2021年上半期(3月〜8月)、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。ボクシング・格闘技部門の3位は、こちら!(初公開日 2021年7月17日/肩書などはすべて当時)。

「努力は必ず報われるなんて、私は言えないです」

 女子プロレス団体スターダムで活躍する白川未奈は、努力ではどうにもならないことがあると知っている。

 それでも彼女は“努力の人”だ。自分から努力しているとは言いたくないけれど、努力や創意工夫なしでは何も成し遂げられないことを知ってもいる。

白川未奈

「グラビアが“特急券”なんだなって思ったんです」

 もともとはグラビアアイドル。青山学院大学英米文学科卒で就職もしていたが、24歳で芸能界へ進んだ。どうしても歌って踊る仕事がしたかった。だがスカウトされたのはグラビアの事務所。それなら求められることをやろうと決めた。

「グラビアが“特急券”なんだなって思ったんです」

 若くて可愛くてスタイルもいい、アニメ声のグラドルはたくさんいた。では自分はどこで勝負するか。バラエティ番組で芸人にいじられるポジションを狙いにいった。自分のファンを増やすというより「爪痕を残す」ことで知名度を上げたかった。体を張ったし、手応えもあった。

「深夜番組、ABEMAの番組によく呼んでいただいて。『水着になれて面白い枠は白川がいれば大丈夫』って。でも、そこからレギュラー番組を持つというのは壁が高かったです。地上波のゴールデンタイムだと求められることも違うし、事務所のプッシュだったり上の人に気に入られるとか、いろんな要素が絡んでくる」

 もう一つ、努力では乗り越えられない壁があった。白川がグラビアアイドルになった頃には、AKB48を筆頭にライブを中心としたグループアイドルのブームが到来。雑誌グラビアの人選もそちらにシフトするようになった。“グラドル”の仕事の幅がどんどん狭まっていくのを、身をもって感じたのだ。

白川未奈

「今しかない」――30歳でプロレスデビューを決意

 そんな時に、プロレスデビューの話が来た。以前から勧められていたが、プロレスファンだったからこそ畏れ多く、遠慮していた。筆者が白川に初めてインタビューしたのはデビュー直前。好きなプロレス会場はと聞くと「新木場1stRINGです」と答えていた。両国国技館でも後楽園ホールでもない、インディー団体の主戦場。本当に好きで会場に通っている人間だからこそのチョイスだ。そしてプロレスラーになるということは、もうファンとしてプロレスを見ることができないということでもある。

 それでも30歳でのデビューを決意する。「今しかない」と思ったそうだ。

プロレスデビューとなった (左)戦にて、気迫のこもった戦いを繰り広げた。

「プロレスデビューすることになって、いろんな人に『もっと早く始めていれば』って言われたんです。『だから、前からやったほうがいいって言ってたじゃない』とか。確かに早いほうがよかったのかもしれない。でも私にはあのタイミングがよかったんだと思います。もっと早かったら『でも水着でも売れたいし……』という気持ちが残ってたかもしれない。もちろんこれからもグラビアのお仕事、バラエティのお仕事はしたい。でもそれはプロレスを広めるためですね。今は週プレ(週刊プレイボーイ)よりも週プロ(週刊プロレス)の表紙になりたい(笑)」

 2018年8月5日、ボディコンテスト『ベストボディ・ジャパン』のプロレス部門旗揚げイベントにおけるタッグマッチでデビュー。“筋肉アイドル”才木玲佳にフォール負けを喫する。同じ年の11月からは「もっと試合がしたい」と東京女子プロレスに参戦。翌年にはベストボディ・ジャパンプロレスの初代女子チャンピオンになった。

白川未奈

元祖“グラレスラー”愛川ゆず季の紹介で

 プロレスへののめり込みぶりは、誰が見ても分かるものだった。趣味だった筋トレの目的は、ボディメイクから“技の強化”に変わる。ブラジリアン柔術の道場にも通い始めた。白川の試合、その序盤に目を凝らすと、グラウンドの攻防も通り一遍の動きではないことが分かる。

「柔術を始めて1年半以上。ようやくグラウンドで緊張せず、自分のペースでできるようになってきました。私は柔術を習っているといっても、関節技でギブアップを取るスタイルではない。それでもグラウンドでペースを掴むと、そこから先の展開でも主導権を奪いやすいんです」

 こうした言葉に“グラドルっぽさ”は微塵も感じられない。昨年10月から新日本プロレスと同じブシロード傘下のスターダムへ。予定していた海外遠征がコロナ禍で中止になり「このまましばらく海外に行けないなら、日本で一番の団体でやりたい」と考えたのだ。スターダムのファイトスタイルに順応するため、立ち技格闘技シュートボクシングのジムにも通い始めた。ずっと意識してきた、元祖“グラレスラー”愛川ゆず季の紹介だった。

「スターダムの試合は打撃技の割合が多いし、みんな打撃が重いんです。もう毎試合のように頭を打ち抜かれてるので。打ち負けないためにも打撃の練習は必要ですね。7月4日のウナギ(・サヤカ)戦で出した浴びせ蹴りはシュートボクシングの練習で大村勝己さん(シーザージム新小岩代表)に教わりました。尊敬している獣神サンダー・ライガーさんの得意技でもあるし、いいんじゃないかと。スターダムでは使ってる選手もいないですし」

白川未奈

3本目のベルトでも、「まだまだ満足できない」

 ウナギとの王座決定戦に勝ち、白川はフューチャー・オブ・スターダム(キャリア3年までの選手が対象)のベルトを巻いた。6人タッグのベルト、アーティスト・オブ・スターダムに続いて2冠達成だ。キャリア全体では3本目のベルト。素直に嬉しいが、まだまだ満足できないとも言う。やはりスターダムといえば赤いベルト(ワールド・オブ・スターダム)、白いベルト(ワンダー・オブ・スターダム)が看板だ。ただリングに上がってみて、頂点への道は遠いと実感した。着実にステップアップするためにも、フューチャー王座獲得は重要だった。

「スターダムは選手層が厚いし、凄いなって尊敬できるところが全員にあるんです。自分よりキャリアが浅い選手でも、ですね。上谷(沙弥)はシンデレラ・トーナメント優勝、飯田(沙耶)は先にフューチャーのベルトを巻いて。舞華は週プロの表紙になった。みんな凄いですよ」

デビュー前からの“友人”に“蹴り”を入れられた

 白川曰く「現実を悟ってしまった」。スターダムに参戦してすぐの、ひめかとのシングルマッチも記憶に残っている。白川より8カ月ほど先にデビューしたひめかとは、レスラーになる前からの友人だった。アクトレスガールズでのひめかのデビュー戦では、白川がリングアナを担当している。これまでは団体が違ったが、初めてリングで向き合えたのが昨年10月の“聖地”後楽園ホール大会だった。

デビュー前からの友人、ひめかとの一戦。「スターダムはそれだけ厳しい」と思い知った。

 だが試合は序盤からひめかが圧倒。ひたすら力の差を見せつけられ、白川は敗れた。「悔しくて試合中から泣いてました」と白川。ひめかは試合後も触れ合うことを拒否して蹴りを入れた。文字通りの“一蹴”だった。

「スターダムはそれだけ厳しい、甘いこと言ってられない世界なんだなって。昔から知ってる“有田ひめか”じゃなくドンナ・デル・モンド(ひめかの所属ユニット)のひめか、敵対ユニットのメンバーのひめかになってましたね」

どれだけプロレスに情熱を捧げてもキャッチフレーズは変わらない

 スターダムの道場だけでなく出稽古で地力を高めることが、さらに重要になった。練習し、試合経験を重ねて力をつけるしかない。

「実力勝負ならいつか追い抜ける、そういう感覚もあります。小学校受験の頃からずっとそうなんですよ。忍耐力というか、続けることは得意で。大学受験でも偏差値が25くらい上がりましたから。参考書を隅から隅まで暗記するんです。それが苦じゃないというか、そうしないと気持ち悪いっていう性格なんです」

白川未奈

 プロレスも同じだ。「グラドルにプロレスができるのか?」どころの話ではない。今は生活のすべてをプロレスに費やしている。バスでの地方遠征が多いから、練習だけでなくコンディション調整にも余念がない。1日8時間睡眠は必須だ。

「同世代を見ると結婚して、子育てしてという人もたくさんいる。でも私はまだプロレスだけでいいですね。プロレスで幸せになりたい」

 これだけプロレスにかけて、それでもなお彼女のキャッチフレーズは“闘魂Hカップグラドル”だ。私はもうプロレスラー、グラビア時代のイメージは捨てた......そう言ってしまったほうが、むしろ分かりやすいだろう。プロレスに対する真剣な思いが、より多くの人間に伝わるはずだ。しかしそれでは、自分の武器まで捨ててしまうことになると白川は考える。

「おっぱいを前面に出してるような選手は応援しにくい(笑)」

白川未奈

 記者会見など「私服で」と言われても「本当の私服は着ないです(笑)。胸のところがあいてるやつですね」。SNSで水着やコスプレの写真を頻繁に掲載。文言や写真の角度、試合とプライベートの投稿の割合など、反応を見ながら変えていく。数字がすべてだとは思わないが、結果が形としてはっきり出るだけに意識しがいもある。

「たぶん、ツイッターとインスタグラムを足したフォロワー数はスターダムで一番だと思います。SNSって、出演依頼がなくても、取材してもらわなくても自分をアピールできる場なんですよ。なんでみんなもっと活用しないのかなって思いますね」

白川未奈

 団体から発売される写真集は勝負どころだ。ユニットごとの写真集の売り上げは、白川と中野たむ、ウナギのユニット「コズミック・エンジェルズ」(コズエン)がトップだったという。たむもウナギもアイドル出身だ。

「だから他のユニットには負けられないし負ける気しないですね。出たばかりのビキニ写真集でも事前に“コズエンLINE”で『こんな水着持ってます』、『リボンはこんなふうに』って打ち合わせしました。

 コズエンの写真集は何度も再版になりましたね。たぶん、普段は応援してなくても写真集を買うとなったら私たちなんですよ(笑)。やっぱり“闘魂Hカップグラドル”ですからね。おっぱいを前面に出してるような選手は、真面目なプロレスファンは応援しにくいでしょう(笑)。でも潜在的なニーズはあるんだなと。スターダムはカッコいい選手が多いので、こっちは愛嬌振りまいてやろうと思ってます。こんなプリプリ、ブリブリしたユニットは他にない。だから目立てる。きっかけは何でもいいんですよ。私のことが気になってスターダムを知って、結果として他の選手のファンになっても構わない」

「コズミック・エンジェルズ」は悔しい思いをしてきたからこそ…

 コズエンは現在まで6人タッグ王座防衛7回。これはタイトル史上最多記録だ。白川、ウナギはキャリア3年に満たないのだが、昨年からベルトを手放していない。リーダーのたむに頼りきりと言われることもあるが、8回のタイトルマッチでフィニッシュを取った回数はたむ3回、白川とウナギが2回ずつ(1試合は引き分け)。全員が“ポイントゲッター”と言っていい。

「コズエンはどのユニットより横にある手を取る力が強いと思います。同時に、横にいる2人より前に出よう、上に行ってやろうという気持ちも強い。ピンチになったらタッチして助け合うし、それは自分が出ていって勝負を決めたがっているということでもある。そのバランスが凄くいいと思う」

コズミックエンジェルズ(左から白川、ウナギ、中野)

 たむと白川の性格について、ウナギは「月と太陽」と言っていたそうだ。それくらい正反対。ただ芸能界で同じ経験をしてきた部分もある。白川によると「泥水すすってきた」。たむは「地獄を見てきた」という。

「3人とも、アイドルやグラビアの世界で悔しい思いをしてきたので。世の中は理不尽だと思うことが多かった。だからプロレスの世界で、実力で絶対に輝いてやるという気持ちが強いですね。スターダムにかける気持ちは、生え抜きの選手よりもあるんじゃないかなって」

白川未奈

「プロレスは自分がずっとやりたかった仕事に一番近い」

 今の目標の一つは、フューチャー王座を短期間にたくさん防衛すること。8月5日がデビュー3周年、つまりベルト保持期限だから、そこまでに何度もタイトルマッチがしたいという。海外で試合をする夢も諦めてはいない。これまでメキシコ、スペインで試合をしたが、まだまだ行きたい国はある。

「大学も英米文学科を選んだり、世界中たくさんの人とコミュニケーションを取りたいと昔から思ってたんです。就職の時も外資系の会社とか海外のエアラインのCAに応募したり。今は日本中で試合をして、それだけでも“旅人だな”って充実感がありますね。スターダムを初めて見る人が目をキラキラさせて拍手してくれるのを見ると、入場しながら泣きそうになるんですよ。それを世界でやりたい。世界に白川未奈という存在を届けたいし、死ぬまでにできるだけたくさんの人に会いたい。死っていうのは毎日、意識してますね。悪い意味じゃなく、いつか死ぬんだから後悔しないようにって。考えてみたら、プロレスって世界中でやってるし、言葉が通じなくても喜怒哀楽を伝えることができる。自分がずっとやりたかったことに一番近い仕事かもしれない。ここまで回り道しましたけど、だからよかったとも思います」

白川未奈

どこに行っても自分のやり方で“闘う”強さ

 もし若かったら、バックパッカーのように海外を放浪しながら試合をするような生活を送ってみたかったと白川。しかしすぐに「べつに今からでも遅くないですよね(笑)」と言い直した。

 芸能界に入る時も、プロレスラーになる時も「もっと若ければ」と言われた。「何でグラビア?」、「どうしてプロレス?」、あるいは「急に柔術なんてどうしたの?」とも。そう言われるたびに反骨心がわいて強くなれた。どこに行っても自分のやり方で“闘う”強さだ。

 若くなくても結果は出せる。試合で勝てなくても写真集の売り上げとインパクトでは勝てる。試合でだって、いつか勝てるようになる。彼女がスターダムに来たばかりの頃、1年経たずにベルトを2本巻くと予想できた人間がどれだけいただろう。白川未奈の闘い方は、業界最大の女子プロレス団体でも見事に通用している。努力は必ず報われる、かもしれない。少なくともプロレス界でなら。

白川未奈

文=橋本宗洋

photograph by Takuya Sugiyama