シーズン最終盤。セ・パ両リーグのペナントレースはヒートアップしているが、ここへ来て同世代の3人の投手の存在がクローズアップされている。ロッテの佐々木朗希、オリックスの宮城大弥、ヤクルトの奥川恭伸、いずれも2019年のドラフトで入団した若手だ。

「松坂世代」「ハンカチ世代」「大谷世代」など同学年の選手を「世代」と呼ぶならわしからして、この世代のフラッグシップはともにドラフトで複数球団が競合で指名した佐々木朗希か奥川恭伸か、ということになる。

 まだ「朗希世代」という言葉はないが――異色なのは、世代のフラッグシップ候補たる佐々木朗希が甲子園に出場しなかったということだ。これも「時代の趨勢」なのかもしれない。

 そんな3人の高校時代を振り返ってみる。

「異例の球数の少なさ」で甲子園準優勝した奥川

 高校時代に最も実績を残した奥川恭伸は北陸の名門、星稜高校出身。2年春から甲子園に4期連続で出場。3年夏の甲子園では準優勝に輝いた。

甲子園で準優勝した奥川は表彰式後に笑顔を見せていた ©Hideki Sugiyama

 この時に当コラムで書いたが、奥川は5試合41.1回を512球で投げるという記録を残している。1イニング当たりの投球数は12.39、1イニング15球を割り込めばプロでも優秀と言われる中で、驚異的な数字を残した。

 回転数の多い速球、さらにはレベルの高い変化球を持ち、すべての球種でストライクが取れる。まさに正統派の好投手の片鱗を見せていたのだ。

 この2019年は「投手の障害予防に関する有識者会議」が設けられた年であり「球数制限」が大きなテーマになっていた。星稜高校の林和成監督は他の投手も併用して奥川に負担が集中しないように配慮していたが、奥川自身も抜群の効率性で、リスクの少ない投球をしていたのだ。

 そのスタイルには田中将大を想起した。田中も高校、NPB、MLB時代を通じて非常に効率的な投球をした投手だ。奥川はプロ野球で成功する資質を有していると思った。

甲子園で先発は一度だけだった宮城と、佐々木の秘話

 宮城大弥は、佐々木や奥川に比べれば目立たない存在だった。沖縄・興南高校時代は1年夏、2年夏に甲子園に出場しているが、1年は1回戦、2年は2回戦で敗退。宮城は3試合に投げたが先発は1度だけだった。宮城が出た興南高校の校舎には「宮城大弥投手、オリックス1位指名」の垂れ幕がでかでかと掲げられていた。春季キャンプ時に会った那覇市の野球好きは「あんな小さな体で偉いけども、本当に大丈夫か」と話していた。

 171cmと小柄であり、球速もそれほどではない。しかし抜群の制球力と切れのある変化球、そして内角にズバッと投げ込む勝負度胸がある左腕投手だった。いわば玄人好みのする投手だったと言えよう。ただ、高校時代の印象では「救援投手」という感じだった。

 そして佐々木朗希についてだが、筆者は思わぬ経験をした。

スポーツクリニックで「この時期を無理をさせると……」

 2019年春、筆者はあるスポーツクリニックの取材をしていた時のことだ。

 診察室から見上げるような長身の野球選手と指導者が出てきた。佐々木朗希と大船渡高校の國保陽平監督だった。「書くなよ」とドクターから釘を刺されたので当時は書かなかったが、このとき佐々木は自身の肘の状態をチェックしていたようだ。「この投手は、まだ骨端線が閉じていない(骨の成長が続いている)。この時期に無理をさせると将来に影響が残る」というドクターのアドバイスがあったと國保監督は語っている。

 國保監督は、筑波大学体育専門学群卒業。大学の硬式野球部では川村卓監督(現准教授、当時は講師)に師事した。川村先生からは野球だけでなくスポーツコーチング学なども学んだ。卒業後は、米独立リーグでプレーした後に高校野球指導者となった。この経歴から見てもわかるように「甲子園至上主義」ではなく、アスリートの将来を考える視野の広い指導者だ。この年夏の岩手大会で、佐々木は甲子園出場がかかる決勝戦に登板せず、チームは敗れた。

大船渡高時代の佐々木朗希 ©Shigeki Yamamoto

 佐々木を投げさせなかったことには非難の声が上がったが、國保監督の意志は揺らがなかった。そして秋のドラフトで4球団競合の末にロッテに入団が決まるのだ。

ロッテの吉井投手コーチと國保監督は“同門”

 ロッテで投手陣を指導したのが吉井理人投手コーチ。吉井コーチは引退後、筑波大学大学院に学び、川村卓准教授に師事している。つまり高校とプロでの佐々木の指導者は「同門」である。吉井コーチは筆者に「筑波大学には、様々な競技でオリンピックのメダリストになった教員がいる。そういう先生方からスポーツの多様さ、奥深さを学んだ」と語った。やはり視野が広い指導者なのだ。

 佐々木朗希はある意味で、理想的な進路を選んだと言える。ただ、甲子園に出なかったために実戦で佐々木のマウンドを見た人は非常に少ない。だから「秘密のベール」がかかったような存在ではあった。

2019年夏、3人はチームメートとして戦っていた

 実はこの3人、チームメイトだったことがある。2019年のWBSC、U18ワールドカップだ。韓国のプサン郊外の機張(キジャン)で開催された大会で、3人は揃って侍ジャパンのユニフォームにそでを通した。

 筆者はこの大会を観戦した。

 機張のヒュンダイ・ドリームボールパークは、4面の球場(1面はソフトボール用)が集まった日本にはないベースボールコンプレックスだった。

奥川・佐々木に注目が集まる中で宮城が見せた好投

 侍ジャパンに選ばれた高校生たちは、甲子園の重圧から解放されて、のびやかな表情を見せていた。日本からは多くのメディアが詰めかけていたが、注目は佐々木と奥川に集まっていた。

 佐々木にとっては、甲子園で活躍した全国の有名な同世代と交流する数少ない機会だったはずだ。遠くからでも目立つ、ひときわ大きな体でベンチから声援を送っていた。

 奥川は、登板しないときにはイニング間に外野手とのキャッチボールの相手をしたり、選手にドリンクをもっていったり、甲斐甲斐しく働いていた。そして笑顔が印象的だった。その奥川はカナダ戦に先発し7回自責点1で勝利投手になった。佐々木は韓国戦で先発したものの右手中指に血豆ができて1回で降板。四球と三振を1つずつ記録して無失点だった。

 そんな中で宮城は、先発・救援で3試合に登板した。特に9月1日のアメリカ戦が印象に残っている。小雨が降る中でのナイトゲーム。照明は暗く、良いコンディションとは言えなかったが、最終回に上がった宮城は小気味よい投球を見せ、3者連続三振に切って取った。

 当時も日韓関係は良くなく、日本選手はホテルと球場の往復に終始した。筆者は現地で不快な思いをすることは全くなかったが、日本高野連は日の丸のついたユニフォームを球場外で着用しないなど、細心の注意を払っていた。しかし彼らとて高校生だ。そんな窮屈な中でも3人は同世代として交流を深めたに違いない。

宮城は“外れ外れ1位”ながら1年目でプロ初勝利

 プロに入って以降の2年間も振り返っていこう。

 ドラフトでともに4球団が競合した佐々木はロッテに、3球団競合の奥川はヤクルトに入団。宮城大弥は東邦の石川昂弥、社会人JFE西日本の河野竜生を指名するも、くじ引きで負けたオリックスから外れ外れ1位の指名を受けて入団した。

 3人の中で最初に勝ち星を挙げたのは宮城だった。1年目の10月に一軍に昇格し、11月6日の日本ハム戦で初勝利を挙げた。

3人のうち、1年目で白星を挙げたのは宮城だ ©Kyodo News

 オリックスの春季キャンプは、8人が同時に投げることができる12球団随一のブルペンが売り物だが、今春の宮城はこのブルペンで先輩投手に並んで臆することなく投げ込んでいた。これで一気に注目が集まった。性格的には「いじられキャラ」のようで山本由伸など先輩投手に可愛がられていた。

佐々木のベール、奥川は古田臨時コーチに投げ込み

 佐々木は1年目、二軍戦にも投げなかった。沖縄、石垣島での春季キャンプでもブルペンに入る日は限定され、吉井コーチや井口監督が常に佐々木を注視していた。「秘密のベール」はプロ入りしてからも掛かったままだった。2年目になって佐々木はようやくファームのマウンドに上がるようになった。

 奥川も1年目はシーズン最終戦に先発して2イニングを投げただけだった。2年目の今春、浦添キャンプのブルペンでは、臨時コーチになっていた古田敦也氏が相手をした。コロナ禍で移動が制限された取材陣が群がっていたが、奥川は古田臨時コーチの構えたミットに精度の高いボールを投げ込んだ。

山本由伸に次ぐ宮城、奥川・佐々木のスゴい成績は?

 今シーズンのオリックスの躍進は、打の杉本裕太郎、投の宮城大弥の急成長によるところが大きい。宮城はオールスター戦まで9勝1敗と圧倒的な成績を残し、山本由伸と並ぶ左右のエースになった。後半戦はやや打ち込まれたが、12勝4敗、防御率2.55(以下、成績はすべて10月17日時点)。勝ち星、防御率ともにチームの先輩・山本由伸に次ぐ2位だ。

 奥川恭伸も開幕3戦目に先発したものの、前半戦は4勝2敗、防御率4.19。宮城に比べると今ひとつの成績だった。しかし6月後半から安定感が増し、6月20日以降9試合連続QS(先発で6回以上投げて自責点3以下、先発の最低限の責任)をマーク。通算では9勝3敗、防御率3.02となっている。

今季の奥川 ©Hideki Sugiyama

 注目すべきはK/BB(奪三振数÷与四球数)だ。奥川は83奪三振、与四球はわずかに9。K/BBは9.22。これはセ・リーグで80イニング以上投げた26投手の中でダントツの1位。2位のDeNA今永昇太は4.57だからそのすごさが分かる。秋になってから阪神の中野拓夢、佐藤輝明、広島の栗林良吏の争いと言われた新人王レースに割って入った形だ。

 佐々木朗希は、今季初めて二軍戦に登板。5試合1勝0敗、防御率0.45という好成績を挙げて5月16日の西武戦で一軍デビュー。以後、2週間前後と長い登板間隔で投げたが、3勝2敗57.1回、防御率2.51をマーク。大物投手の片鱗を見せつつある。

 迎えた10月14日のオリックス-ロッテ戦は「天王山」ともいうべき首位攻防の大決戦だったが、オリックスは宮城大弥、ロッテは佐々木朗希が先発。同世代による頂上対決となった。

 筆者は佐々木のマウンドを初めて見たが、足を胸のあたりまで高々と上げ、スパイクの裏側を見せつけてから一気に投げ込む勇壮なフォームに感動した。

まるで「宇宙戦艦ヤマトの波動砲」のように

 同じ大型投手でも藤浪晋太郎は打者をねじ伏せる圧倒的な力感があった。大谷翔平の右腕はすさまじい切れ味を感じたが、佐々木には「宇宙戦艦ヤマトの波動砲」のように全身の躍動を指先の一点に集中させるメカニカルな美しさがあった。

佐々木朗希の投球フォーム ©Kyodo News

 残念ながらこの対決では宮城が早々に打ち込まれ、佐々木の勝利に終わった。しかし奥川も含めた3人の投手は今後も名勝負を繰り広げるだろう。

 21世紀最初の年である2001年に生まれた3投手の世代を「何世代」と呼ぶのか。それはこれからの彼らの活躍にかかっているようだ。

 プロ野球に新たな楽しみができたと言えるのではないか。

文=広尾晃

photograph by Kyodo News