で敗れた2人の目には光るものがあった。しかし、表情にネガティブな感情は浮かんでいなかった。1次リーグで連勝したあとの廣田の言葉にその理由が隠されている。

「一度は立てないんじゃないかと思ったところからここまで来られました。2人で楽しんだ結果が2勝という結果につながって、それもすごく奇跡だなって思っています。このコートに立てることがほんとうに幸せです」

右膝の装具も痛々しい姿で戦い抜いた廣田。医師の診断は全治6カ月だったという ©Getty Images

 一度はオリンピック出場をあきらめ、大会後に手術することも決まっている。その状態にあって、でも、コートに立つことを選び、それが実現できた。しかも決勝トーナメントにまで駒を進めた。

「ここまでやれたことがすごく大きなことです」

 と大会を振り返る福島は、普段以上に気迫に満ちたプレーを見せていた。

「廣田が怪我をして、出場を決めてから、それは当たり前だと思うようにしました。廣田がとれないところを自分がとる、自分が追うと覚悟して練習してきました」

 試合後には廣田の頭をなでて労った。

「ありがとうと伝えました」

 プレーに、その仕草に、2人の強い結束がうかがえた。

 それはこの2人ならではの過程があっての結びつきだった。

 1つ先輩にあたる福島は、廣田と同じ実業団チームに所属したことが縁で、ペアを組んだ。

 だが、思うような結果は残せなかった。リオデジャネイロ五輪代表争いにも加われず、一度はペアを解消した。はっきりと気持ちを出し、意見を言う福島と、意思を伝えるのが苦手な廣田の間で意思疎通がうまくいかなかった。練習の方向性を決め戦略を立てるにも、試合中に連携するにも、コミュニケーションをとれなければ先は見えない。

 ペア解消後、お互いに別の選手と組んだが、自分より後輩の選手と組んだ廣田は、いきおい、リードする立場になり、意見や思いをしっかり伝える大切さを学んだ。そして3カ月を経て、2人は再びペアを組んだ。

ペア解消を乗り越えて築いた信頼関係

 コミュニケーションは足りなくても、試合中のプレーはかみ合うことがあったし、それぞれに認める部分があった。お互いに向き合って話ができるようになったとき、再びペアとして歩み始めた。一度離れてそれぞれの時間を経て結束が高まり、成績も残ったことが相乗効果となって信頼を再構築していった。

 危機とともに迎えた五輪で、2人を支えたのはその信頼関係だった。

「廣田が、すごく膝が痛かったと思うけれど、よく頑張ってくれたと思います」(福島)

「自分たちらしい、フクヒロらしいプレーも何回かあって、そこはよかったと思います」(廣田)

 試合後、対戦相手の陳と賈がフクヒロペアのもとに寄ってきた。廣田の右膝に目を向けると、笑顔で言葉を交わし、4人はハグをした。

「すごくうれしかったです」と福島と廣田が語るその場面、賈はこう言葉をかけた。

「ここまで頑張って、コートに立っているだけで、尊敬しています」

 何年も競り合い、世界のトップを争ってきた福島と廣田への敬意がそこにあった。

 福島と廣田の東京五輪は計4試合で幕を閉じた。目指していた金メダルには届かなかったが、大きな余韻と残像とともに、そのプレーは見る人の心に確実に刻まれた。

文=松原孝臣

photograph by JIJI PRESS