1986年にジャパン女子プロレスでデビューし、アイドルプロレスラーとして一世を風靡したキューティー鈴木。現在52歳になった彼女の特別インタビュー《全3回の1回目/#2、#3へ続く》

「キューティー鈴木は20代で終わらせたい」

 そんなこだわりで鈴木さんが現役生活に幕を下ろしたのは98年12月。29歳だった。そのおよそ6年後、3歳年下の一般男性とゴールイン。現在は、2人の息子を育てるママだ。幸せな4人家族。しかし、こんな日常を手に入れるまでには帝王切開、不妊治療、流産があった。

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――今春、ご長男が高校受験だったそうですが、結果は……。

キューティー鈴木(以下、キューティー) 受かりましたー! ほんとにがんばってくれたんで、無事に第一志望校に合格できました。コロナがあったので、学校説明会が少なかったり、中止になったり、ウェブ出願なんていうのも出てきたりして、私もどうしていいのかわからなかったけど、高校1年生になってくれました。

36歳での“緊急帝王切開”で出産

――おめでとうございます。そのご長男は、帝王切開で出産されたんですよね。

キューティー そうです。36歳で、もう少しで37歳になる年に。そろそろ出てくる時期だったので検診に行ったら、「心音が聴こえない」って言われたんです。えっ、死んじゃったの? と思ったけど、先生に焦ってる感じはなくて、「すぐに帝王切開だ」と。私が「わかりました」と言うひまもなく、「今すぐ切りましょう」って。

 主人を呼んだら、あまりにも急だったんでポカ〜ンとしてて、入院するバッグは実家に置いてあったので、母に持ってきてもらって、バタバタしながらも2、3時間後には産まれてました。帝王切開なら誘発剤とかもいるのかなぁと思ったら、「そこまで待っていられない」と。できれば自然に産みたかったけど、子どもの命が一番なので、先生の言うとおりに。

――心音が聴こえないことは、自分でも確認したんですか。

キューティー 普通は「ドクッ、ドクッ」て聴こえるんですよ。でも、しばらくしたら「ピー」となっちゃう。最初は機械が壊れたのかと思ったんです。看護師さんが何度も、私のおなかに冷たいシートをペタッて貼りなおしてくれるんだけど、また「ピー」。

――良からぬことを考えたのでは……。

キューティー ありましたけど、先生が「大丈夫ですよ」って言うから、信じるしかない。「すぐ切りましょう」と言われたわりには、けっこう時間がかかったので、その間が不安でしたよね。でも、産まれたときは元気だったし、すぐに泣いたし、丸々と太ってたから、あー、これで大丈夫だと。

盟友・尾崎魔弓との会話で知った「2人目不妊」

――初めての子育てはいかがでしたか。

キューティー バタバタしてた気がします。帝王切開だったので、産んでからは起き上がることも、歩くこともできなくて、退院してから4カ月ぐらいは実家にいて。母がいたのでよかったけど、うちに帰ってきてからは、今日からこの子はアタシが面倒を見なきゃいけない、この子の泣き声で起きられるかなぁとか、不安なことばかり。手探りでした。本をいっぱい買ったけど、赤ちゃんってそれぞれなので、読むとラクになることもあるけど、逆に不安になることもある。2人目を産んだときに、成長過程はそれぞれだって思えるようになりました。

――初産が高齢出産。それでも2人目を作ろうと、不妊治療に踏みきったんですよね。

キューティー 帝王切開じゃなければポポンと2人目を産みたかったけど、1年はあけないといけないということだった。すでに適齢期を過ぎていた私には時間がないから、自然妊娠を望んだけど、むずかしくて。そのとき、たまたまVシネマの仕事で一緒だった尾崎(魔弓/OZアカデミー)から、「知ってる? 2人目不妊ってあるんだよ」って聞かされて、いろいろ調べたら、1人目よりも2人目を産むときのほうが年齢が上がってるぶん、できにくいと。私の場合、いちばんの理由は年齢かなぁと思ったんで、治療をはじめようと思ったんです。

――具体的に、どういう流れになっていったんですか。

キューティー 体調やホルモンバランスに異変があってから、病院に連絡を入れるんですけど、「じゃあ、2日後に来てください」と言われるので、予定を立てられない。仕事をする女性にはむずかしいなぁと思いました。院内には、食事もできるちょっとしたスペースがあるんですけど、パソコンを開いて仕事をしてる女性、電話で打ち合わせをしている女性が多くて、それにもちょっとびっくり。

 10年ほど前はまだ不妊治療を口に出しづらくて、働く女性は大変だったと思いますよ。私は専業主婦で、上の子が幼稚園。急に母や友だちに、「お迎えだけ行ってくれない?」って頼んだりして、いつから本格的な治療に入れるかわからなかったのがつらかったですね。

壮絶な流産体験…救った長男の言葉

――治療はどれぐらいの期間に及んだんでしょう。

キューティー 3年近くです。流産もしました。3つめの病院でようやく妊娠できた1カ月ぐらい前、かなりいいところまでいけて、「妊娠しました」と言われたんですね。でも、次の日に流れちゃった。すごいショックで。たまたまその日は長男と一緒に病院に行く日で、出血もしてたし、背中も痛いし、ダメかもしれないなぁと思っていた反面、もしかしたら……という希望もあって。でも、「流れた」とお医者さんから言われたとき、長男が「大丈夫だよ、シュート(長男の呼称)がいるから」って。なんてかわいい子なんだろうと思った次の月に、妊娠したんです。41歳で、もうすぐ42歳になるとき。

――まだ幼稚園児だったご長男の言葉が心に沁みますね。

キューティー それまで、「兄弟ほしい?」って聞いても、「別にいらない」って感じだったんです。この子なりに一生懸命、母に気を使ってくれてたんだなぁと。妊娠してもまだ安心はできないと思って、産まれるまではドキドキでした。つわりがひどいし、「尿に混ざる糖の量が多い」って言われるし。あの1年間は、ネットでずっと調べてましたね。

2012年撮影 ©Mami Yamada

“キューティー鈴木流子育て論”は?

――“キューティー鈴木流子育て論”はありますか。

キューティー ない(笑)。ほかのママに比べたら適当だし、いい加減。下の子は、私が歳いってからの子どもだっていうのを若いママたちは知ってるから、「ナータン(次男の呼称)、危ないよ」って言うと、ママたちがド〜ッて一斉に助けに行ってくれる(笑)。ほんと、いいママたちに恵まれました。ただ唯一、しっかりできているかはわかんないけど、私にできることは食事をきちんと作ること。上の子が中学生のときは、部活終わり、塾から帰ってきたあとも食べさせてたから、冷蔵庫がパンパンでした。

――元女子プロレスラーで2人の息子さんの母といえば、北斗晶さん。長男の健之介さんはマーベラス所属の門倉凛選手と結婚しましたが、もしもご長男の奥さんが……。

キューティー え〜っ! 考えたことがなかったぁ〜〜!!(頭を抱える) 息子にはしっかりした女性が合ってるとは思うんだけども、でも、えーっ、女子プロレスラーかぁ、そういうパターンもあるかぁ……。ちょっと強いぐらいはいいけど、上の子には普通の職業のしっかりした優しい子がいいかな。

<#2、#3へ続く>

文=伊藤雅奈子

photograph by Mami Yamada