モウリーニョが笑っている。

 ASローマの新監督として11年ぶりにセリエAへ帰還した“スペシャルワン”は、人が変わったように快活そのものだ。

 指導者キャリア1000試合目となった3節サッスオーロ戦では、91分にFWエルシャーラウィが決めた劇的決勝弾に興奮し、喜ぶ選手たち目がけて約40mを激走。「サッカーを夢見る12歳の少年みたいに走ったよ」。全力疾走する58歳なんてそうそうお目にかかれない。

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 開幕から5勝2敗の4位と好調を維持する一方、7連勝のナポリ監督スパレッティには「まさか全試合勝つつもりか?」とTV中継越しに軽妙なジョークをぶつけて笑いを誘う一幕も。

 誰もがその変貌ぶりに驚かざるをえない。

 インテル時代のモウリーニョは、決して笑わない男だったからだ。

煽り、挑発は日常茶飯事だったインテル時代

 08年の夏、イタリアに上陸してきたモウリーニョは何者も寄せ付けない、孤高の冷徹指揮官だった。メディアを利用しながら毒を吐き、対戦相手を煽り、挑発した。

「ゼロ・ティートゥリ」という言葉がある。

 インテル時代の1年目、09年春の記者会見で、実力ある選手を揃えながらタイトルに手が届かないライバルのローマを揶揄するため、モウリーニョが発したものだ。正しくは「無冠(ゼロ・ティートロ)」と発音するはずが、巻き舌のポルトガル語訛りがかえって挑発的に聞こえたため、インテリスタを中心にカルト的人気を博し、その後、煽り文句として定番化した。

 ローマだけでなく、ユベントスもミランも、自分のチーム以外の世界をすべて敵に回した。それが、結果至上主義者モウリーニョの戦い方であり、サッカー哲学そのものだった。

 365日24時間、隙は見せない。すべては勝利のために自重自制。遠征から戻る深夜の高速特急車内でにこやかにピッツァを頬張る姿を人目に晒すなど、絶対にありえないことだった。

 00年に母国のベンフィカで始めた指導者キャリアには、03年のポルトガルリーグ制覇とUEFA杯優勝を皮切りに、次々とタイトルが積み重なっていった。

 04年にポルトで欧州チャンピオンズリーグを制し、世界をあっと言わせると、翌年にはチェルシーを50年ぶりのイングランド王者に導いた。

 10年にはインテルを率いてイタリア勢初の“トリプレーテ(3冠=CL+スクデット+コッパイタリア)”を達成。翌々年にはレアル・マドリーでスペインリーグも制した。

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 13年からは再びプレミアリーグへ戻り、17年にマンチェスター・UでEL優勝。CLとELを2度ずつ勝った史上唯一の男になった。

 しかしさすがに戦い疲れたのか、ここ数年、モウリーニョの采配は精彩を欠き、チェルシーとマンU、そしてトッテナムでシーズン途中の解任が続いた。特に今年4月中旬、リーグカップ決勝直前にスパーズ監督職を解かれたのは心理的にこたえたのではないか。プライドも傷ついたことだろう。

 だが、挫折を経るたびに、壮年モウリーニョの表情は柔らかくなっていった。

ラニエリもエール「必ずCLに連れて行ってくれる」

 土いじりする彼をSNSで見つけたのは、世界中の人びとが人生について考えをめぐらせていた昨年の春、コロナ禍によるロックダウン中だった。

 クラブが経営するレストランで生活困窮者への炊き出しが決まり、モウリーニョも野菜や果物の収穫に畑で汗を流していた。大地の実りを手にした彼は、憑き物がとれたような笑顔をしていた。

「カルチョが恋しい。イタリア人記者と戦術論議がしたい。イングランドの記者の質問ときたら選手のゴタゴタばかりだ」

 トッテナムを解任された後、モウリーニョはすぐにセリエAへラブコールを送った。ローマが彼にさんざん煮え湯を飲まされた時代を知らない新オーナーのフリードキン一家は、米国人富豪らしい実利主義と高待遇で“スペシャルワン”を迎え入れた。

 あらゆるタイトルを獲ってきた優勝請負人モウリーニョは、そのカリスマと手腕で瞬く間にローマの選手とOBたちの支持を取り付けた。

 かつては守備偏重でボールポゼッションは半ば放棄、縦への速攻一辺倒と批判された戦法も、現チームではFWエイブラハムとFWショムロドフ、そして主将ペッレグリーニを中心に豊富な攻撃オプションを誇る。

「モウリーニョは戦術の研究に熱心だからね。彼はポルトガル人だが、そこいらのイタリア人監督よりずっとイタリア人らしい」

 今月、古希を迎えるベテラン指導者ラニエリ(現ワトフォード)は、08-09年シーズンにはユベントスを、翌シーズンにはローマを率いてモウリーニョと鎬を削った。

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 当時、“スペシャルワン”から「老いぼれで勝者のメンタルがない」だの「長年イングランドにいたのにろくに英語がしゃべれない」だの、さんざん“口撃”を受けたのに、人格者ラニエリは同業者として彼の高い能力を認める矜持は失わない。熱心なロマニスタとしても知られるラニエリ翁は「彼なら必ずローマをCLへ連れて行ってくれるだろう」とエールを送る。

毒舌家・モウリーニョの本質は変わらず?

 モウリーニョといえば、かつては仕立ての良いスーツと革靴、灰色のコートがトレードマークだった。

 少し曲がった背筋にポロシャツとスニーカーを愛用する今のモウリーニョは、4節ベローナ戦に敗れると「言い訳はしない。今日はうちの負けだ」とあっさり完敗を認めて、こちらが驚かされた。

 モウリーニョは好々爺になりつつあるのか。

 否、断じて否だ。彼の毒舌は少しも錆びついていない。

 9月下旬の6節ローマ・ダービーに2-3で敗れたモウリーニョは、3度ブチ切れた。

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 まずは「レフェリーもVARもお粗末だ。我々のレベルにない!」とジャッジの不安定ぶりを批判すると、返す刀で「砂が舞い上がって、攻めるべきときに攻められない! オリンピコの芝はセリエA最悪だ!」とホームグラウンドの整備業者の怠慢もバッサリ。

 さらに、試合後の会見で記者相手にたっぷり愚痴ろうとしたら、リーグ規約と試合主催者であるラツィオの決定権限により会見に出席できる記者がごく少数に制限されることが判明。スペシャルワンは激怒し、対応したリーグ機構役員を震え上がらせた。

「誰だ、そんな馬鹿げたルールを決めたやつは! 私は記者たち全員と直接やり取りがしたいんだ。質疑応答は広報を通して、だと? そんなものはジャーナリズムとはいわん! こんなクソルールはお前のケツの穴にでもぶち込んでおけ!」

 インテル時代にあれだけメディア対応を嫌っていた指揮官と同一人物とは到底思えないが、ローマの同業者たちは大喜びで仕事をしているようだ。

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「キャリアで最も困難なチャレンジ」だからこそ面白い

 深まる秋にローマは、今週末の8節で対ユベントス、来週末の9節には対ナポリ、そして月末の11節では対ミランと難ゲームの連戦を控える。

 永遠の都からはスクデットが絶えて久しい。

 “貴方が過去率いた真のビッグクラブと比べ、見劣りするようなローマからのオファーをなぜ受けたのか?”

 恐る恐る尋ねた地元記者の問いに、モウリーニョはこう答えている。

「ローマの監督をやるということは、これまでの私のキャリアとは異なる挑戦だ。私が過去率いてきたクラブにはどこにも迷いや不確定なことが必ずあったものだが、このローマにはそれがない。自分たちが何者であるか、どこを目指しているか我々全員が理解している。ローマは率いるのが最も難しいチームなどではないよ。私がキャリアで最も困難なチャレンジに挑んでいることは確かだけどね」

 円熟味を増したモウリーニョは、昔よりずっとずっとサッカーを楽しんでいるように見える。

 かつて不倶戴天の敵だった男が、笑顔でいっしょに走り出した。ローマにとってこれほど頼もしい指揮官はいないだろう。

文=弓削高志

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