時計の針は23時をまわっていた。

 日本一に輝いたヤクルト・高津臣吾監督の胴上げを見届けると、オリックスの選手、スタッフはグラウンドに整列し、スタンドに挨拶した。終電を気にしながらも最後まで戦いを見届けた神戸のファンから、温かい拍手が送られた。

 声には出せないが、「よく帰ってきてくれた」「ありがとう」という思いが伝わった。

神戸への帰還を決めた第5戦

 その2日前、11月25日のことだった。

「#神戸に帰ろう」

 この言葉がツイッター上にあふれ、トレンドワードとなった。

 オリックスが11月24日の日本シリーズ第4戦に敗れ1勝3敗と追い込まれたことを受け、ファンが祈りを込めて発信した。25日の第5戦に勝てば、ほっともっとフィールド神戸で開催される第6、7戦に持ち込むことができるからだ。神戸での日本シリーズ開催は、オリックスが日本一になった1996年以来、25年ぶりとなる。

 その第5戦は、まさに今季、中嶋聡監督のもとオリックスが掲げてきた「最後まで諦めずに戦う」を貫いた試合だった。8回裏にタイラー・ヒギンスが3点本塁打を浴び同点に追いつかれたが、9回表に代打で登場したアダム・ジョーンズが決勝本塁打を放ち、6−5で勝利。神戸への帰還をかなえた。

 試合後のお立ち台で、中嶋監督は自ら第6戦の先発投手を宣言した。

「山本由伸で、タイに持っていきたいと思います」

 その名をここで告げることが、ファンを沸かせるだけでなく、選手たちに勇気を与え、奮い立たせることにつながる。そんな計算もあってのことだろう。

 山本には重圧になったかもしれないが、東京五輪の開幕戦や、韓国との準決勝という重圧のかかる大一番で結果を残してきた日本のエースは、やはり動じなかった。

©︎Nanae Suzuki

 初回から捕手・若月健矢の構えたミットに吸い込まれるようにストレートが突き刺さる。試合開始時の気温が約8度という寒さの中、かじかむ右手にハーッと息を吐きながら、アウトを重ねていった。

 5回表に塩見泰隆のレフト前ヒットで1点を失うが、その裏、オリックスも若月が内野安打で出塁し、福田周平のしぶとい打撃で同点とする。

 圧巻だったのは6回表のマウンドだ。ここまで守備で貢献してきたサード宗佑磨、ショート紅林弘太郎に失策が続き、無死一、二塁のピンチを背負う。ここで山本はギアを上げた。雄叫びをあげながら投げ込み、内角のストレートで5番・サンタナのバットを折って詰まらせ、併殺を奪う。6番・中村悠平はカーブでショートゴロに打ち取って無失点に抑え、味方を救った。これぞエースの仕事だ。

©︎Nanae Suzuki

 そして9回表、この日2度目の登場曲『Frontier』が流れ、スタンドの大きな手拍子の中、山本がゆっくりとマウンドに向かった。8回は山田哲人、村上宗隆、サンタナのクリーンアップを3連続三振に取り、この時点で球数は自身最多と並ぶ126球。それでも続投を志願した。9回も3人で抑え、日本一への夢をつないだ。

神戸の「青濤館」に入寮した最後の世代

 神戸の地で、山本由伸が日本シリーズに登板する、というのが感慨深かった。

 ほっともっと神戸はかつてのオリックスの本拠地で、現在もレギュラーシーズンで主催試合が開催されている。

 以前は球場から徒歩10分ほど離れたところに合宿所「青濤館」があった。イチローをはじめとするスター選手が巣立った聖地だ。2017年3月に、合宿所は大阪市の舞洲に移転し、「青濤館」の名前も舞洲の施設に引き継がれた。

 山本をはじめ、山岡泰輔、山崎颯一郎、澤田圭佑、黒木優太ら2017年入団の選手たちは、神戸の「青濤館」に入寮した最後の代の選手だった。

入寮時の様子 ©︎Noriko Yonemushi

 彼らは2017年1月に神戸「青濤館」でプロ生活をスタートし、3月に舞洲に引っ越したため、神戸で過ごしたのは2月のキャンプが始まるまでのわずか1カ月間だったが、その年1月9日に入寮した山本は、「この寮も、新しい寮も、両方で生活できるのはラッキーだなと思います」と屈託のない笑顔で話していた。

 その約1カ月間、新人選手はふとした瞬間に伝統の重みを感じた。空き部屋のまま保存されていた406号室の「鈴木一朗」のネームプレートを見た山本は、「イチロー選手はずっとテレビで見ていた憧れの存在だった。そういう人が、ほんのちょっとですけど、身近に感じるというか。すごいところだなと思いました」と初々しく語っていた。

 山本が今年、五輪やCSなど未経験の舞台に向かう前に口癖のように言っていた「ワクワク」も、入寮時からすでに使っていた。

「明日から合同自主トレが始まるので、ワクワクしている気持ちが一番大きいんですけど、あんまり張り切りすぎて怪我をしないように、しっかり準備をしてやっていこうと思います」

 同じ日に入寮した山岡は、「将来、『あの寮に最後に入った年の選手はよかったよね』と言われるようになりたい」と語っていたが、まさにそれが現実となっている。

鮮烈だったブルペンデビュー

 山本のブルペンデビューは鮮烈だった。入寮1週間後の1月16日に、山本と澤田が新人の中で最初にブルペンに入ったが、山本の球を目にしたコーチ陣は色めき立ち、記者陣もざわついた。都城高校時代は、九州では名を知られていたが、甲子園出場経験はなく、全国的にはあまり注目されていなかった。その場にいたほとんどの人間が、その日初めて山本のボールを見て、唸りを上げるストレートに目を奪われた。

 それでも、「フォームを意識しながらなので、8割ぐらいでした」と言ってのけた。

 将来的な目標を聞くと、「球界を代表するピッチャー」と答えた。

入団会見で抱負を述べる山本由伸(2016年12月)©️Sankei Shimbun

 それから5年。もともとの素材も素晴らしかったが、その後の進化の早さもとてつもなかった。

 1年目の8月に一軍初勝利を挙げると、2年目はセットアッパーとして活躍。3年目から先発ローテーションに入り、2019年は最優秀防御率、20年は最多奪三振のタイトルを獲得。若くして「球界を代表するピッチャー」となり、東京五輪では日本のエースとして金メダル獲得に貢献した。

 今シーズンは5月28日から15連勝でレギュラーシーズンを終え、18勝5敗、防御率1.39、206奪三振で、最多勝、最高勝率、最優秀防御率、最多奪三振の投手4冠に輝き、沢村賞も受賞した。

 5月28日のヤクルト戦から11月27日の日本シリーズ第6戦までの6カ月間、東京五輪も含め、山本はすべて2失点以内に抑え、一度も負けがつかなかったというのは驚異的だ。それができた要因の1つは修正能力の高さである。

 7月からバッテリーを組んでいる若月は、こう語っていた。

「ブルペンでは、力んでいたり、変化球がわけわかんないところに行ったりすることもあるんですけど、マウンドに上がればしっかり普通になっているので、さすがですよね。例えば試合中、『今日フォーク落ちないな』と思っていても、その回が終わってベンチに帰ると、『今日こうなってますよね。でも次の回から落とすんで、フォーク消しちゃダメですよー。もっとサイン出してくださいね』って言ってくるんです。次の回までに直すって、すごいなと思いましたね」

 年々ストレートに磨きをかけ、変化球の精度が増し、引き出しも多くなっている。CSファイナルステージや日本シリーズでは、昨年まであまり多くなかったカーブが有効だった。

 若月は、「サインは1つなんですけど、僕のジェスチャーとかによって、緩い110キロ台のカーブから、130キロ台のカーブまで使い分けて投げている。カーブだけで約20キロも差をつけられるので、それだけで打者は2球種ぐらいの感覚になっているんじゃないですかね」と言う。

捕手・若月と言葉をかわす山本 ©︎Nanae Suzuki

 そんな無敵のエース山本が、日本シリーズ第6戦で、自身最多の141球に魂を込め9回を投げ切ったが、打線の援護は1点のみで、試合の決着はつかず。延長10回から継投に入ったが、12回表に1点を奪われ、オリックスの2021年は幕を閉じた。

 山本は今年、東京五輪金メダル、パ・リーグ優勝、CSファイナルステージ優勝、投手4冠、沢村賞と、ここまで獲れるタイトルはすべてつかみ取ってきたが、ただ一つ、日本一にだけは届かなかった。

 だが23歳のエースはまだ成長の途上にある。周囲の想像が追いつかない進化の先に、日本一はきっとある。

文=米虫紀子

photograph by Hideki Sugiyama