発売中のNumber「新しい金メダリストのつくり方」では、スケートボードのオリンピック初代王者・堀米雄斗を大特集。本人へのインタビューのほかに、豊富な幼少期の写真を載せつつ、アスリートとしての成長の軌跡を追った「YUTOを導いた“3人のオヤジ”」を掲載した。今回はその取材の中で各方面から聞こえてきた、堀米の意外な一面をご紹介する。

 お堅く言うなら“人徳”、ちょっと穿った感じなら“人たらし”、今風に言うなら“愛されキャラ”だろうか。

 日本で、そして彼が拠点を置くロサンゼルスで本人や関係者へのインタビューを重ねた今回の取材で浮かび上がってきたのは、堀米雄斗のそんな資質である。

「本当に人懐っこいですよ。そのへんが彼の強みなんじゃないですかね。計算しているとも思えないけど、なんかズルいんですよ」

 笑いながらそう語るのはLAのリトルトーキョーにあるスケートショップ『Non Factory』の店長、岡部徹也さんである。堀米の行きつけのショップであり、週に1度ぐらいは食事にも行く仲だという。岡部さんが明かしてくれたのはスケボーに乗ったクールな姿とはまるで違う、手のかかる日常の姿である。

「車を一緒に買いに行ったんですよ。時間はもちろん15分くらいは遅れてくるんですけど――」

 岡部さんの口ぶりでは、馴染みの相手にはそれぐらいはデフォルトであるらしい。ディーラーに着いて「免許証持ってきた?」と確認すると忘れたという。「テストドライブするんだから、持ってこなくちゃダメじゃん」

 幸い店が混み合っていたので2時間半後に出直すことになったため、堀米は一度自宅に免許証を取りに帰ることができた。

「それなのに……また忘れてきたんです」

 しばらく日にちが経った頃、電話で話していると堀米が言った。

「徹也さん、僕、車買ったんですよ」

 岡部さんにはもう返す言葉がなかった。

30秒後の「徹也さん、ありがとうございます」

 岡部さんの店にはセレブ御用達ジュエラーと言われるベン・ボーラーも訪れる。堀米がジュエリーに興味を持ち始めた頃、ちょうど2人が同じタイミングで来店していたため、簡単に引き合わせたことがあったという。「だから雄斗が一番最初に買ったジュエリーはたぶんベン・ボーラーだと思います」。

 そのベン・ボーラーが堀米の金メダル獲得後にやってきた際、「雄斗を紹介してくれてありがとう。オリンピック勝ってよかったね」と祝福してくれたという。そのことを岡部さんは堀米に電話で伝えた。

『きちんと雄斗のことを紹介したわけでもなかったのに、ありがとうってめっちゃ言われたんだ。あの人ギャングスターみたいな顔してるけど、ああいう気遣いのできる男になった方がいいよ』

 そう伝えた30秒後、堀米が言った。

「徹也さん、ベン・ボーラー紹介してくれてありがとうございます」

 そういう男になったら?と提案したすぐ後に、その通りに言ってくる。しかもアドバイスをしたその人に向かって。

「もうなんなんでしょうか?」

©Yoshiyuki Matsumura

堀米「荷物4つも積んだらダメですよね?」

 仲がいいがゆえに岡部さんが面白おかしく話しているところもあるのだろうが、映像やコンテストで見せるキリッとした表情と普段の姿にはかなりのギャップがある。集中と散漫の切り替えは意図的なものなのか。スイッチがオフのときはもう伸び切った輪ゴムのように弛緩しきっている。

「ホントにそうです。自分が好きと思ったことにはすごいんですよ。やりたいと思ったことは200%の力でできる。それ以外は……結構できない」

 と困ったように言いながらも岡部さんは温かい笑みを浮かべるのだった。

 東京オリンピックに向けてロスの自宅から出発するときもそうだった。岡部さんが迎えに行くと、モヤっと準備はできている。しかし、あくまでモヤっとした準備だ。

「これ、荷物4つも積んだらダメですよね?」
「いや、もっとまとめればいいじゃない」

 というやり取りがあって、岡部さんが荷物をコンパクトにまとめ直してあげて空港へ向かった。そうやって東京で金メダルを取った。

「昭和の子みたいだ」

 それでも、ただ手のかかる人間や迷惑を撒き散らすだけの人間であれば、これほど周りに手厚くサポートしてもらうことはできないだろう。堀米の父・亮太さんも言っていた。

「雄斗は小さい頃から周りの大人にかわいがられていました。『昭和の子みたいだ』って言われてね」

父

 果たしてその“愛され“の裏にあるものは何なのか。それを考えていくと結局は“愛”に行き着くのかもしれない。今号のインタビューで堀米が語っていたスケートボードへの愛情である。

 岡部さんも「本当にスケートボードはLOVEなんですよね」と揺るがぬその部分をまず真っ先に認めている。

「最初は結構人見知りなんですよ。でもスケートの話をしていると、ふっとスムーズに話し始める。オリンピック前も身体検査だなんだでLAの病院に行く必要があって、どれだけ時間が割かれても必ず1日2時間は滑っていました」

 さらにこう付け加えた。

「そういえばスケートをしに行くまでが嫌だってことも言ってましたね。スケートが始まればいいけど、パークまで車で行くとかがすごく面倒くさいみたい。だからどうにか誰かにそこまで連れて行ってほしいって」

 まさにスケートボードその一点のみに捧げられた愛なのである。

「彼はすごい量を食べるんです」

 岡部さんの妻、小川彩さんも今は岡部さん以上に堀米を支えている1人だ。

 日常会話には全く不自由していない堀米だが、医学用語などはやはり理解しにくいものもある。そのため、体調を崩したり怪我をしたりすれば彩さんが付き添って病院に行ってくれる。そして、ほぼ自炊をしない堀米に貴重な“おふくろの味”も提供している。

「ご存知かもしれないけど彼はすごい量を食べるんですよ。それで1週間に1回ぐらいは色々作って渡してるみたいですね」(岡部さん)

 上京した大学生への仕送りさながらに、煮物やら豚汁やらのおかずをあれこれと詰めて渡す。五輪前も彩さんの料理で腹ごしらえして日々の練習に励んでいた。そして最近ではごはんを受け取るためにお店に立ち寄っている節さえあるという。

©Getty Images

2人の“アメリカの母”

 堀米にとって“アメリカの母”と呼べるような存在は彩さんだけではない。アメリカでの大会に初めて出場した15歳の時、約1カ月ホームステイをさせてくれた吉田宏之さんの妻・有紀さんも当時から堀米を支え続けてくれている1人だ。

 2018年頃、アメリカのスケート関係者と一緒に家を借りた時は、契約関係の書類などこみ入った部分に関しては有紀さんが面倒を見てくれた。最近も自動車免許の取得講習に同行してもらったり、運転の練習に付き合ってもらった。現在もさまざまな場面で力を借りていて、アメリカでの暮らしに欠かせない存在になっている。

 有紀さんの堀米に対する印象も他の人たちと大きく変わりはない。

「ルームシェアしていたアメリカのプロスケーターやスケートボード関係者にも支えられていて、みんなにすごくよくしてもらっていました。小さい頃からずっと大人の中で育ってスケートしているからなんでしょうね。初めて会った15歳の頃からあの感じで、スケートしていない時はボーッとしていて、周りが自然と支えてあげたいなと思うんです」

 のんびりと見える一方でスケートボードに関しては15歳の時から自立していた。当時は有紀さんがパークまで送り届け、しばらくしたら迎えに行くという日々を送っていた。

「今日はどうする?と聞くと、今日はどこどこのパークで何時間滑りたいとはっきり言うんです。英語は喋れなかったけど、スケートが上手いからパークで話しかけられるみたいで、その子たちと約束しているから何時にここに行きたいと言うんです。あの頃からスケートボードに関しては自分の希望をすごくきちんと伝えてきました」

 五輪を終えてアメリカに戻ってくると、金メダルを見せにきてくれた上に五輪で着用したサイン入りユニフォームを届けてくれた。右胸にNIKEの文字がなく、左腕にはJPNの文字が入った選手用の特別モデルだ。だが、もらったシャツにはなぜか食べこぼしのようなシミが付いていたという……それもまた堀米らしさだろう。

 そして、誰もが口を揃えるのが金メダリストになったからといって堀米が変わったところはないということだ。

「常に上を目指していて、今も全然ゴールじゃないから天狗になったりしないんだろうなと思います。それは15歳の時から変わりませんね」(有紀さん)

「何度か会うとみんな彼のことを好きになるんじゃないですかね。みんなでわいわいがやがやもできるタイプだし、アメリカのプロにもめっちゃ可愛がられてますよ」(岡部さん)

 そんな彼の人柄に魅了され、ときにはちょっぴり振り回されながら、これからもたくさんの人たちが堀米の活躍を支えていくのだろう。

文=雨宮圭吾

photograph by Yoshiyuki Matsumura