うわ、痛っそう。
 担架、呼んでるよ。
 ×サイン出てる、交代だ。
 そのままロッカールーム、戻っちゃうね……。

 スタジアムでも、テレビ観戦でも。サッカーの試合中、大きな怪我を負った選手を見ることができるのは、ここまでだ。後日、クラブから傷病名と全治までの想定期間が記されたリリースが出され、そこでメディアも、ファン・サポーターも、事態の深刻さを把握することになる。痛みが走った瞬間の状況、担架で運ばれている間の心境、ロッカールームで受けた処置、リハビリ期間の葛藤が、本人の口から詳しく語られることは、滅多にない。

 だから、FC東京2年目のサイドバック、中村帆高に訊いてみた。右膝半月板損傷、全治約6カ月の怪我に見舞われたとき、ぶっちゃけどうでしたか――。

右足を踏み込んだ瞬間「パキッ」

 4月3日、豊田スタジアムでの名古屋グランパス戦でのことだ。中村は試合開始10分過ぎに右膝から聞こえた音を、今でも鮮明に覚えている。

 パキッ。

「ボールもないところで、右足を踏み込んだ瞬間でした。ただ、普段の生活でも膝がパキッと鳴ることって、あるじゃないですか。だから、それと同じだと思っていたんです。痛みは感じましたけど、“これぐらいなら、やれるな”って程度で」

 その10分後である。名古屋のマテウスのドリブルを阻もうとしたとき、今度は左足の太もも裏から嫌な音がした。

 ピキッ。

「おそらく右膝をかばいながらプレーしたことで左のハムストリングに負担がかかって、肉離れが起きたんだと思います。すぐに、これは無理だと」

 ピッチに倒れ込んだ中村の状態を見た森重真人が、ベンチに向かって×サインを送る。

横たわる中村を心配そうに見つめる森重らⒸF.C.TOKYO

 すぐに担架が駆け付け、痛みに顔を歪めたままロッカールームへ運ばれた。しかし、この時点で彼が気にしていたのは、後に半月板損傷と診断される右膝ではなく、左の太もも裏のほうだった。

「膝よりもハムストリングのほうがかなり痛くて。ピッチに入ってきたトレーナーも、ロッカールームで診てくれたドクターも、左足を優先してケアしてくれました。右膝のアイシングは“一応、やっておくか”という程度で。僕自身も、右膝に痛みは感じていましたが、パキッという音を聞いてから10分くらいはプレーを続けられていた。もし左の肉離れがなかったら、半月板を損傷したままハーフタイムまで試合に出続けていたかもしれない。結果的には、肉離れが起きて良かったですね(苦笑)」

 非常事態に気付いたのは、チームメイトとともに東京行の新幹線に乗ってからだ。みるみるうちに、“一応”アイシングしていた右膝が腫れていく。東京駅からチームバスに乗り込む頃には、耐えきれないほどの痛みが襲ってきた。

 翌日、クラブハウスでチームドクターにこう伝えた。

「どっちかって言うと……左のハムストリングより右膝のほうが痛くて」

 右膝を見たドクターも、すぐに異変を察知した。

「半月板をやっているかもしれない」

 すぐに1人で提携先の病院へ向かい、MRI検査を受けた。

「試合の直後は、まさかこんなに大きな怪我だとは思っていなかったし、思いたくもなくて。お願いだから、無事であってくれって」

 夜、病院から診断結果を伝える電話がかかってきた。願いは叶わなかった。

「『右膝の半月板を損傷していて、手術が必要です』と。手術には復帰まで全治3カ月のものと、全治6カ月のものがある。6カ月の手術は、復帰までの時間はかかるけど、最先端の医療技術による方法で再発のリスクは少ない。『今すぐに決断しなくていいので、どちらか自分で選んでください』と伝えられました」

「3カ月」と「6カ月」どっち?

 中村は明治大学から加入した2020年、いきなり開幕スタメンに抜擢され、リーグ戦28試合に出場した。2年目の今季は、プロとして確固たる地位を築くための「勝負の年」だと考えていた。残りのサッカー人生を削ってでも、できるだけ早くピッチに戻りたい。でも、再発のリスクを抑えて、万全の状態で戻るべきではないか。「3カ月」と「6カ月」の間で、心が揺れる、揺れる。

「あの判断をするときが、一番つらかったですね。膝の手術の経験もあるナオさん(石川直宏)に相談したり、それでもまた迷ったり。お医者さんが決めてくれたほうが、どれだけ楽か……。最終的に考えたのは、目の前よりも将来的にどのような選手になっていたいかということ。今は全治までの3カ月間の差がすごく大きく感じるけど、今後のサッカー人生と引退後のキャリアを考えて、たとえ全治までの期間が長くても、より良い状態で復帰することを選びました」

 リハビリノートを書き始めたのは、この頃だ。

リハビリ生活を綴ったノートを持参してインタビューに応える中村帆高 ⒸF.C.TOKYO

「6カ月もサッカーができなくなる経験自体が初めてだったので。この期間を自分がどう過ごしたのか、どう感じていたのか、文章で残しておいた方がいいと思ったんです。この先、つらいことも、悲しいことも色々あるだろうから、弱音を書き出してもいい。6カ月の手術を受けることを決断するまでは、『自分は、これから一体どうしたいんだ』という迷いも書きました。ただ、自分の弱さを素直に受け止めた上で、なるべくポジティブに締める。そこは意識していましたね」

 4月14日、手術室で自身の半月板と“対面”した。麻酔は下半身だけ。まずはメスで膝を開いて、中村自身も実際に半月板の状態を見て、本当に全治6カ月の手術が必要かを確認する。結果は、MRI検査による診断どおり。事前に予定していた手術方針のまま進めることが決まった。

「よろしくお願いします」

 執刀医への言葉とともに、全身麻酔に切り替えて眠りについた。

 6カ月の長いリハビリ生活は、強烈な痛みとともに開幕した。無事に手術を終え、病室で軽い食事を終えた頃、麻酔が切れた右膝が悲鳴を上げた。

「死ぬほど痛くて、ナースコールを30回は鳴らしました(笑)」

 リハビリのスタートは、松葉杖で体を浮かすことから。それができたら、1週間をかけて片足ずつ地面に乗せて、次はようやく仁王立ち。両足で歩けるようになるまで2カ月かかった。そんな状態だから、退院して寮に戻ってからの生活も苦戦の連続だった。リラックスタイムであるはずの入浴も、「地獄」。足をぴーんと伸ばしたまま、慎重に、慎重に、湯に体を沈めた。

 不自由な生活も、膝の状態が少しずつしか良くならないことも、手術前から覚悟していた。むしろ難しいのは、体よりもメンタルのコントロールだった。中村の離脱後、FC東京はリーグ戦で5連敗を喫した。通常、メンバー外の選手たちはスタンドから試合を観戦するが、中村はそれも叶わない。苦しむチームメイトたちを、寮のテレビで1人見つめていた。

「サッカー選手って、プレーできないこと、試合のピッチに立てないことが、一番メンタルをやられるんです。試合の結果や内容に一喜一憂してしまうと、自分が出られない悔しさや焦りが出てきてしまう。それがストレスにつながる。だから、リハビリ中はあえて“無”の状態で試合を観ることを意識していました。一旦、東京の選手である自分は切り離して、1人の視聴者としてフラットに観ようと」

焦る気持ちを抑えて懸命なリハビリ生活を過ごしてきたⒸF.C.TOKYO

憧れの長友が加入、健太さんに誓う活躍

 6カ月の月日が経てば、チームの編成も少なからず変わる。ましてや中村のような主力選手が離脱すれば、クラブが新戦力の補強に動くのは自然な流れだ。9月、明治大学の先輩であり、同じサイドバックの長友佑都がチームに加わった。

「学生時代に佑都さんの著書を読んでいました。そんな人ですから、サッカー選手として、アスリートとしてめちゃくちゃ尊敬しています。盗めるところは、何でも盗みたい。でも、僕は佑都さんを目指しているわけじゃない。長友佑都は長友佑都。中村帆高は中村帆高。佑都さんの良いところを盗みつつ、僕は自分の価値を高めたいと思っています」

 離脱中に変わったのは、メンバーだけじゃない。昨季、中村をルーキーながらスタメンに抜擢し、その守備力を「特殊能力」と高く評価していた長谷川健太監督が、11月7日に辞任した。中村は別メニューでの練習だったため、指揮官がクラブを去る日に直接挨拶することができなかった。だから後日、恩師の電話を鳴らした。

長年チームを率いた長谷川監督が辞任するなど、復帰後の環境は大きく異なっていたⒸGetty Images

「健太さんから、『帆高にはすごいポテンシャルがあって、いいものを持っている。だから自信を持て。今までどおりやっていけば、必ず道は開けると思う』と言ってもらえたんです。ありがたかったですね。今年、何とか健太さんの力になりたいと本気で取り組んだ中で、怪我をしてしまった。本当に申し訳ない気持ちがありました。ただ、プロは甘い世界じゃない。監督がシーズン途中に替わるのも想定されること。それは認識した上で、この世界に飛び込みました。だからこそ、今年、健太さんの力になれなかった分、これからの活躍で感謝の気持ちを健太さんに届けたいと思っています」

 11月27日、道を切り開くための第一歩を踏み出した。

 サンフレッチェ広島戦の後半26分、238日ぶりに公式戦のピッチに立った。ファーストプレーでは、相手のクリアボールに体を投げだして飛び込み、フリーキックを獲得。後半37分にカウンター攻撃を受けた場面では、センターサークル付近から全速力で戻り、浅野雄也のシュート寸前で体を入れる。後半40分にはジュニオール・サントスのドリブルがこぼれたところへ、迷わずスライディング。このボール奪取が、紺野和也の逆転ゴールにつながった。

広島戦に途中出場し、238日ぶりに元気な姿を見せた中村帆高ⒸF.C.TOKYO

「今までは、自分の感情に身を任せる部分もあったんです。でも、このリハビリ期間で自分自身を俯瞰的に見ることができるようになったと思います。うまくいかない時期も、つらい時期もありました。そこで感情に任せて、ネガティブになってもしょうがない。なるべく感情の波を小さくして、状態が良いときも、悪いときも、なぜ自分の感情がそうなっているのか、より良くするには何をすればいいか考えられるようになりました。リハビリしている中村帆高を、もう1人の自分が少し離れたところから見ているような感覚ですね。

 ここまで様々な過程がありましたが、ピッチに立ったら勝ちたいという想いだけ。勝つために自分が出せるプレーをやるしかないと思っていました。ここがゴールではなく、始まりにすぎない通過点だと思っているし、今日の20分間を次の試合や来年にどうつなげていくかだと考えています。ホームでの最終戦も全力で頑張りたいです」

 6カ月のリハビリ秘話を“美談”にできるかは、自分次第。客観的に自身を見つめるサイドバックが、一番それをわかっている。

文=松本宣昭

photograph by F.C.TOKYO