別れとは、これほどあっけないものなのだろうか。

 10月14日、広島から来季の契約を結ばない選手が発表された。育成選手を含めた6投手の中に、3連覇に欠かせないリリーバーだった「今村猛」の名前があった。

 09年のドラフト会議で清峰高からドラフト1位で広島カープに入団。プロ1年目から先発で2試合に登板し、中継ぎに回った2年目からは毎年当たり前のように、広島ブルペンには背番号16がいた。

 プロ入り1年目から昨年まで11年連続で一軍で投げ続け、登板数は431試合を数えた。12年目で初めて一軍登板なしに終わったシーズン、肩を叩かれた。

 中継ぎとして投げるポジションにこだわらなかった。

「一番しんどいところで投げたい。チームの勝利につながる仕事がしたい。勝負どころなら何連投でもしますよ」

なぜ「戦力外」なのか

 主にセットアッパーを任され、抑えやロングリリーフもこなした。通算115ホールドは球団最多(歴代21位)だ。球団史に輝かしく残る3連覇を支えた立役者のひとり。それなのに、突然の広島との別れが、自由契約でもなく、引退でもなく、“戦力外”による退団という結末はあまりにも寂しい。

 球団は現体制では構想に入っていなかったこともあり、他球団での現役続行の可能性を込めて戦力外としたようだ。ただ、あれだけの功労者ならば、事前に本人の意向を聞く場を設けても良かったのではないだろうか。

 球団からは他球団でのプレー機会を探るための判断だったという趣旨の説明があった。それならば、自由契約として早くから移籍先と交渉できる環境をつくることはできた。過去にも、自由契約を求めた主力はいた。

 本人に現役続行の意思がなければ、“戦力外”ではなく、“引退”と発表することもできた。そうすれば、引退試合や引退セレモニーを設けることもできたはずだ。

 球団が25年ぶりの優勝を遂げた瞬間も、緒方孝市監督(当時)を胴上げする中心から少し離れたところで、破顔したチームメートを見てほほ笑みながら万歳していたように、スポットライトを浴びることを好まない。球団から退団や引退のセレモニーの打診があっても断っていたかもしれない。それでも、チームを去る形は大事なことだったんじゃないか。そもそも、そういった選手たちに温かみがある球団が、広島だと感じていた。

 戦力外通告を真っ先に父親に報告した一方、野球を始めるきっかけを与え、常に一番のファンであり続けた祖母には「まだ言っていないし、言えない。僕をプロ野球選手にしてくれた人だから」と伝えられないでいる。

 テレビ取材では、広島の思い出を聞かれ、思わず涙を浮かべる場面もあった。マウンド上では決して相手に心理を読まれないよう、感情を表に出さなかった右腕が、広島最後の日に感傷的な一面を見せた。

 生き方が少し、下手だったのかもしれない。

 飄々としたマウンドさばきは味方には頼もしく、相手には不気味に映る。ただ、結果が伴わなければ、覇気がないとみられる。

 人見知りで口数は少ないが、情には厚い。同世代選手の結婚が相次ぐ中、独身を貫く理由に「後輩たちにご飯を食べさせてあげたいんですよね」と真顔で言っていたこともある。少しずつ積み上げた人間関係は大事にする。素直すぎるゆえ愛想笑いも得意ではなく、誤解されやすい。

 相反する性格を受け入れながら、やるか、やられるかの世界で戦ってきた。

「変われるところを見せたかった」

「結果がすべての世界。結果を追い求めてやってきた」

 2年目の11年に中継ぎに回ったことが大きな転機となり、チーム3位の54試合に登板した。翌12年からは69試合、57試合と、同学年が大学生活を送る4年間で182試合、プロの世界で投げていた。

 フル回転した代償のように14年から登板数を落としたが、肉体改造とフォーム修正でよみがえった。16年から18年までの3年間には、178試合、9勝11敗、26セーブ、52ホールドで3連覇を支えた。19年に27試合と登板数を落とすと、昨年はわずか6試合登板に終わった。

 ただ、16年の経験があっただけに、再びチームの力になるため、自己改革に取り組んだ。トレーニングと食事管理で体重を12kg落とした肉体は、一回りどころか、二回り引き締まった。

「変われるというところを見せたかった」

 最後に見せた、寡言な男なりの精いっぱいのアピールだったのかもしれない。

 世代交代を推し進めた広島の中継ぎ陣は、今季開幕から勝ちパターンが決まらず、防御率もリーグ4位と安定していたわけではない。継投で苦しむ敗戦は何度も見てきた。球速などの数字では測れない実績ある投手が、入り込む余地がなかったようにはみえなかった。

 1人の中継ぎとしてだけでなく、ブルペンでの心構えや準備など、若返った中継ぎ陣に伝えられることもあったに違いない。

 二軍の開幕から8試合連続無失点のスタートを切った。優勝争いやクライマックスシリーズ争いのしびれる場面で投げ続けてきた投手が、二軍のマウンドで気持ちを維持するのは簡単なことではない。マウンド上で分泌される、アドレナリンの量も違う。パフォーマンスもきっと変わってくる。だからこそ、これまでのように結果で一軍昇格を掴み取ろうともがき続けてきた。

 二軍でチーム2位の36試合に投げ、防御率は2.78だった。シーズン途中に昇格した投手よりも、結果を残しても一軍には呼ばれなかったという事実が、構想外を浮き彫りにした。

最後のマウンドになるのか

 もしこのまま現役を終えることになれば、9月25日に山口県岩国市にある由宇練習場で無観客で行われた、ウエスタン・リーグの中日戦のマウンドが最後だったことになる。

 ファンの前で投げられなかったこと以上に、マウンドという戦場で自分自身にケリをつけられていない気がする。第一線で戦った選手たちは自らの最期を悟り、自らの意思でユニホームを脱いできた。今村のプロとしての矜持は宙に浮いたままではないか。

「今年1年が最後だと思ってやってきた。まだやれるかなという気持ちもありますけど、まだやれるからやるというのも、最近違うなと」

 貫いてきたカープ愛やこれまでの言葉、このときの表情からは引退の2文字に傾いているように感じられたが、言葉では「(今後は)未定」としか言わなかった。宙を見つめるその視線は、プロ野球選手としてケリを付けられていない自分の着地点を探っているようだった。

文=前原淳

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