中日ドラゴンズで監督を務めた8年間、ペナントレースですべてAクラスに入り、日本シリーズには5度進出、2007年には日本一にも輝いた落合博満。それでもなぜ、彼はフロントや野球ファン、マスコミから厳しい目線を浴び続けたのか――。12人の男たちの証言から、異端の名将の実像に迫る『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』が発売1カ月で6刷8万部とベストセラーになっている。

 そのなかから、山井大介の“消えた完全試合”の翌2008年、中日スカウト部長だった中田宗男が抱えていた“苦悩”の場面を紹介する。同年ドラフト前日、中田の予感が的中。落合監督とスカウト陣は1位指名を巡って決定的に対立してしまう(全3回の3回目/#1、#2へ)。

落合「1位は野本でいってくれ」

 会議が始まってから、もう4時間が経とうとしていた。室内には睨み合ったまま動かない2つの空気があり、中田はその中で無力感を握りしめていた。

 2008年のドラフト会議を翌日に控えた10月29日、中日のスカウトたちは東京・品川のホテルの一室に集まっていた。

 この日は落合を交えて、どの選手をどの順で指名するか、最後の詰めの協議が行われていた。会議の冒頭から、落合は各地区の担当スカウトの報告を聞きながら、指名候補選手のビデオ映像に目を通していた。そして、それが終わると、あらかじめ台詞を用意していたかのように言った。

「1位は野本でいってくれ」

 野本圭、24歳。社会人・日本通運の外野手はアマチュア日本代表の中心メンバーでもある好打者で、いわば完成品であった。

 やはり、野本か……。

 中田は落合がそう言い出すのを半ば予想していた。これまで落合の口からその名前を何度か聞いたことがあったからだ。

「お前らには悪いんだけどな、どうしても野本が欲しいんだ」

 ただ、中田にもこれと決めた選手がいた。大田泰示、18歳。神奈川の強豪・東海大相模高校で通算65本塁打を放った188センチの大型遊撃手である。未完成ながら巨大な可能性を秘めた今ドラフトの目玉だった。

「野本は良い選手です。ただ、将来を考えれば、大田の方が大きく育つ可能性があるんじゃないですか」

 中田は言った。ここは譲ってはならないという覚悟があった。

 中田がスカウトになってからの中日は、1985年の清原和博をはじめとして、92年の松井秀喜、95年の福留孝介と、数年にひとりと言われる大型スラッガーが現れた年には必ず1位で指名してきた。たとえ、抽選に外れて獲得できなかったとしても、それが球団のアイデンティティだと考えていた。

 そんな中田に落合は言った。

「来年は外野が必要なんだ」

 この2008年シーズン、中日は巨人、阪神に次ぐ3位に甘んじた。落合が監督になって4年目でワーストの順位であり、リーグを連覇した巨人との差は大きく開いているように見えた。

 だからこそ、翌年に向けて編成上の穴を埋める、目の前の勝負を制するという点において、落合の言葉はしごく妥当であった。現実的で理に適っていた。

 それゆえ、落合と中田の視点はどこまでも重ならなかった。

「監督、こういう選手は何年かに一度しか出ません。うちはそういう選手は必ず指名してきたんです」

 その中田の言葉によって部屋の空気は膠着し、動かなくなった。明るいうちに会議を始めたはずが、いつしか外は真っ暗になっていた。

 やがて落合が静かに言った。

「お前らには悪いんだけどな、どうしても野本が欲しいんだ」

 無力感が中田を襲ったのは、その瞬間だった。

 いつもそうだった。落合は星野のように声を荒げることはしなかった。その代わり、絶対に変節することもなかった。静かなトーンには、もう議論は終わりだと突き放すような響きがあった。フォルティッシモで感情をぶつけてくる星野に対し、落合はピアニッシモで明確な職分の線を引いた。

 球団のオーナーや社長が認めた現場の指揮官から名指しで選手を求められれば、スカウトに言えることはもう何もなかった。

「明日、また話そう」という落合の言葉で会議は終わった。会議の後は、監督とスカウト全員で食事をするのが毎年の恒例だったが、落合は「俺はいいよ」と言い残して帰っていった。

 中田の覚悟は宙に浮き、胸の不安はそのまま沈殿した。

落合「現場のわがままを通させてもらった」

 翌日のドラフト会議で、中日は24歳の野本を1位で指名した。

 楽天と競合になったが、球団社長の西川順之助が交渉権確定の封筒を引き当てた。球団は目の前の勝利をつかむことを選んだ。落合と中田の主張はついに交わることはなかった。

 欲しかったものを手中にした落合は、番記者たちの前で言った。

「現場のわがままを通させてもらった。ものからすれば、何年かに1人の逸材がドラフト戦線にいたのは確かだ。考え方は2つある。でも、5年、10年先じゃなくて、来年の戦いに勝たないといけないんだ」

 落合も認めた何年かに1人の逸材――18歳の大田泰示は巨人が引き当てた。スカウト部長の中田はどうすることもできなかった。

 落合の後で報道陣の前に立った中田は衝動的な思いを口にした。

「いや、何と言えばいいのか……。清原も松井も福留も、これというバッターが出てきたとき、必ず入札していたのは我が中日だけでした。そういう意味で、ずっと大田君を、と思ってきました。ただ、監督は即戦力が欲しいということで……。そう言われれば我々はどうすることもできませんから」

 中田は落合とスカウトとの間に乖離があったことを口にした。球団内の溝を外部に曝すことになるのはわかっていたが、それでも黙っていることはできなかった。ずっと抱えてきた感情が限界まで膨らみ、叫びになった。

「球団には100億円の埋蔵金がある」は昔の話

 そして、憂いはこの先も消えないということが中田には薄々わかっていた。球界も、中日という球団も、すでに転換期の真っ只中にいた。

「球団の金庫には100億円の埋蔵金がある」

 かつて球団の内部ではそう囁かれていた時代があった。

 中部圏で圧倒的なシェアと販売部数を誇る親会社の財力は、スカウトも含めた編成面での優位性になっていた。スカウトたちがアマチュア球界の関係者に持参する手土産ひとつとっても、中日は他球団と差別化することができた。相手側が目を丸くしているところから話を始めることができた。

 だが、インターネットの普及によって新聞業界は過渡期を迎え、埋蔵金はいつしか消えていた。星野仙一が監督だった時代のように、巨人の向こうを張って編成補強費を使った日々は、もはや昔話だった。

 そもそも、経営難に陥った近鉄がオリックスと合併したことから始まった2004年の球界再編騒動以降、プロ野球の球団は親会社の広告塔という位置づけから外れ、単体での採算と経営の健全化が求められるようになっていた。

 つまり、球団に求められるのは勝利だけではなくなってきていた。確かに落合は中日を常勝チームにした。だが、球団まで目先の勝負にとらわれていいものか……。そもそも補強費が先細るなか、どうやって常勝を維持していくというのか。

 中田の憂慮はそこまで根深いものになっていた。<#1、#2から続く>

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文=鈴木忠平

photograph by Sankei Shimbun