雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」を紹介します。今回は今季限りでの現役引退を発表した亀井善行をはじめ、巨人から印象的な去り方をした3人の選手の言葉です。

<名言1>
このチームで生きていくために、僕は脇役として何でもやらなきゃいけないんだということは理解しているつもりです。
(亀井善行/Number986号 2019年9月12日発売)

◇解説◇
 21世紀のジャイアンツにおいて“最も偉大なバイプレーヤー”を選ぶとするなら。巨人ファンにとどまらず、野球ファンの多くが亀井善行の名前を挙げるだろう。

 2004年のドラフト4巡目で巨人に入団した亀井は、2008年に一軍で結果を残し始めると、持ち前の強肩とユーティリティー性を買われ、原辰徳監督が指揮を取った2009年WBCの日本代表に“サプライズ選出”され、連覇メンバーの一員となった。

2009年WBCでの亀井 ©Naoya Sanuki

 その勢いに乗るかのように同年のレギュラーシーズンでは打率.290、25本塁打71打点12盗塁というキャリアハイの成績を残した。

 ただ亀井がキャリアで規定打席に達したのは、この2009年と18、19年の3回だけだった。度重なるケガとともに、巨人特有の厳しい競争があったからだ。外野手を列記するだけでもラミレス、陽岱鋼、ゲレーロ、丸佳浩と他球団の主力クラスが毎年のように加わってきた。生え抜きにとっては過酷な環境だが、大事な場面では亀井が起用され、結果を残し続けてきた。だからこそ、代打などで登場すると巨人ファンからの声援がひときわ大きくなるのも自然なことだろう。

 2019年、亀井本人は「守備に関しては未だに誰にも負けていない」と語っていた。打力がありながらディフェンスを固めてくれる希少な能力を有しているからこそ、原監督も高橋由伸監督も重宝したのだ。

2021年開幕戦での代打サヨナラホームラン ©Hideki Sugiyama

 2021年もプロ野球史上初となる「開幕戦での代打サヨナラ本塁打」を放つなど、いぶし銀の活躍を見せた。今季限りでの引退を発表し、会見ではファンへの感謝を口にした亀井。10月20日時点でのプロ通算成績は1412試合、1069安打、打率2割5分7厘、101本塁打、462打点。激しい競争を強いられ続けた中で“生え抜き選手”が残したものとして、非常に立派なものだった。

巨人の11年間が自分にとって財産になった

<名言2>
ジャイアンツをクビになった1年前の状況を考えれば、このチームに加入させてもらって本当に良かったなって思っています。
(中井大介/NumberWeb 2019年9月29日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/840909

◇解説◇
 本人もジャイアンツファンも、もどかしい思いを抱え続けていたことだろう。

 中井はプロ5年目の2012年、二軍で最多安打と打点王のタイトルを獲得するなど、近未来の主力としての期待を受け続けた。実際、2013年には48試合に出場。打率.324、4本塁打、17打点と覚醒の気配を漂わせていた。2015年には「巨人の4番打者」を任されたほどだ。

巨人時代の中井 ©Hideki Sugiyama

 高橋由伸監督体制では積極的に起用される期間があったものの、一軍では10年間で161安打に留まった。プレッシャーの中で潜在能力を発揮しきれなかった中井に巨人が“戦力外通告”を告げたのは2018年オフのこと。トライアウトを経て、DeNAに“拾ってもらう”形となった。それでも……。

「この11年間が自分にとって財産になったことは間違いない」

 中井はこう、巨人に対しての感謝を語っていたという。DeNA加入後は内・外野で数多くのポジションを守れるユーティリティープレーヤーとしての役割を果たし、特に2019年はサウスポー相手に積極的にスタメン起用されるなど、チームに渋く貢献した。

古巣の目の前での優勝に涙したワケ

 そんな2019年終盤戦では、目の前で巨人の胴上げを見つめる立場となり、涙を流したことが話題となった。当時の心境について、中井はこう語っていた。

「もしかしたら意識はしていなくても感情のなかに何かあったのかもしれないけど、僕としてはただ純粋に悔しくて、込み上げてくるものがたくさんあった。勝っていたのに追いつかれて、逆転された。本当に悔しいなって」

 ベイスターズの一員として優勝したい。その思いがひときわ強かったからこそだったのだ。

20日の試合で中井はベイスターズ、巨人両チームから花束を贈られた ©Kyodo News

 中井はDeNAから来季の契約を結ばないことを告げられ、今季限りでの引退を決断。10月20日には現役最後の打席に立った。対戦相手は巨人。かつてのチームメートである畠世周からライト前ヒットを放つと、両チームのファンから大きな拍手が送られたのだった。

<名言3>
もし、僕がチームを優勝させられる存在なのであれば、とっくにオファーは来ていたと思います。
(村田修一/NumberWeb 2020年12月12日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/846207

◇解説◇
 巨人軍と言えば、毎シーズンのオフにウィークポイントとされたポジションに、国内FA権を取得した他球団の選手に対して積極的にアプローチし、獲得してきた“履歴”がある。

 村田修一もその1人である。

 ベイスターズ時代には2007、08年の2年連続本塁打王を筆頭に、9シーズン連続2ケタ本塁打をマーク。「松坂世代」の打者において、ナンバーワンの長距離砲へと名を上げていた。その一方で当時低迷が続いていた横浜では上位進出がままならず、“優勝を目指したい”との理由で2011年オフに巨人へのFA移籍を決断した。

 巨人での6年間も2ケタ本塁打記録を伸ばし続け、安定したサード守備でもチームに貢献。2012〜14年にはリーグ3連覇を経験し、2012、13年と2016年にはベストナインに輝いている。

三塁の守備位置につく村田 ©Nanae Suzuki

 ただし巨人の主軸を張るという期待値、そのコインの裏と表の関係である重圧はあまりに大きく、併殺打の多さなどを一部で叩かれることもあった。

戦力外通告にも「ありがとうございます」

 そんな村田にも世代交代の波が一気にやってくることになった。巨人が11年ぶりのBクラスに沈んだ2017年オフ、球団は若返りを図るため、当時の鹿取義隆GMが刷新の道を選んだ。その1人となったのは村田。「来季の契約を結ばない」との報は、ファン視点から見れば“功労者への非情なリストラ”と憤っても仕方ないものだった。

 ただ、村田は「ハッキリ言ってくださって、ありがとうございます」と感謝の言葉を口にしたという。

©Hideki Sugiyama

 なぜか。それは当時の村田が推定年俸2億2000万円と高額だったという側面がある。この年に村田は2度目のFA権を取得していたものの、その年の12月に37歳となるサードに手を出す球団がどれだけあるか……「せめてもの誠意」(鹿取GM)として、フリーの立場で新天地を探してほしいという“恩情”があった。

 村田には結局NPBからの声はかからず、BCリーグ栃木入団の道を選んだ。1シーズンプレーしたのち、バットを置くことを選んだスラッガーに対して、巨人は2018年9月28日のDeNA戦で功績をたたえるイベントを開催。“別れの花道”を、そして翌年からは指導者のポストを用意。現在は一軍野手総合コーチを務めている。

文=NumberWeb編集部

photograph by Hideki Sugiyama