31年前の5月12日。平成3年夏場所で、優勝31回を誇る昭和の大横綱は平成の相撲ブームを巻き起こした俊英に敗北を喫した。両者から金星をあげた好敵手・寺尾(最高位・関脇、現・錣山親方)が、時代が変わったあの瞬間を振り返る。Sports Graphic Number972号『千代の富士×貴乃花「寺尾は見た! 伝説の王座交代」』をWeb公開します(初出:2019年2月14日、肩書きなどは当時のまま)。

 少年とは本来、大志を抱く生き物である。

 サッカー小僧であれば、ワールドカップに出たい、チャンピオンズ・リーグでプレーしたい。野球少年であれば贔屓のチームやメジャーでの活躍を夢見るだろう。その無邪気さゆえ、あるいは無知の強さゆえ、子供たちは大人であればすぐに諦めるような高みを思い描くことができる。

 後に錣山親方となる少年は違った。

「入門したときの目標は、雪駄を履くこと、でした。三段目になれば雪駄を履くことが許される。だから、何とかそこまでいけたらいいな、と」

 彼は無邪気だったかもしれないが、無知ではなかった。相撲部屋の三男として生まれ育った彼は、これから飛び込む世界がどれほど過酷で、どれほど多くの怪物がひしめいているのかを知っていた。入門した少年たちのほとんどが最初の目標とする関取、つまり十両でさえも、当時の寺尾少年にとっては目の眩むような存在だった。

「三段目になってからはコートを着ることが目標になりました。幕下です。そうやって一歩一歩目標をあげていったんです」

「主役にはなれない、と答えた記憶がある」

 すでに角界に身を投じていた2人の兄に続けとばかり、寺尾は順調に出世の階段を駆け上っていった。だが、少しずつ大きくなっていった彼の夢は、途中から膨らむことをやめた。

「新入幕のときだったかな、相撲雑誌のインタビューに『名脇役になれればいい。主役にはなれないと思うので』と答えた記憶があります。それが、自分にとっては相撲界で最高の目標でした」

2人の兄と父・井筒親方を担ぐ寺尾(前)。大相撲史上初の「3兄弟関取」で話題を集めた(1984年撮影)©︎KYODO

 身体を大きくするスペシャリストの揃った相撲部屋の日常を重ねても、彼の身体は大きくならなかった。少なくとも、角界の頂点に立つ男たちのようにはならなかった。雪駄を履くことを目標に相撲の世界に飛び込んだ少年が、横綱という地位を意識することはついになかった。

 番付をあげ、結びの一番をとることのできる立場までになっても、だった。

 寺尾にとって、横綱とはそれほど特別で、遠い存在だったのである。

 その身体に初めて触れたときの衝撃を、彼は鮮明に記憶している。

「硬いっ! それが最初の印象です。なんじゃこりゃ、こんな硬い身体の人間がいるのか。トレーニングの先生とか、ボディビルダーの人とか、自分も凄い筋肉の人と遊びで相撲を取ったこともあったんですが、そういう人たちの筋肉とはまるで違うんです。もうね、人間とは思えなかった」

 それは、阪神タイガースが21年ぶりの優勝に向けて広島、巨人との混戦を抜けだしつつあった昭和60年9月のことだった。この年の春場所で新入幕を果たし、番付を前頭2枚目まであげてきた寺尾に、ついに横綱初挑戦の機会が巡ってきた。

 相手は、昭和の大横綱・千代の富士だった。

「体重でいったら、たぶん、15kgも違わなかったと思うんです。もっと重たい力士とやったことなら何度もあった。でも、立ち会いで当たった瞬間、まるで鉄板にでもぶつかったような手応えが返ってきて」

 もとより、勝てると思って挑んだ相手ではない。負けたことに対するショックはなかった。ただ、およそ人間とは思えない横綱の肉体は、「相撲界に入って一番」というほどの衝撃を寺尾に与えた。

「その後何回も挑戦させていただきましたけど、最後まで印象は変わらなかったですね。横綱は、硬かった。一度巡業のとき、千代の富士関よりも40kgぐらい重い力士が頭で当たっていって、横綱が胸を出したら、その力士の頭が割れたことがあったんです。頭と頭で割れることなんか見慣れてますけど、何せ頭と胸ですからね」

横綱・千代の富士 ©︎David Madison/Getty Images

“8度目”で初勝利「あんまり覚えていない」

 人知を超えた強さを誇る横綱に、それでも、寺尾は真っ向から挑み続けた。ぶつかっては叩き潰され、またぶつかっては、また叩き潰される。負けて、負けて、負け続けて、しかし、彼は8度目の挑戦でついに千代の富士を倒した。

「双差しが入って……最後どうしたんだっけか。あれ? 物凄く嬉しかった記憶はあるんですけど、あんまり覚えてないかもしれない。負けた相撲の方はよく覚えてるんですけどねえ」

 平成元年初場所8日目、全勝の千代の富士に土をつけた寺尾の決まり手は外掛けだった。双差しになった瞬間はなく、左上手をガッチリと引いた千代の富士が力ずくで上手投げにきたところ、寺尾の右足が鋭く横綱の左足を刈ったのである。背中から倒れた千代の富士が浮かべた「やりやがるな」とでも言いたげな苦笑が印象に残る一番でもあった。

背中をつけた千代の富士(左)を起こす寺尾(平成元年初場所/1989年1月16日) ©︎JIJI PRESS

 千代の富士から奪った初金星は、寺尾に初の殊勲賞をもたらすことにもなった。彼にとって忘れられない一番のはずなのだが、その記憶がぼやけてしまっているのには理由がある。

「その年の九州場所でこっぴどくやられましたからね。土俵際で吊り上げられての吊り落とし。あれはただただ惨めでした。悔しいんじゃない。惨め。周囲から同情されるような負け方でしたから」

 それは、相撲ファンにいまなお伝説として語り継がれる一番でもあった。激しく突っ張って行った寺尾の右手を横綱がたぐってつかみ、後ろから抱えあげるとそのまま地面に叩きつけたのである。

 あまりにも激しい決まり手は、ファンの間に論争を引き起こした。その中には、横綱としての品格を問うものもあった。

 だが、屈辱的な敗北の当事者だった男は、平成が終わろうとしているいま、あのころとは違った視点から「吊り落とし」を振り返るようになっている。

「いまのだめ押しって、客席まで吹っ飛ばすでしょ。あれは力士の怪我にもつながるし、お客さんも危ない。でも、あの時の吊り落としは、だめ押しじゃないんです。自分が持ち上げられて落とされただけ。こっちが怪我をすることはないし、お客さんに迷惑をかけることもない」

 鋼鉄の筋肉をまとった伝説の横綱が、あのとき、凄まじく昂っていたことは誰よりも寺尾自身が感じている。けれども、昂ってもなお、横綱の中に一定の自制心が残っていたことが、いまの錣山親方にはわかる。

 彼にとっては、だから、金星よりも忘れられない一番なのである。

「貴乃花には不思議な柔らかさがあった」

 目の前で起きたことが、彼には信じられなかった。

「呆然としながら、ああ、時代が変わるんだなあって思ったことは覚えてます。自分がうつむいちゃったのもわかってました。正直、相撲取らないで帰ろうかなって思ったぐらいでしたから」

 平成3年夏場所の初日、結び前の一番だった。結びで横綱・旭富士と当たることが決まっていた寺尾の目前で、千代の富士が守勢一方のまま寄り切られたのである。

 勝ったのは、18歳の貴花田だった。

鋭い眼光で横綱に挑む18歳の貴花田(平成3年夏場所/1991年5月12日)©︎JIJI PRESS

 2カ月前の春場所で、寺尾は後の大横綱と初めての顔合わせをしている。結果は、貴花田の押し倒しだった。

 まだ高校に通っていてもおかしくない少年に敗れた寺尾は、花道を引き上げる途中で下がりを叩きつけた。若造に相撲の世界の厳しさを教えるつもりで臨んだ一番に敗れた悔しさ、腹立たしさが、28歳になっていた小結を「相撲人生で唯一」という“暴挙”に走らせてしまったのである。

 ただ、寺尾の中には悔しさと同じぐらい、感嘆する気持ちもあった。

「千代の富士関が硬かったとしたら、貴花田は柔らかいんです。何をやっても吸い込まれてしまいそうな、不思議な感じの柔らかさがあった。まあ、これはあっという間に抜けていくだろうなとは思ってました」

稽古に励む貴花田(1991年)©︎Naoya Sanuki

 とはいえ、千代の富士の強さを肌で知る力士の一人としては、いくら不思議な柔らかさがあるとはいえ、まだ18歳の貴花田が横綱初挑戦で金星をあげることまでは想像できなかったし、したくもなかった。

 ちなみに、この場所の10日目、先場所に続いて貴花田と対戦した寺尾は、激しい攻めで終始圧倒し、最後は寄り倒しで雪辱を果たしている。打倒・千代の富士に燃えた男は、次なる目標を見つけたのである。後に彼は、「1勝14敗でもいいから貴乃花に勝ちたい」というまで闘志をかき立てることになる。

「いまから思えば幸せな相撲人生ですよね。昭和と平成の大横綱、その最強だった時代にぶつかれたわけですから」

 千代の富士は硬く、貴乃花は柔らかかった。まったく違った印象を寺尾の身体に刻んだ2人の横綱には、しかし、共通するところもあったという。

「自分のような人間がいうのも僭越ですけど、どちらも、努力の天才だったと思います。千代の富士関は、こっちが息も絶え絶えになるような稽古でも、額の汗をぬぐってるぐらいだった。貴乃花もそう。最近、モンゴルの力士が強いっていうのも、同じことじゃないかな。いま、ウチの部屋にも青狼っていうモンゴルの子がいるんですけど、ダントツで稽古やってますから」

2人の大横綱との取り組みを振り返った錣山親方(2019年撮影)©︎Wataru Sato

期待する次世代の横綱候補とは?

 稀勢の里が引退し、白鵬、鶴竜から以前の強さが失われつつある中、平成が終わろうとしている。新しい時代は、おそらく、新しい横綱を中心に紡がれる。

「次世代の横綱は誰か……う〜ん、ウチの阿炎って言いたいところだけど、もっと稽古に対する姿勢とか、いろんなことを改めていかないと厳しいですね。化けるとしたら豊昇龍かな。あれは強いですよ、ひょっとしたらごぼう抜きがあるかもしれない」

 昭和と平成、2つの時代の大横綱からそれぞれ金星をあげた男が期待するのは、まだ関取にもなっていない、モンゴル出身の19歳だった。

 立浪部屋のホームページによれば、朝青龍の甥でもあるこの幕下力士が抱く将来の夢は「てっぺん」だそうである。

文=金子達仁

photograph by JIJI PRESS