2022年1月10日、水島新司さん(以下敬称略)が82歳で亡くなった。

 水島は2018年に日本野球殿堂の特別表彰の候補者になった。しかしこの年3票、19年5票、20年も3票が投じられただけ。当選必要数の11票には遠く及ばなかった。水島本人が候補者エントリーを辞退したので、殿堂入りすることはなかった。

Number45号の表紙に登場した際の水島さん ©Sports Graphic Number

 半世紀以上にわたって野球漫画を描き続けた水島新司の貢献度は、2000安打、200勝を記録した大選手に匹敵すると思うだけに、痛恨ではある。

 水島新司は1969年に少年キングで『エースの条件』という野球漫画の連載を始める。原作者は『どてらい男(やつ)』の花登筐だった。

 前年『巨人の星』のテレビアニメが始まり、空前の野球漫画ブームになっていた。筆者は星飛雄馬の大リーグボール1号を打つために巨大な鉄球を打つ花形満をテレビで見た夜に、恐ろしくてうなされたことを覚えている。当時の小学生はそれくらい熱中したが、水島新司は、強烈なライバル心を抱くとともに「野球はこんなもんじゃない」と強い反発を感じていた。

 確かに今見れば『巨人の星』の星飛雄馬の投球フォームは理にかなっていない。球場の描写もアバウトだし、グローブやミットも、丸を描いて線をぴっぴっと入れた程度。そもそも当時の少年漫画とはその程度のものだったのだが、水島新司はそれが許せなかった。

「野球の動き」「球場の描写」が実に細かくリアルだった

 彼の野球漫画は、こだわりが違った。一瞬のプレーを描くときでも、革ひもが通ったグローブのウェブ部分の湾曲や、かかとに重心を置いて踏み込むスパイクのつま先の小さな「浮き」など、一つ一つのシーンを描きつくした。なめした皮の匂いが漂ってきそうだった。

 水島は中学を出て行商をするなど苦労をして漫画家になったが、野球へのあこがれは強く、晩年まで草野球チームを主宰して球を追いかけていた。「野球の動き」へのこだわりは強く、腕や脚の「しなり」、「ため」などの描写は実に細かくリアルだった。

 さらに球場のディテールにもこだわっていた。『ドカベン』では甲子園、『あぶさん』では大阪球場が舞台になることが多かったが、大改修前の甲子園の古びたスタンドや、大阪球場入り口の、場外馬券売り場付近の雑踏の空気感も実に細かく描写した。

 それだけではなく、今はなき平和台球場、南海がかつて春季キャンプをした広島県呉市の二河球場まで、実にリアルに描き込んでいる。おそらく多くの写真を撮影して、それをもとに描いたのだろう。

 そういうリアルをとことん追求した舞台装置で、「ドカベン」こと山田太郎や、「あぶさん」こと景浦安武、水原勇気など現実を突き抜けたヒーロー、ヒロインが活躍したのだ。

 水島野球のファンタジーが多くの人に愛されたのは「リアルな野球」と言う舞台装置がしっかりしていたからだろう。

水島さんは大阪球場などもリアルに描いた ©BUNGEISHUNJU

水島野球の登場人物を「記録」で見てみると

 さて、記録を扱う筆者としては、水島野球の代表的な登場人物について「記録」で語ってみたい。

 実は、この分野では先人がいる。豊福きこうさんだ。水島漫画などスポーツ漫画に登場する選手の成績を推測も交えて数値化した。1992年に発刊された『水原勇気0勝3敗11S』(情報センター出版局)は大きな話題になり、筆者も購入した。

 本のタイトルにもなった水原勇気は東京メッツに1975年ドラフト1位で入団した。

・水原勇気
15試0勝3敗11S 9.1回 責6 率5.79

 女性初のプロ野球選手、水原は1976年、東京メッツの投手としてセの公式戦に出場。漫画では開幕3戦目の広島戦の7回から救援登板し、無失点で完了。プロ入り初勝利を挙げたことになっているが、豊福さんは規則上はメッツ先発の日の本盛の勝利投手の権利は残っているとして、勝利はつけなかった。水原はその後、魔球ドリームボールを編み出して「1球救援」で活躍し、11セーブを挙げた。

原辰徳と同世代、山田太郎は甲子園で清原超え?

 この本には『ドカベン』登場人物の甲子園成績も載っている。

・山田太郎
24試77打48安20本51点0盗 率.623

・殿馬一人
24試45打15安1本3点2盗 率.333

・岩鬼正美
24試68打21安7本13点2盗 率.309

・里中智
24試20勝1敗0S 220回 責33 率1.35

 水島新司だけでなく野球漫画は登場人物のすべての試合を克明に描いているわけではない。ハイライトのシーンだけを取り上げるので、他の部分は類推するしかない。漫画の中でアナウンサーが「山田太郎、通算打率7割1分です」などというのを手掛かりに数字を出すのだが、これは相当難しかったようで、豊福氏は複雑な計算をして成績を算出している。

 この書籍が出た当時、実際の甲子園最多本塁打は清原和博(PL学園)の13本塁打、最多勝は吉田正男(中京商)の23勝だが、ドカベン山田太郎は清原の記録を上回っている。

 なお水原勇気と山田太郎は1958年生まれの同級生。巨人、原辰徳監督と同世代ということになっている。

あぶさん、山田太郎のNPB成績を推定で算出してみる

 残念なことに、豊福きこうさんは、2010年に亡くなっている。山田ら以降の世代についても追いかけてはいたが、未完に終わった。

 そこで筆者は『あぶさん』の景浦安武と『ドカベンプロ野球編』の山田太郎のNPBでの通算成績を推定値で算出してみることにした。

・景浦安武 (1973〜2009 実働37年)
3920試11660打3323安717本1798点 率.285

 景浦は1946年12月17日生まれ。昨年暮れに75歳になっている。山本浩二、田淵幸一など「花の1968年ドラフト組」と同世代だ。その1人、ミスターロッテ有藤通世とは誕生日まで同じ。漫画で景浦は門田博光を「カド!」と呼び捨てにしているが、門田は景浦よりも1歳年下だから辻褄は合っている。

 景浦は1973年、26歳でプロ入りし「ひと振り稼業」の代打時代が長かった。1985年までは規定打席に到達したシーズンはなかったはずだ。1983年オフに一度は退団するが、南海のテストを受けなおして再入団、1986年はレギュラーに定着し、40歳にして落合博満と本塁打王のタイトルを分け合う。

ロッテ時代の落合。漫画内では景浦と熾烈な打撃タイトル争いを演じた ©Makoto Kemizaki

 1991年から3年連続で三冠王、それも含め1991年から5年連続で本塁打王。2000年には野村克也に次ぐ「3000試合出場」を記録している。

苦労人あぶさんは61歳にして史上初の打率4割!

 そして2007年には61歳にしてNPB史上初の打率4割を達成して首位打者。2年後の2009年に引退している。

 前述した通り、ほとんどの数字は推測だ。打率.285は、37年のキャリアのうち前半の13年は「ひと振り稼業」の代打であり、打率は高くなかったと考えたからだ。また景浦は鈍足ではなかったものの、代打時代はバットに吹きかける酒しぶきがトレードマークであり、ほろ酔いでプレーすることも多かった。足で稼いだ安打もそれほど多くなかったはずだ。

 試合数、安打数はNPB歴代1位になるが、本塁打数は王貞治の868本に次ぐ2位、打点は2170打点の王貞治、1988打点の野村克也に次ぐ3位。王、野村は景浦が仕えた指揮官であり、公私ともに大恩人である。水島新司は景浦に、この2人の記録を抜かせることはないだろう。

現役時代の野村と王 ©BUNGEISHUNJU

 とはいえ――首位打者4回、本塁打王6回、打点王4回、三冠王3回。王貞治、野村克也、落合博満に匹敵する大打者だったことになる。

清原が「プロ野球に行ったドカベンを見たい」と

・山田太郎(プロ野球編 1995年〜2012年? 実働19年?)
2160試7891打2525安670本1850点 率.320

『ドカベンプロ野球編』は1995年、清原和博に「プロ野球に行ったドカベンを見たい」と望まれたこともあり始まった。

西武時代の清原 ©Sports Graphic Number

 ここでは山田太郎は1976年5月5日生まれとなっている。城島健司、里崎智也、相川亮二、藤井彰人とこの世代にはなぜか名捕手が多いが、山田太郎もそれに連なる。1995年ドラフトで西武ライオンズに入団する。

 率直に言って、山田太郎は景浦安武とは対照的にエリートの道を突き進んだ。

 20代半ばでプロ入りした景浦は40歳近くまでレギュラーではなく、控え選手の悲哀を感じさせた。その一方でドカベンはデビュー年に本塁打王、打点王、2001年には三冠王、翌年にはNPB記録の162打点をマーク。しかも捕手としての記録である。2004年FAで架空チームの東京スーパースターズに移籍。2007年には楽天のルーキー田中将大から2000安打を打っている。

2007年の楽天・田中 ©Toshiya Kondo

「ドカベンプロ野球編」は1995年から2003年まで、翌年から「ドカベン スーパースターズ編」さらに「ドカベン ドリームトーナメント編」が連載されたが、最後のドリームトーナメント編の時制は2012年のまま留まっているため、翌年以降の成績はわからない。

 首位打者1回、本塁打王7回、打点王7回、三冠王1回。捕手としては野村克也二世と言えなくもないが、かなり現実離れした存在ではあった。

『MAJOR』や『グラゼニ』、『おお振り』へと時代が

 ただ、残念なことに、こういう遊びはもうできなくなっている。

 近年のNPB球団はライセンスビジネスを収益の柱の一つにしているため、肖像権や著作権を厳しく管理するようになり、以後の漫画は、肖像権料を払わなければ実在のチームを描くことはできなくなった。水島作品は特例として徴収まで2年間の猶予期間が与えられたが、晩年の水島漫画に架空のチーム、登場人物がたくさん出るようになったのはそのためだと思われる。

Number611号の表紙 ©Sports Graphic Number

 水島新司の登場で、野球漫画のリアリズムは飛躍的に向上した。『MAJOR』は、作者、編集者がアメリカに何度も取材して、NPBとMLBの野球界の実情に基づいた世界を描いた。『グラゼニ』は、すべて架空のチーム、登場人物だが、プロ野球の実情を極めてリアルに描いている。『おおきく振りかぶって』は、「投球過多」「指導法」など高校野球の抱える問題を、データも含めて詳細に提示している。

 こうした後発の野球漫画は「水島漫画」を起点として、それぞれの立ち位置を決めていったのではないかと思う。

 振り返って、水島新司は何より「大人の漫画家」だった。その描く世界は「良質の日本映画」のようだった。

 歴史に残る野球界の大選手たちは、まるで黒澤明の映画の登場人物のように風格があり、美しかった。そして「あぶさん」をとりまく市井の人たちは山田洋次の映画の人物のようにコミカルで温かかった。

 筆者は『あぶさん』の初期の連載で描かれた「祝杯」(単行本では第6巻所収)は、日本漫画史に残る名作だと思う。漫画はこれからも発展し続けるだろうが、水島新司のような美しい野球漫画を描く人は、これから出てくるだろうか?

文=広尾晃

photograph by Kyodo News