熊本信愛女学院高2年時の2013年に日本代表へ初選出されてから8年が過ぎた今夏、古賀紗理那は初めての五輪出場を果たした。そして、10位という成績で五輪を終えた後、これも「人生初めて」という長い休暇を得た。

 その間、あえて意図的に、古賀はバレーボールから離れた。

「このまま辞めようとは思わなかったけど、もういいかな、みんな頑張って、という感じも、正直ありましたね」

 五輪の初戦で負傷した右足首の状態はまだ万全ではないが、それでも着実に前に進み始めた。間もなくⅤリーグが始まる今、「振り返りたくない」と笑いながら、紐解く記憶。

「ちゃんと答えます。東京オリンピックのことは、しっかり言わないといけないし、ちゃんと書いておいてもらわないと」

救急車の中で考えた「チーム」のこと

 7月25日。女子バレー日本代表にとって、記念すべき東京五輪の初戦。ケニアから2セットを連取した第3セット序盤、10−7の場面でアクシデントは起こった。

 前衛でブロックすべく、いつも通りのポジショニングで、いつも通り古賀が跳ぶ。1つ違ったのは、着地した場所に相手の足があったことだった。

「私に踏まれて、相手選手も咄嗟に足を引いたんです。避けようとしてくれたんだと思うんですけど、結果的にはそれがよくなかった。足裏全体が乗るより、中途半端に足裏が半分かかった状態だったので、結構な勢いでグニっと捻ってしまった。その瞬間は痛くなかったし、立とうと思えば立つこともできました。でも完全に捻ったのはわかっていたので、この状態ではもうダメだ、と思いましたね。『あー、終わった』と、ショックで涙が止まりませんでした」

コートに倒れ込む古賀紗理那 ©︎Toru Hanai/Getty Images

 会場から救急車で病院へ運ばれる間も、よぎるのは自分が去った後のチームのこと。

「大会に向けてサーブレシーブの連携をずっと(石川)真佑と確認し合ってきたので、真佑は大丈夫かな、(黒後)愛の表情は沈んでないかな、って。心配と不安しかなかったし、申し訳ない、としか思えませんでした」

 病院でレントゲンとMRIを撮影した際も、「どうせ無理だろう」と絶望に近い感情しかなかった。だが、医師からは「現段階で靭帯損傷はないので、腫れが引けば復帰することはできる」と診断を受けた瞬間、一気に心持ちが変わった。

「復帰できるなら絶対やってやろう、と。今考えるのはそれだけでいいと思ったので、その時から、人前では絶対に『痛い』と言わないと決めたんです。本当はめちゃくちゃ痛かったけど、『痛くない』『大丈夫』と一種の暗示ですよね。そう言い続ければ行ける、と信じていたし、もう一度戻りたかったから必死でした」

 本来ならば復帰できる状態ではない。だが自国開催の五輪で悔いを残したくない。その一心で、古賀は復帰を決意した。

 女子バレー日本代表の若宮啓司トレーナーや日本選手団の医科学チームによる治療と並行し、「上がるべき階段を一気にすっ飛ばした」と振り返るように、受傷後2日目から練習に参加。ステップやジャンプから開始した。

 少しでも不安げな表情を見せれば「紗理那は無理をしているんじゃないか」と悟られると考え、練習中もあえて感情を出さないよう努めた。

 やれるべき準備はした。ケガをした日の夜、「韓国戦の復帰を目指そう」と話した中田久美監督のもとへ古賀は向かった。自らの意志を告げたのは、その韓国戦の前日だった。

「明日は私もユニフォームを着ていいですか?」

 当日、試合に向けた選手ミーティングの直前、中田監督からスタメンが伝えられる。リベロを含めた7名の中に、ケニア戦以来、古賀の名が記されていた。

古賀本人も驚いたスタメン起用

「出てもワンポイントか、後衛3ローテぐらいだと思っていたので、さすがにスタメンと伝えられた時は驚きました。でも出るからにはやるしかない。選手ミーティングでも『足首は大丈夫です。ただサーブレシーブをしてから攻撃に入るのは負担になるから、免除してもらってもいいですか?』と言ったら、小幡(真子)さんが『わかった。黒後を入れて、私もカバーする』と。私だけでなく、韓国戦はそれまでと違うスタメンだったので、正直みんな不安だったと思います。でも絶対に勝たなければならない試合だったので、疑問を抱いている場合じゃなかった。とにかく、勝つしかなかったですから」

 あのケガからわずか6日後、万全な状況でないことは言うまでもなかったが、覚悟を決めた、とばかりに鬼気迫る表情でコートに立った古賀は、いつもと変わらぬ表情で跳び、打ち、拾う。

 この韓国戦も、最終戦となったドミニカ共和国戦も、絶対負けない――ただその一心で戦った。しかし、チームとして見れば「絶対に勝てる、という自信や確信、方法はなかったと思う」と唇を噛み締める。

 結果的に「最後の1本」が決められなければ、その矛先が向けられる選手がいる。だが古賀は「絶対に誰かが悪いわけではない」と断言し、「全部言い訳になるのはわかっている」と前置きしながら、負けられない試合で喫した敗戦を振り返った。

©︎AP/AFLO

「たぶんみんなが『どうにかしたい』と思っていたんですけど、大事なところでチームとしての薄さや脆さが出ました。この5年、セッターが変わり続けてチームが固まりきれなくて、“負けたら終わり”という試合でもチームが1つになれなかった。実際、私も含めて全員が“チームが勝つために”というより、自分のことしか考えられないぐらい、追い込まれていました。だからとにかく必死で、勝ちに行く姿勢が一番大事だと思っていたので、1点でも1本でも食らいつきたかった。

 でも全員が全員、同じように闘志をむき出しにしていたわけではなく、落ちたボールを呆然と見送ることもあった。これで終わっちゃうんだよ、その意味がわかってる? と試合中に何度も思ったぐらい、バラバラだった。終わった瞬間は、悔しくて、情けなくて涙も出ませんでした」

 感情が溢れたのは、石井優希が呼びかけ、最後に全員で写真撮影をした時だった。

「本当はケニア戦で勝った後に撮る予定だったけれど、私がケガをしていなかったからその時は撮れなくて、全員で撮った写真が1枚もなかったんです。だから最後に『(荒木)絵里香さんを真ん中にして笑顔で撮ろうよ』って。優希さんが一番泣いているのに、笑顔でって言う顔を見たら、これでもう本当に終わりなんだ、と。せっかく撮った写真だったのに、涙が止まらなくて。ひどい顔になっちゃいました」

 それからも泣き続け、選手村の部屋に戻った古賀に、同部屋だった荒木が言った。

「もう“痛い”って言っていいんだよ。紗理那、よく頑張ったね」

 負けたこと。「頑張った」と称えてくれるキャプテンの最後がこんな試合になってしまった後悔。足首の痛み。最後の最後、古賀は泣きながら初めて言った。

「痛かった。めちゃくちゃ痛かったです」

 古賀の、東京五輪が終わった。

©︎Takuya Matsunaga/JMPA

私、何のために復帰するの?

 不完全燃焼のまま五輪を終え、また次を見据える。

 言葉にすれば簡単だが、感情と行動を伴わせるのは容易ではなかった。

「とにかくバレーボールをやりたくなかった。正直に言うと、私、何のために復帰するの? と思っていました。足首は腫れているし痛いんだけど、あー腫れてるわ、って思うだけ。ボールに触ることもトレーニングもリハビリも、何もしませんでした」

 変化が生じたのは、約1カ月に及ぶ長い休みを経て、NECレッドロケッツの練習に合流してからだ。

 同じく東京五輪にも出場した山田二千華はすでに合流して練習を再開し、ゲーム形式の練習にも入っていた。その光景を、体育館の隅で古賀は心ここにあらずといった感じでぼんやり視界に入れていたが、ふとした時にスイッチが入った。

 チャンスボールの返球が雑になり、相手コートへ1本で返ってダイレクトで決められている。なのに、誰も咎めない。思わず口を挟んだ。

「いやいやダメでしょ、って。今年は『絶対に優勝する』と言っている中で、それでいいの? と思ったんです。純粋に私は『そんなプレーをしているようじゃ勝てない』と感じたし、オリンピックを経験したのに今までと変わらなかったら、チームのためにもならない。自分がよければいいではなく、チームが勝つために、口で言うだけではなく早くプレーで見せなきゃ、リハビリも頑張ろう、と頭が切り替わりました」

 東京五輪で味わった苦い経験は、自らの責任や役割を再認識するだけでなく、チームのあり方を考える教訓にもなった。チーム力を高めるために個の力を上げるのは不可欠だが、技術だけでなく個々の意識も変わらなければならない。そのために、リハビリを重ねゲーム形式の練習にも合流した今は、事あるごとに後輩へ“伝える”ことをこれまで以上に深く考え、意識するようになった。

「“チームワーク”って簡単に言うけれど、本質を勘違いしている人が多い気がするんです。チームワーク=仲良しではなくて、別に仲が悪くても、チームが勝つためにこの選手を活かそう、そのためにそれぞれ何をすればいいか考えて動ければチームにとっていいことだと思うし、そういうところが欠けているんじゃないかな、と感じたんです。

 もちろん人によって感じ方は違うし、私は純粋に意図が知りたいから『どうしてそうしたの?』と聞くけれど、そう言われたら圧として受ける選手もいるかもしれない。だから言い方は気をつけながら、相手の目をしっかり見て“あなたにこれをやってもらわないとチームが困る”と伝わるように言うべきことは言う。それが、チームのためにもなると思うんです」

 言うべきことは言い、コートではプレーで示す。間もなく始まるⅤリーグに向け、ようやくエンジンがかかり始めたが、残念ながら右足首の状態は、まだ万全とは言い難い。引き続きリハビリを続け、シーズン後半に向けてコンディションを上げたいと前向きにとらえる中、「これだけは勘違いしないでほしいし、ちゃんと伝えてほしい」と語気を強めた。

「捻挫してもすぐ復帰できるとは絶対に思わないでほしい。特に中高生の頃は、捻挫なんてケガじゃない、と選手も指導者も考えがちですけど、オリンピックじゃなければ私もあんな無理はしなかったと思うし、捻挫を甘く見ちゃいけない。ちゃんと休んで腫れが引いてからリハビリ、走る、ジャンプと段階を踏まないと絶対にダメだ、と強く書いて下さい」

 自チームだけでなく、次世代へも警鐘を鳴らす。その姿にまた頼もしさを感じ、思わず尋ねた。3年後、パリ五輪はどうする? と。

 即答だった。

「全然。考えてもいません(笑)。でも、女子バレーは面白くない、と思われないように、熱くなるような試合を見せたいですよね」

 先のことはわからない。ただ、確かなこともある。

 あっという間の1年が、また、始まろうとしている。

文=田中夕子

photograph by AFLO SPORT