マリンのマウンドで一番投げている投手は誰か?という問いに皆さんは答えることができるだろうか。

 2位が薮田安彦氏の254試合。3位が藤田宗一氏の234試合。4位は小林雅英氏で205試合と続く。2005年の日本一に貢献し「YFK」と呼ばれ、長らくマリーンズの勝利の方程式として活躍し続けた球団OBの3名よりも多く“マリンのマウンド”に登場しているのが、益田直也投手だ。

 9月21日現在で296試合に登板。マリンのマウンドだけで16勝・80セーブ・73ホールド・89HPを記録している。実に1197人の打者と対戦し、防御率は2.68で271個の三振を奪っている。

 このことを益田本人に伝えると驚きながら、嬉しそうな表情を浮かべた。そして「正直、積み重ねなので、実感はわかないですね。ただ、昔のことを考えると本当にここまで来られるとは想像もしていなかったので嬉しいですけど」と遠くを見つめた。

高校時代は「1打席」のみ

 人生とはつくづく分からないものだ。

 誰よりもマリーンズの本拠地ZOZOマリンスタジアムのマウンドで投げ続け、絶対守護神としてファンから絶大な信頼を誇る男の市立和歌山商高校時代の公式戦出場試合数はたったの1試合なのである。しかも投手ではなく代打での出場。その1試合も、高3夏の最後の和歌山県大会準決勝だった。

「練習試合とかでは代打の成績が良かったのですよ」と益田は言う。

 和歌山県大会準決勝・高野山高校戦の試合終盤。2−4の2点ビハインド、1死一、二塁の場面で代打での出場を言い渡された。結果は初球を打って、遊撃へのハーフライナーに倒れる。公式記録は遊飛と記されている。この日の試合に敗れ、益田の最後の夏はあっという間に終わりを告げた。

「ボクの高校3年間は公式戦1打席ですよ。しかも1球。そんなプロ野球選手、絶対、他にはいないでしょ。たぶんボクだけだと思います」

 そんな雑草のような日々を今、益田は誇らしげに語ってくれる。

 甲子園常連校で何度となく全国大会に出場し、高校日本代表にも選ばれた選手たちが集うプロの世界にあって、彼は3年間で公式戦わずか1試合、1打席、1球しか経験をしていない。時間にすれば、おそらく1分もないだろう。

 中学時代は投手と外野手の掛け持ち。高校に入学をすると肘を痛め、遊撃手に転向した。野球部には同学年は20人ほどいた。控え組の益田は、高3夏までベンチ入りすることすら出来なかった。もちろん当時の益田はプロなど夢物語としても語ることはなかった。

大好きな野球を続けるか、辞めるか

 高校3年の時の進路決定が人生の大きな分かれ道となる。

 大好きな野球を続けるか、辞めるか。母子家庭で育ち、経済的にも決して楽ではなかったため消防士や警察官を目指すというのが現実的な選択肢ではあった。

 ただ、選んだのは関西国際大学でもう1度、投手として本格的に野球を続けることだった。高校時代に公式戦わずか1試合、1打席、1球で終え、燃え尽きることが出来なかったことが結果的にこの選択へと導いた。奨学金制度を利用。練習後の18時半から21時半まで時給1000円ほどのアルバイトをしながら学校に通い、野球を続け、スカウトの目に留まることになる。

「大学時代、指導者の方に恵まれました。監督、コーチ。本当に出会いのおかげで道が開けました」

関西国際大学時代の益田直也 ©︎Sankei Shimbun

 中央球界無名の男は、2011年のドラフトでマリーンズ最後の指名となる4位でプロの門を叩くことになる。

 地元和歌山での契約を終え球団主催の食事会での事を益田は今でも鮮明に覚えている。祝いの場で、益田は涙した。プロへの道が開かれた喜びと、ここまでの道のりを思い返し、涙した。涙はどうやっても止まることはなかった。嬉しくて嬉しくて、いつまでも涙した。気が付けば同席をしていた人すべてが、もらい泣きをしていた。お酒が入っていたこともあり、延々と涙した。益田は後にも先にもあれほど泣いたことは記憶にない。

 同期入団選手は3人いた。

 大注目は3球団競合でドラフト1位入団する藤岡貴裕投手。2位が中後悠平投手で、3位に鈴木大地内野手がいる。3人とも大学ジャパンに名を連ねるなど大学球界の有名な存在だった。最初は遠い存在に感じたが、入団会見以降はすぐに意気投合した。

 そして、忘れもしない公式戦でのマリン初登板(当時はQVCマリンフィールド)は、12年4月8日の北海道日本ハムファイターズとのデーゲーム。藤岡が先発し、益田が投げ、最後に中後が投げた。試合には敗れたが、仲のいい同期3人で9回を投げた。それがマリンでの最初の1歩。思い出深い試合だ。

マリンのマウンドでポーズをとる2011年ドラフト組(左から藤岡、中後、益田、鈴木)©︎Sankei Shimbun

 あれから10年。益田はこの地で296試合に登板をしている。

 藤岡と中後はすでに現役を引退し、藤岡は読売ジャイアンツ、中後は横浜DeNAベイスターズの球団職員として第2の人生を送り、鈴木はFAで移籍した東北楽天ゴールデンイーグルスで活躍している。

 時の流れは速く、チームは移り変わっている。そんな中、益田はマリーンズのぶ厚い柱のような存在となった。選手会長としてチームをまとめ、絶対的守護神としてリーグ優勝に向けて首位をひた走るチームを引っ張っている。

 9月8日のオリックス・バファローズ戦(ほっともっと神戸)では史上17人目の通算150セーブを達成。今季はセーブ王争いで独走するなど、この男に繋げば絶対に勝てるという安定感がある。

 そんな頼もしき右腕の区切りのZOZOマリンスタジアム通算300登板まであと4試合。毎年、貴重な場面で投げ続ける鉄腕が千葉ロッテマリーンズ史上に残るメモリアルな数字を残そうとしている。

「こういう選手でもプロ野球選手になれる。プロでやれるというメッセージを子供たちや若い人たちに伝えたいといつも思っている。今はまだ才能は出ていないかもしれないけど、なにかのキッカケで才能が芽を出すことがある。そういう子たちの希望のような存在になれる選手でありたい」

 益田はそう言って連日、ブルペンに向かう。出番はチームの勝利がかかった最終回。息の詰まる場面だ。最後を締める役割は並みの精神力では務まらない。そんな重圧と向き合い、コツコツと努力を積み重ねて今がある。

 高校3年間でベンチ入りすることすらなかなか出来ず、野手としてもわずか1試合、1打席しか出番がなかった若者は今、マリーンズを引っ張り、1974年以来となるリーグ1位でのリーグ優勝へと導こうとしている。

©︎Chiba Lotte Marines

 諦めてはいけない。人には無限に広がる可能性がある。

 背番号52――その背中は、そのことを雄弁に物語っている。

文=梶原紀章(千葉ロッテ広報)

photograph by Chiba Lotte Marines