熱戦が繰り広げられるセンバツ甲子園。球児たちの中には、15歳にして親元を離れ、甲子園を目指す野球留学生たちも少なくない。強豪校ゆえの激しいポジション争いや、慣れない土地での寮生活に悪戦苦闘しながら過ごす日々……。彼らの奮闘を描いた『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 〜野球留学生ものがたり〜』、高知の強豪・明徳義塾編から一部を抜粋して紹介する。(全2回の前編/後編へ)【肩書などすべて当時】

馬淵監督「ウチも取材拒否や」

 明徳義塾の野球道場の敷地内にレンタカーを停めると、ほどなくして校舎の方向から自家用車が現れ、野球道場前で停車した。銀縁眼鏡をかけ、ユニホームにウインドブレーカーを羽織った馬淵史郎監督が車内から現れる。甲子園春夏通算51勝、2019年11月に64歳になった大ベテラン監督である。

 私はすぐさま馬淵監督に近寄り、自分の身分と名前を名乗る。馬淵監督は「今日はどんな取材なの?」と穏やかな口調で尋ねる。私は「実は、野球留学生について取材をしておりまして……」と切り出した。

 すると馬淵監督は間髪を容れず「野球留学なら、●●に取材せぇ」と言った。そして、「あそこが一番、留学生をとってるで」と、甲子園でもお馴染みのダミ声で続けた。

 私は先制パンチを食らったようにあわてふためき、「いえ、実はそこは取材を断られてしまいまして……」と答えた。口に出してから、「しまった」と思った。これでは、その高校に取材を断られたから明徳義塾に来たような誤解を招くではないか。だが、そんな後悔も後の祭りだった。馬淵監督は冷静なトーンのままこう言った。

「なら、ウチも取材拒否や」

ネガティブな意味で使われがちな「野球留学生」

 いきなりの門前払い。やはり、馬淵監督にはライバル校の代わりに明徳義塾に来た印象を与えてしまったようだ。

 遡れば、私の「野球留学生についての取材」という切り出し方も不用意だった。そもそも「野球留学生」という言葉は、一般的にネガティブな意味合いで使われることが多い。たとえ私自身が野球留学生に対してフラットな見方をしていると言い張っても、デリケートな言葉であることは間違いない。当事者たちは心ない偏見に苦しんできた歴史もあったに違いないのだ。そもそも誤解を招きやすい取材テーマである以上、もっと慎重に言葉を選ぶべきだったと猛省した。

 私はしばらく、野球道場の一塁側ベンチから練習の様子をじっと見つめるしかなかった。なんとか馬淵監督に話を聞いてもらいたい。高知まで来て、このままおめおめ帰るわけにはいかないという思いもあった。

「『どこそこから明徳に来た』とか言ってるのは時代錯誤や」

 そもそも、取材主旨の説明すらきちんとできていない。私は練習の合間を見計らって、馬淵監督に非礼を詫び、あらためて主旨を伝えることにした。

「先ほどは誤解を招くような物言いをしまして、大変失礼しました。この取材はどの学校がいい選手をたくさんスカウトしているか、ということに主眼を置いているのではありません。それぞれの学校に特色や地域性があって、そこで奮闘している選手や指導者がいるということをお伝えしたいと考えているんです」

 最初は取りつく島もなかった馬淵監督だったが、徐々に話を聞いてもらえるようになった。そして、ぽつり、ぽつりと語り始めた。

「ラグビーの日本代表なんて、外国籍の選手がおっても『日本代表』ゆうて、みんな応援しとったけどね。ハーフの選手も、大坂なおみやケンブリッジ飛鳥やらが世界で活躍しとる。世界でそんな流れがあるのに、日本で『どこそこから明徳に来た』とか言ってるのは時代錯誤や」

明徳義塾の馬淵史郎監督 ©BUNGEISHUNJU

 気づけば、甲子園大会で多くの記者を魅了する「馬淵節」が始まっていた。

「就学の自由があるんやから。勉強で鹿児島ラ・サールに行っとるのに、『鹿児島の子がおらん』と言われるようなもんや。勉強ならよくて、スポーツならあかんのか。野球だけやなしに、他のスポーツでも『この学校が強いから行きたい』と思うのはしょうがないよね。それだけの魅力があるいうことでしょう。魅力がなかったら行かないですもん」

スタンドから「頼むから愛媛に帰ってください」

 ところどころ色づいた小高い山に囲まれた渓谷にある野球道場で、馬淵監督はとうとうと述べた。野球留学生に関する議論は、馬淵監督の言う「魅力がなかったら行かない」にすべて収斂されるような気がした。

 もし、本人の意思を無視して連れ去られたとしたら大問題である。だが、明徳義塾野球部の門を叩いた者たちは、「ここでやりたい」と自ら進んでやってきたのだ。

 それでも、理解してもらえない層は存在する。ある年の夏の高知大会で優勝した直後、優勝監督インタビューの最中に馬淵監督はスタンドからこんな声を浴びせられた。

「頼むから愛媛に帰ってください。もう満足したでしょう?」

 決勝戦の相手は歴史ある人気校、高知商だった。声の主は地元びいきのオールドファンだったのかもしれない。口調は丁寧だが、その内容は馬淵監督と明徳義塾の存在を否定するようなものだった。

馬淵史郎監督と智弁和歌山を率いた髙嶋仁監督(当時) ©Tadashi Shirasawa

馬淵監督が考える高知の県民性

 馬淵監督は愛媛県西に浮かぶ八幡浜市大島の出身である。1987年から明徳義塾で指導するなかで、高知の県民性をこのように感じていたという。

「土佐は豪放磊落と言われるが、俺はそうは思わないよ。四国山地でさえぎられていることもあってか、排他的なところもある。瀬戸内(愛媛、香川)とはちょっと違うな。徳島も大阪に近いから、そっち寄りの文化があるしな」

 四国の他県では中学トップクラスの有望株が県外に流出する現象が目立つが、高知県では馬淵監督によると「他のスポーツでは高校から高知を出ることが多いけど、野球では県内に留まることが多い」という。

 素性を知らない人間より、幼い頃から知っている人間に情が湧くのは自然なことでもある。このように、高知では地元出身者を応援したくなる土壌が形成されている。

なぜ、明徳ばかり批判されるのか

 しかし、程度の差こそあれど、県外から選手が入学してくるのは明徳義塾だけではない。明徳義塾ばかりが批判の対象になる理由は、「勝つから」と馬淵監督は見ている。

「いい悪いは抜きにして、公立でも県外からいっぱい来ているわけよ。四国で甲子園優勝したチームのなかには、中学3年からその県に転校したヤツだっていたんだから。そんなやり方をしてる学校があっても、何も言われん。私学にしても、土佐高校は大阪から選手が入っても何も言われん。ウチが勝つから言われるんだよ」(つづく)

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文=菊地高弘

photograph by Tadashi Shirasawa