藤井聡太三冠(王位・叡王・棋聖)は、第34期竜王戦の挑戦者決定戦3番勝負で永瀬拓矢王座を2連勝で破り、豊島将之竜王への挑戦権を19歳1カ月で初めて獲得した。藤井はこれまでの竜王戦で抜群の戦績を挙げている。羽生善治九段、渡辺明名人が竜王戦の挑戦者に初めてなったときの状況、竜王戦の成り立ちなどについても記す。

 藤井三冠は2016年9月、14歳2カ月の最年少記録で四段に昇段した。加藤一二三・九段が持っていた14歳7カ月の同記録を62年ぶりに塗り替えた。

 その後、竜王戦の主催者の読売新聞社の企画で、新旧の天才棋士同士として、加藤と藤井の対談が行われた。大先輩の加藤がリードする形で対談は進んだ。トップ棋士のエピソード、将棋の勉強法、対局での「勝負めし」、加藤が愛好するクラシック音楽など、話の内容は多岐にわたった。

 加藤と藤井が公式戦で初対局した場合の話にも及んだ。

 加藤は「手の内は企業秘密です。作戦は言えません」、一方の藤井は「自分は居飛車党なので、正攻法で教わりたいです」と語った。それは「矢倉」で戦うことを意味した。

 加藤は現役時代、矢倉の将棋を最も得意にしていた。中原誠名人を4勝3敗で破って悲願の名人位を獲得した1982年の名人戦では、全局を矢倉で戦い抜いた。

“ひふみん”が驚いた藤井聡太14歳のデビュー戦

 2016年12月。第30期竜王戦の6組ランキング戦で、76歳の最年長棋士の加藤九段と、14歳の最年少棋士の藤井四段の対局が本当に実現した。それは抽選による偶然か、または天の配剤なのか……。

 いずれにしても、藤井の棋士デビュー戦はメディアに大きく注目された。対局場の将棋会館には多くの報道陣が詰めかけた。現在に至る「藤井フィーバー」の端緒となった。

加藤−藤井の竜王戦6組ランキング戦 ©Kyodo News

 加藤−藤井戦は矢倉の戦型になり、激闘の末に藤井が勝った。

 加藤は「終盤の寄せが速いのには驚きました。素晴らしい才能の持ち主です」と局後に語り、藤井を絶賛した。藤井は「デビュー戦で加藤先生に教えてもらい、とても光栄です」と謙虚に語った。

 藤井は、以降の対局でもずっと勝ち続けた。2017年6月には竜王戦の決勝トーナメント1回戦で増田康宏四段に勝ち、デビューから負けなしで29連勝の新記録を達成した。

これまでの竜王戦での戦績を振り返ってみると

 藤井の竜王戦での戦績を振り返ってみる。その前に竜王戦の棋戦システムを簡単に説明する。

 最上位の1組から6組までの各組ランキング戦で、優勝者など11人が決勝トーナメントに進出し(1組は5人、2組は2人、3組以下は各1人)、竜王保持者への挑戦権を争う。竜王戦では、6組の新四段でも勝ち続ければ、竜王のタイトルを1期で獲得できるのだ。

 一方、名人戦では、予選リーグに当たる順位戦で、新四段がC級2組からA級まで連続昇級しても、名人戦の挑戦者になるのに最短で5期かかる。

 藤井は初参加した第30期竜王戦で、6組ランキング戦で6連勝し、決勝トーナメント2回戦で敗れた(計7勝1敗)。 

 第31期竜王戦は、5組ランキング戦で5連勝し、決勝トーナメント2回戦で敗れた(計6勝1敗)。第32期竜王戦は、4組ランキング戦で5連勝し、決勝トーナメント準決勝で敗れた(計7勝1敗)。第33期竜王戦は、3組ランキング戦で4連勝し、決勝トーナメントの初戦で敗れた(計4勝1敗)。

 そして第34期竜王戦は、2組ランキング戦で4連勝し、決勝トーナメントで4連勝して挑戦権を得た(計8勝)。

 藤井は竜王戦のランキング戦で5期連続で優勝し、6組から1組まで連続昇級している。通算成績は32勝4敗、勝率は8割8分9厘と、抜群の戦績を挙げている。藤井は、挑戦者になるべくしてなったといえる。

竜王戦挑戦者決定戦第2局の藤井三冠 ©日本将棋連盟

「羽生六段」が19歳2カ月で竜王位に

 続いては羽生九段、渡辺名人(王将・棋王を合わせて三冠)が、竜王戦の挑戦者に初めてなったときの状況を記す。

 羽生の棋士デビュー戦は1986年1月(15歳3カ月)。その後は公式戦で猛烈に勝ちまくり、年度勝率はたいがい8割に達した。

 1987年に創設された竜王戦では、第1期は4組で参加した。ランキング戦で5連勝し、決勝トーナメント2回戦で島朗六段に敗れた。その島は1988年に初代竜王に就いた。

 第2期竜王戦は、3組ランキング戦で4連勝し、決勝トーナメントで大山康晴十五世名人らに5連勝した。羽生は竜王戦の挑戦権を18歳11カ月で初めて獲得した。羽生は順位戦でC級1組に所属したが、実力はすでにAクラスと評価されていた。どの棋士もフロックとは思わなかった。

 1989年12月。羽生六段は島竜王を4勝3敗で破り、初タイトルの竜王位を19歳2カ月で獲得した。

「渡辺六段」は20歳8カ月での初タイトル

 渡辺の棋士デビュー戦は2000年4月(15歳11カ月)。その後は公式戦で好成績を挙げ、年度勝率はたいがい7割台だった。      

 2003年の王座戦で、渡辺五段は羽生王座に初挑戦した。「1局でも勝ったら上出来」という予想を覆し、渡辺は2勝1敗と勝ち越して羽生をカド番に追い詰めたが、結果は2勝3敗で敗退した。

 第5局の最終盤では、勝ちを意識した羽生の駒を持つ手が震える光景が初めて見られた。現代では勝利のポーズといわれるが、当時は本当の緊張感だったようだ。

 渡辺は4期目となる第17期竜王戦で、4組ランキング戦で5連勝し、決勝トーナメントで谷川浩司棋王らに5連勝した。竜王戦の挑戦権を20歳4カ月で初めて獲得した。渡辺は順位戦でC級1組に所属したが、2003年の王座戦で羽生に対して大健闘したように、実力と勢いがあった。

 2004年12月。渡辺六段は森内俊之竜王を4勝3敗で破り、初タイトルの竜王位を20歳8カ月で獲得した。

 読売新聞社は戦後まもない1950年、タイトル戦の「九段戦」を創設した。1962年には「十段戦」に格上げされた。十段戦のリーグ戦(6人)に入ると、先後2局ずつ計10局も一流棋士と対局できたのが最大の魅力だった。

 読売は1970年代後半から、囲碁は「棋聖戦」を主催していたが、将棋の十段戦の契約金とは約2倍の差額があった。日本将棋連盟は「囲碁と将棋は歴史的に平等である」という観点から、読売に十段戦の契約金の大幅増額を何度も要求していた。

 読売は「棋聖戦は囲碁界で席次一位の扱いを受けている。しかし十段戦は、将棋界で名人戦に次ぐ扱い。契約金の違いはその差であって、囲碁と将棋を差別しているわけではない。ただし、将棋界において最高の棋戦を主催することについては、強い関心がある」という見解だった。

 その後、1985年から2年間にわたって、連盟と読売で交渉が続けられた。そして、順位戦から独立したランキング制、新体系の賞金制などで、両者は大筋で合意した。新棋戦の骨格は、現行の竜王戦どおりである。

現行の34期の優勝賞金は4400万円

 新棋戦の名称は、数多くの候補が上がったが、「竜は古来、中国では皇帝のシンボル」「将棋で竜は最強の駒」などの理由で、「竜王戦」に決まったという。

 竜王戦の契約金は名人戦を上回り、将棋界の最高棋戦となった。連盟と棋士は、大きな経済効果を受けている。第1期竜王戦の優勝賞金は2600万円だった。現行の第34期は4400万円に増額されている。

 竜王戦の最大の特徴は、実力のある若手棋士が台頭しやすいところだ。初挑戦して竜王位を獲得した棋士は、羽生九段、谷川九段、佐藤康光九段、藤井猛九段、森内九段、渡辺名人、糸谷哲郎八段、広瀬章人八段、豊島竜王と9人いる。

 藤井三冠は、10人目の新竜王になるだろうか……。

叡王戦第5局の藤井三冠 ©日本将棋連盟

文=田丸昇

photograph by 日本将棋連盟