雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」を紹介します。今回は落合博満監督と日本シリーズにまつわる3つの言葉です。

<名言1>
プロに入ってくる以上は、必ず何かいいものを持っているはずだから、すべて自分の目で確かめたいんだ。
(落合博満/Number614号 2004年10月28日発売)

◇解説◇
 1998年限りでバットを置いた落合は、解説者としても“オレ流”というキャッチコピーで打撃論を披露した。その立場の落合を見続けることになるのだろう……と野球ファンの誰もが思っていた中で、驚きのニュースが入ったのは、星野仙一監督率いる阪神タイガースがリーグ優勝を果たした2003年秋のことだった。

 中日ドラゴンズ新監督に、落合博満氏が就任――。

 この年、山田久志監督体制2年目のチームは阪神に大きく離されての2位だった。とはいえ立浪和義や山本昌が円熟期に入り、谷繁元信や福留孝介、岩瀬仁紀らが全盛期を迎え、井端弘和や荒木雅博らが主力化するなど、チームとしての地力はついていた。

 しかし3度の三冠王を獲得している孤高の打撃職人が、果たしてチームを束ねられるのか。そこを懸念材料として見る向きもあった。

©Hideki Sugiyama

選手にもオレにも財産になって明日の中日を作っていく

 しかし落合新監督は「個々の選手を10%底上げする」と宣言。補強、戦力外通告ともにゼロという異例の人事を取って新シーズンを迎えた。そこには冒頭の名言にあるように、落合が現有戦力のポテンシャルを見て、力を発揮させたいとの思いがあったのだろう。

 中日は6月の7連勝などで首位に立つと、79勝56敗3分で5年ぶりのリーグ優勝を果たす。17勝で最多勝に輝いた川上憲伸、岩瀬の22Sなどリーグ唯一のチーム防御率3点台(3.86)、1番セカンド荒木、2番ショート井端の「アライバ」定着に加えてリーグ最少45失策など、手堅いディフェンスを土台にするスタイルの原型が数字でも見えていた。

 西武との日本シリーズは第7戦までもつれたものの、3勝4敗で日本一には輝けなかった。しかし落合は後にこう語ったという。

「この経験は、選手にもオレにも財産になって明日の中日を作っていくだろう。素材に恵まれた選手に出会えて幸せだよ」

日本シリーズ終了直後 ©Hideki Sugiyama

 1年目から名将感を漂わせた落合。しかしそのシーズンオフ、開幕投手を務めた川崎憲次郎を筆頭に入団2年目の若手選手など13人に戦力外通告をしたのだった。

 そして年を経るごとに、落合監督の言葉は少なくなっていく。

だって憲伸はウチのエースなんだから

<名言2>
だって憲伸はウチのエースなんだから。
(落合博満/Number665号 2006年11月2日発売)

◇解説◇
 落合体制の2年目となった05年、中日は再び阪神の後塵を拝して2位に終わった。このシーズンから始まった交流戦などでの躓きが響いた形となった。

 翌06年、落合監督は1つの大きな決断を下した。三塁の定位置を、チームの象徴である立浪と、徐々に出場機会を増やしていた森野将彦の2人を競わせる方針を取ったのだ。開幕前の森野の負傷によって当初は立浪がサードを守ったが、シーズンが進むとその定位置は背番号31の森野がつくことになった。

 そんな”世代交代”の一方で、チームの強みは不変だった。

 アライバの二遊間に扇の要・谷繁、アレックス・福留・井上一樹、守備固めで英智が控える外野守備陣は堅牢と評された。もちろん投手陣もしかり。絶対的守護神となった岩瀬が防御率1.30、40Sの圧倒的な成績でクローザーに君臨。先発も川上、朝倉健太、41歳となった山本昌の3人が2ケタ勝利を達成するなど安定した成績を残した。そして主砲のタイロン・ウッズが本塁打王と打点王の二冠王を獲得するなど、攻守に隙のない陣容ができあがった。

2006年の落合監督と川上 ©JIJI PRESS

 打線もチーム打率1位、リーグ2位の139本塁打をマークするなど、攻守両面でハイレベルな水準を誇ったドラゴンズは、阪神とのデッドヒートを制して2年ぶりのリーグ優勝を果たした。

若きダルビッシュを攻略し、憲伸が好投したが

 日本シリーズ、迎えた相手は新庄剛志の現役ラストイヤーとなった日本ハム。初戦を取ったのは中日だった。20歳の若きダルビッシュ有を2、3回に捕まえて3点を奪うと、川上が3回に2失点したのみで8回までゲームを作り、最終回は岩瀬が無失点で締めくくった。

シリーズ初戦を勝利して選手と握手する落合監督 ©Sports Graphic Number

「序盤の投球に不安を感じたかって? そんなこと全然感じなかったよ」

 川上について問われた落合監督は、このような言葉とともに冒頭の言葉を口にして、エースへの信頼を端的に語ったのだった。

 しかし順調に見えたこのシリーズ、2戦目以降は日本ハムと“新庄劇場”の勢いに飲まれて4連敗し、再び日本一を逃した。この雪辱を前代未聞の形で果たすのが1年後だと、当時の野球ファンはどれだけ想像しただろうか。

山井の“完全未遂”と日本ハムが感じた「落合さんだから」

<名言3>
パーフェクトの投手を代えるなんて考えもしませんでした。だけど、後から、そうだ相手は落合さんなんだ、と思いました。
(田中幸雄/NumberWeb 2020年12月7日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/846124

◇解説◇
 リーグ連覇を目指した07年、セ・リーグは中日、巨人、阪神の三つ巴でのハイレベルな優勝争いが繰り広げられた。レギュラーシーズンは打力に勝る巨人相手に1.5ゲーム差の2位に終わったものの、この年の落合中日が圧倒的なインパクトを残したのはポストシーズンでの戦いぶりだった。

 この年からセでも開催が始まったクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージの阪神戦で2連勝してセカンドステージへ。高橋由伸や小笠原道大、阿部慎之助らが並ぶ強力打線の巨人相手に5−2、7−4、4−2。土つかずの5連勝でCSを突破した(なおこの結果を受けて、翌年からリーグ優勝の球団にアドバンテージ1勝が設けられることになった)。

CSファーストステージの落合監督 ©Tamon Matsuzono

 落合の勝負師ぶりに驚かされるファンは多かったが……世間を大きく揺るがしたのは、日本ハムとのリマッチとなった日本シリーズ第5戦だった。

 中日は4戦を終えて3勝1敗と53年ぶりの日本一に王手をかけていた。この日の先発は山井大介。独特の軌道を描くスライダーを武器に、日本ハム打線を文字通り牛耳った。

「山井投手はキレッキレでした。スライダーが右打者の顔の前から外角いっぱいに落ちていく。6回くらいから、まずいぞ……という空気はベンチにありました」

 日本ハムのショートを守る金子誠がこのように感じたほどだったという。山井と中日は8回まで、得点だけでなく、ヒットも四球もエラーも「0」をスコアに刻み続けた。ナゴヤドームには「日本シリーズ史上初の完全試合達成」への期待が高まっていた。

 しかしこの試合、スコアが動いたのは2回裏、ダルビッシュから平田良介が放った犠牲フライの1点だけで、最少得点差でのリード。なおかつ山井は右手中指のマメをつぶしていた。それを早期から察知していた森繁和投手コーチと落合監督が、あまりにも有名な「山井降板、9回岩瀬投入」を決断したのだった。

日本シリーズ第5戦、9回裏2死のスコアボード ©Kyodo News

「なんでパーフェクトの山井を代えるんだ?」

 後に賛否両論を巻き起こす継投策について、日本ハムのトレイ・ヒルマン監督は「なんでパーフェクトに抑えている投手を代えるんだ?」と首をかしげたという。しかし現役時代の落合を知る日本ハムの選手、コーチたちは少々違う心境を持っていたようだ。

「なぜか最後は岩瀬さんで締めるんじゃないかという気がしたんです」(金子)
「9回は(左の)岩瀬が来ると思います。だから右の代打を用意した方がいいです」(白井ヘッドコーチ)

 田中幸を含めて共通したもの。それは「落合さんだから」常識にとらわれない采配をしてくるのでは、という畏敬の念だった。その采配に対して、極度の重圧の中でマウンドに上がった岩瀬が“いつも通り”3人に斬って取り、日本一をつかみ取ったのもまたさすがなのだが……。

球団53年ぶりの日本一に ©Tamon Matsuzono

名捕手・伊東勤の興味深い“落合監督論”とは

 なお、俯瞰した立場からの興味深い視点がある。西武の名捕手として知られた伊東勤だ。2004年の日本シリーズを指揮官として落合と戦い、解説者としてこのシリーズを見つめた中で、継投策について「代えたことはもちろん驚きだった」と前置きしつつも、こう総括した。

「2004年は、『オレの言うことが正しい、オレはオレ流でいく』というスタイルが前面に出ていた。もしあの時、今回と同じ場面が訪れていたら、山井に聞くこともせず、すぱっと代えていたかもしれない。(中略)自分が何も言わなくても選手が動いてくれる、理想に近いチームが完成したという自負があったからだと思う」(Number691号より)

©Tamon Matsuzono

文=NumberWeb編集部

photograph by Hideki Sugiyama