2021年上半期(3月〜8月)、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト3を発表します。テニス部門の第1位は、こちら!(初公開日 2021年6月14日/肩書などはすべて当時)。

 テニス史上ただ一人、年間グランドスラムにオリンピックの金メダルを合わせた〈年間ゴールデンスラム〉を1988年に達成したのがシュテフィ・グラフである。グランドスラムの優勝回数22という記録は、マーガレット・コートの24回、セリーナ・ウィリアムズの23回に次ぐ。1位在位期間は男女を通じて最長の377週。最大の武器だったフォアハンドは、今なお史上最高と謳われている。

長い長いアガシの片想いの物語

 そして、30歳での引退からもうすぐ22年になるこの女性をさらに特別にしている事実が、グランドスラム優勝8回の元王者アンドレ・アガシと夫婦であるということだろう。プレーヤー同士の夫婦はそう珍しくないが、これほど“テニス・スペック”の高いカップルは当然ながらほかにいない。

 グラフとアガシが急接近したのは、2人がともに優勝した’99年の全仏オープンの直後だった。当時29歳だったグラフは膝の故障にも悩まされて3年近くメジャータイトルから遠ざかり、ランキングは6位まで落ちていた。お決まりの「時代の終焉」が囁かれる中での復活優勝となった大会だ。世界2位のリンゼイ・ダベンポート、3位のモニカ・セレス、そして決勝で18歳の若き女王マルチナ・ヒンギスを全てフルセットで次々と倒した大会終盤の奇跡が、このトロフィーにいっそうの輝きをもたらす。 

 しかし、それからわずか2カ月で引退を発表。その翌月にはアガシの住むラスベガスの家に移ったというニュースが駆け巡った。アガシは女優のブルック・シールズとその年に離婚し、グラフも長年交際していたレーサーのミヒャエル・バーテルズとその年に別れたばかりだった。2人の交際のニュースは世界を驚かせたが、それまでには長い長いアガシの片想いの物語があったのだ。

©Getty Images

ウィンブルドンのダンスパーティーで

 2人が揃って優勝したグランドスラムはその全仏オープンが2度目で、最初は’92年のウィンブルドンだった。ウィンブルドンでは毎年閉幕後に、各種目のチャンピオンたちが一堂に会すダンスパーティーが催され、そこで男女のシングルス・チャンピオンはダンスを踊る伝統がある。

 アガシには予期せぬ事態だったのだろう。すでに全仏で2回、全米で1回の準優勝を経験していたが、プレースタイル的にウィンブルドンはもっともチャンスの乏しい大会と見られていた。決勝の前日、友人とともにタキシードを新調するために町へ出たアガシは、もうダンスのことで頭がいっぱいだったという。女子のチャンピオンはもうその日に決まっていた。

 1987年の全仏オープンでグランドスラムの初優勝を遂げたセンセーショナルな17歳に、アガシはずっと憧れを抱いていたそうだ。バンビのように軽やかなフットワークと、柔らかなウェーブのかかったブロンド、儚さと剛健さが混在する不思議な魅力を放つ同世代のプリンセスと「仲良くなりたい」と願っていた。

 そして翌日、芝では圧倒的有利とされたビッグサーバーのゴラン・イワニセビッチを破り、誰も予期せぬウィンブルドン・チャンピオンとなったのだ。

 アガシは自叙伝『Open』の中で、こう語っている。

「ダンスフロアで彼女の手をとり、クルリとさせるのが待ち遠しくてしかたなかった。踊り方はわからなかったが、気にしていなかった」

 しかし、ダンスパーティー会場に到着するやいなや、チャンピオンのダンスは中止になったと知らされる。

アガシの猛アプローチも「返事はこなかった」

 のちにグラフは冗談まじりにこう話している。

「前例のないことだったらしく、キャンセルしてもらうのは本当に大変だった。でも私は正式なダンスをどう踊ればいいのか習ったこともないし、あまり楽しみじゃなかったの」

92年ウィンブルドン優勝パーティー ©Getty Images

 そうはいっても、グラフがウィンブルドンで優勝するのはそのとき4度目である。本当はそんな理由でなかったことは、アガシの自叙伝での次のような記述からもある程度想像がつく。

「僕は以前から、彼女の控えめな気品、生まれ持った美しさに驚愕し、圧倒されていた。91年の全仏オープンのあとにはメッセージも送ったが、返事はこなかった」

 タキシードで紳士を気取っても、首から上はピアスに長髪(当時はまだそれがウィッグだったことは知られていなかった)というラスベガス生まれの異端児が自分に好意を寄せていることを知った上でのダンスは、「シャイで控えめでまじめ」な23歳のグラフにはどうしても受け入れられないことだったのだろうか。バーテルズとの交際が始まったのがこの頃だったことも無関係でないかもしれない。

再び始まった熱烈なアプローチ「花束を贈り…」

 月日は流れ、自身の狂信的なファンによるセレス襲撃事件や、金銭管理を全て任せていた父親の巨額の脱税事件など、グラフは数々の苦難を乗り越えていた。アガシのほうは1993年から交際していた5歳年上のシールズと97年に結婚。しかし2年ともたずに結婚生活は破綻した。

 正式に離婚する前からふたたびアガシの熱烈なアプローチは始まっていたという。同じ大会に出ればコーチを通して練習を申し込み、ときに花束を贈り……。

 そんな中で迎えた1999年のローランギャロスだった。ダンスパーティーはない。しかし、グラフの復活優勝はどれほどアガシを奮い立たせただろう。ウクライナの伏兵アンドレイ・メドベデフを相手に2セットダウンからの大逆転勝利で、ついに全仏初優勝を遂げた。キャリア・ゴールデンスラムの達成でもあった。

 パリからロンドンへ向かう飛行機の中で、機内食のメニューカードにメッセージを書いたという。6月14日に30歳の誕生日を迎えるグラフへのバースデー・カードのつもりだった。これを受け取ったグラフはとうとうアガシに電話をかけたそうだが、8年越しの女心の変化の詳細はわからない。ただ、「君をもっと知りたい」というアガシの求愛はついに成功した。

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アガシの元妻もグラフに憧れていた?

 過去2年間ほとんど活躍できなかったアガシが、この全仏オープンから翌年の全豪オープンまでグランドスラム全大会で決勝に進出し、その後世界1位にも返り咲いた。グラフはウィンブルドンの決勝で敗れて全米オープンを待たずに引退を発表した。

 アガシの最初の結婚生活には、ドキッとするような逸話がある。トレーニングとカロリー計算で完璧な体作りに余念のなかった元妻・シールズは、いつも自分を奮い立たせるために冷蔵庫にグラフの写真を貼っていたのだという。その完璧な〈美脚〉はシールズの憧れ、目標だった。13歳でプロになった天才少女の生まれ持った造形と、人知れぬ鍛錬の見事な調和がそこにある。アガシの恋心がずっと消えなかったのは、無理もなかった。

文=山口奈緒美

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