2021年上半期(3月〜8月)、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト3を発表します。テニス部門の第2位は、こちら!(初公開日 2021年6月10日/肩書などはすべて当時)。

「ロジャー・フェデラーは、〇時△分にメインインタビュールームで会見を行います」

「ノバク・ジョコビッチが第一会見室に向かっています」

 テニスの大会のプレスルームには、そのようなアナウンスがひっきりなしに流れてくる。人気選手の会見ともなれば、早めに行かないと席が埋まってしまう。負ければその足でコートから会見室に直行する選手もいるので、記者席からインタビュールームまで、我先にと競うように走ることもある。

 コロナ禍により会見もリモートが主流になった現在だが、かつてはそれが、プレスルームで見慣れた光景だった。

テニスの記者会見はどう行われているか?

 大坂なおみが、全仏オープンで「記者会見は行わない」と宣言したことにより、グランドスラム・ルールブックに明記されている「メディアから要望がある場合、選手は試合直後、もしくは30分以内に会見を行なわなくてはいけない」の文言は、多くの人が知るところとなった。

 だが実際には、30分以内に会見が行なわれる方がレアケース。多くの場合、選手はクールダウンやシャワーを終えてから会見場に現れるため、おおよそ1時間後が一般的だ。マッサージや治療が必要な選手はもっと遅れることもあり、そのあたりは臨機応変である。

全仏OPで記者会見に応じるロジャー・フェデラー(2019年撮影) ©Getty Images

 会見そのものの時間は、通常10〜15分ほど。どの国の選手もまずは英語、続いて母国語で行われる。それらの時間配分等の判断は、基本的には司会者の仕事。参加者の数や顔ぶれを見ながら、「質問がある人は挙手し、指名されたら発言すること」「質問は一人ひとつまで」などと決めるのも、司会者の裁量だ。

 ただときには選手の方が、柔軟に対応することもある。会見慣れしているラファエル・ナダルや錦織圭は、司会者が「時間切れだから」と遮った質問に対しても、寛大に答えることは珍しくはない。マリア・シャラポワなどは、「あの人はさっきから手を挙げているのに、指名されずに気の毒よ」と司会者に諭したこともあった。

3か国語で取材対応をするフェデラーは…

 試合を終えるたびに、英語、スイスドイツ語、さらにはフランス語でも会見をすることがあるロジャー・フェデラーは、最も長い時間を会見室で過ごしてきたテニス選手だろう。それは彼が、テニスやスポーツ報道の重要性を、誰より理解しているからかもしれない。全豪オープンのオンコートインタビューで、彼は次のように語ったことがある。

「スポーツにおいて、物語を伝えることは、凄く大切だと思うんだ。語るべき事はとても多い……例えば、選手たちはどのような境遇から出てきたのか? どんな場所で練習をし、どんな人生経験を経てきたのかなどをね」

 フェデラーが考える通り、会見の席などで彼が語る自身やライバルについての言葉は、テニスという競技の深遠やアスリートたちの人間性を浮き彫りにし、物語として綴られ人々の心を打ってきた。

 選手とメディアの交流といえば、元世界1位のマルチナ・ヒンギスの会見が思い出される。

ヒンギスが記者に「以前の私と復帰後は、何か違う?」

 天才少女と呼ばれ続けたヒンギスは、10代で頂点を極めた末に、22歳にしてバーンアウト的にツアーを離脱。3年後に復帰しトップ10には返り咲くも、かつての地位には戻れずにいた。

 その復帰の年の夏、彼女は敗戦後の会見で、完全復調できずにいるもどかしさを口にする。そして、司会者が「終了」を告げた後に、おもむろに会見室の記者たちにたずねたのだ。

「あなたたちの目には、どう映っている? 以前の私と復帰後は、何か違う?」

2006年6月の全仏OPで記者会見に臨むマルチナ・ヒンギス ©Getty Images

 元世界1位からの逆質問に、会見室に走る緊張。そのとき口を開いたのは、米国のベテラン記者、マット・クローニンだった。

「お母さんに告げ口はしない?」

 まずは軽くジョークを返し、そして明瞭に続ける。

「以前に比べると、バックハンドの逆クロスが少なくなったと感じる。以前のあなたは、そのショットをとても効果的に使っていた」

 この助言を、彼女がどの程度真剣に受け止めたかは分からない。ただ、記者が選手を見るということは、選手が記者を見ているということでもある。一定の信頼が生まれれば、関係性は双方向的に発展しうるという好例だった。

ジョコビッチは記者たちに“チョコ”をふるまうことも

 そのような双方向的関係を、選手の方から築こうとしてくれることもある。ノバク・ジョコビッチは一時期、全豪オープンやATPファイナルズを制した後の会見で、チョコレートを記者にふるまうのが慣例だった。

「このフレイバーが僕のお勧めだよ」「オーガニックで健康にも良い。僕が保証するよ」

 チョコレートと共に言葉も交わし、誰もが笑顔に包まれた。

会見に集まった記者たちにチョコレートを配るジョコビッチ ©Getty Images

 とはいえ選手と記者たちは、そんな甘い関係ばかりではない。皮肉にもジョコビッチこそが、記者からの厳しい質問に、最もさらされてきたトップ選手だと言えるだろう。まだ10代の頃、ジョコビッチが英国籍に変えるとの噂が流れた時には、「その件については質問しないように」と記者たちへの通達があった。

 世界1位になってからは、ラケットを投げるなどのコート上の素行が、記者からの糾弾の対象になる。近いところでは今年2月の全豪オープンで、選手のためにと大会サイドに出した要求が、「わがままだ」と揶揄された。

 それらの騒音にもじっと耐え、圧巻の強さで大会を制した彼は、優勝会見で「事実を確認もせず、不当に批判する人の声を聞くのは気分の良いものではない」と、メディアの姿勢を批判する。さらには「この手のことには、もう慣れた。僕の人生で初めて起きることではないし、最後でもないだろう」と、蓄積された不満も打ち明けた。

 ジョコビッチ以外にも、記者の高圧的な態度に対し、選手が反撃した例はある。

「これ以上言うことはないわ」記者に反撃することも

 思い出されるのは、一昨年のウィンブルドン。英国女子ナンバー1選手のジョハンナ・コンタが敗れた後の出来事だ。この時の会見で記者の一人が、コンタが落としたポイントやミスしたショットを子細に連ね、「これらの大事な場面で、もっと良いプレーをすべきではなかったか?」と問うたのだ。

 目に困惑と微かな怒りを浮かべるコンタは、感情を抑制しつつも毅然と言い返した。

「そんな酷いやり方で、あらさがしをする必要があるとは思えない。私はあなたたちに対して常に、正直に感じたことを言っている。その答えが気に入らないなら、別にそれで構わない。私は、自分のテニスを信じている。自分の戦い方を信じている。あなたの質問に対し、これ以上言うことはないわ」

 この言葉になおも記者が食い下がると、コンタは「いい加減に、上から目線で物を言うのはやめて」と突き放す。最終的にこの時は、司会者が割って入り次の質問者へと進めたことで、事態はなんとか収拾した。

 ウィンブルドンの会見と言えば、シャラポワと記者の間でこんなやりとりもあった。

 シャラポワが、ロシアの選手たちと不仲であることを、ことさら強調するような質問を受けた時のこと。

「あなた、『The Sun』の記者? ああ、『Daily Mail』なのね。こういうことを聞くのって、いつもあなたたちのどちらかよね」

2013年、ウインブルドンの記者会見に登場したマリア・シャラポワ ©Getty Images

 シャラポワの言う『The Sun』と『Daily Mail』とは、いずれも英国の代表的なタブロイド紙。格調高いウィンブルドンの会見室には、ゴシップネタを鵜の目鷹の目で待ち構えている記者たちもいる。 

 これらタブロイド紙によるテニス界の最大の被害者は、スコットランド出身のアンディ・マリーかもしれない。

誤って伝わった報道に苦しめられたマリー

 話は2006年までさかのぼる。サッカーのワールドカップ開催年のこの年、『The Sun』が、「イングランドと対戦する国なら、それがどこでも応援するとマリーが発言した」と報じたのだ。実際にはこの文言は、イングランド出身の人気選手のティム・ヘンマンとの対談の中で、シニカルなジョークとして口にしたもの。だが、文脈から切り離された言葉は一人歩きし、イングランド中に火を放った。

©Getty Images

「ウィンブルドンのロッカールームに行くと、僕宛の手紙が届いているという。その文面の多くは『お前がプレーする全ての試合で、対戦相手を応援する』というような内容だった」

 後にマリーは、当時の騒動と心に負った傷を、包み隠さず明かしている。この時の彼は、まだ19歳だった。その後、英国のナンバー1選手となり、世界の『ビッグ4』と称されるメンバーの一人になってなお、この騒動はマリーのキャリアに影を落とす。

 1936年のフレッド・ペリー以降、ウィンブルドン優勝者が出ていない英国の期待を、彼は一身に背負ってきた。それにも関わらず、「勝てばイギリス人、負ければスコットランド人」と揶揄されるほどに、イングランドの人々は敗れる彼に冷たかったという。

 ただ、『The Guardian』紙等に寄稿するテニスジャーナリストのサイモン・キャンバースは、「アンディは、多くの英国記者と友好的関係を築いてきた」と言った。

「私たちメディアの多くは、アンディしか英国人選手がいない時にも、世界中を旅して取材してきた。その事実をアンディは理解していたし、彼のエージェントも優秀だ。記者との確執が生じた時は話し合いの場を設けたり、食事会をセッティングしてくれたこともある」

 マリーにとってメディアとの距離感とは、世間との関係性そのものだったのかもしれない。

マリーが優勝の瞬間に見つめた先には……

 2013年。英国人選手として77年ぶりにウィンブルドンを制した時、マリーはラケットを放り投げ、キャップをはたき落とすと、身体を翻し客席の一点を凝視した。

 あの時、どこを見ていたのか?

 優勝会見で問われたマリーは、ややシニカルな笑みを浮かべて、こう言った。

「あの時に僕が見ていたのは、何故か、プレス席に座るあなたたちだったよ。

 たぶん、僕の中の潜在的な何かが、そうさせたんだろう。ここ何年も、僕らの関係は難しいものだった。あなたたちにとって、僕がこの大会で勝つことがいかに重要だったかは理解できる。もちろん、僕はベストを尽くしてきた。これ以上は無理だってくらいに、頑張ってきた。

 マッチポイントまでは、勝ったらプレスの方を向こうなんて、全く思っていなかった。でも勝利の瞬間、そこが、僕の視線を捕らえた場所だったんだ」

 咆哮をあげ、幾度も両手の拳を振り上げるマリーの双眸に映っていたもの――。それは、プレス席でキーボードを叩く記者たちの向こうにいる、英国の人々だったのかもしれない。

笑顔で優勝トロフィーを掲げるマリー ©Getty Images

文=内田暁

photograph by AFLO