異色の将棋本『現代将棋を読み解く7つの理論』の著者・あらきっぺ。

 将棋ソフトと100日間も対局を続けるなど、その取り組みもこれまでの常識を打破するものだった。

 ロングインタビューの第3弾は、奨励会員・荒木隆のことについて尋ねた。

 最後となった三段リーグの、運命の分かれ道となった最後の対局のこと。なぜ荒木は、再び将棋と向き合うことができたのか?

 そして『あらきっぺ』となった今、どこへ向かうのか?(全3回の3回目/#1、#2も)

三段リーグは他人との比較の究極なんです

 ——奨励会の頃と、今の自分とを比べたら、間違いなく今のほうがいい精神状態で将棋を指しているというご発言がありました。三段リーグに在籍していた当時、どのようなことをつらいと感じていましたか?

「当然ですけど、ある程度年数がたってくると、『自分は棋士になれるんだろうか?』という不安を覚えるようになるんです。そんな不安なんて覚える前にプロ棋士になってしまうのが一番いいんですけど……。

 そういう不安を覚えると、いいパフォーマンスが出ないものです。あと奨励会って、他人との比較をせざるを得ない環境なんです。でも本来、他人と比較することって、あんまりいい影響が出ないですよね。

 三段リーグは他人との比較の究極なんです。自分がいくらいい成績を取っても、他人のほうが上ならプロにはなれないし。『若くて強い』人間だけに存在価値があるとなると、自分の存在価値って何なんだろうって気持ちになりますし……。

 そういう無力感や、やるせなさというのは、つらいと感じていたことになりますね。

 もちろん、将棋に打ち込める環境だったり、奨励会で痺れるような勝負をしてるときって、やりがいを感じます。それはいいものだと思うんですけど……他人と比較しなくちゃいけないという構造的なものが、つらいものではありますね。

 あと、空気感。アマチュアの大会って、みんなすごく楽しそうなんですよ! 奨励会も、研究会とかやってるときは、アマ大会と通じるようなものはあります。でも奨励会の例会の雰囲気は……殺伐とはしていますかね。将棋は楽しいけど奨励会はつらい、という感じです」

※写真はイメージです ©BUNGEISHUNJU

 ——その奨励会の経験は、今のソフト研究や執筆に影響を与える部分はありますか?

「ソフトに触れているのは、奨励会の頃よりもアマチュアに戻ってからの期間のほうが長いので……私が初めてソフトに触れたのは24歳くらいの頃でした。奨励会では2年間くらいということになりますかね。今は31歳なので、アマになってからは4年間くらい触れている。だから執筆や研究の経験は、アマに戻ってからのもののほうが大きいです。

 もちろん、奨励会で培ったことが将棋の技術で生きている部分もあるんですけど、そこは塗り変わるものなんです。

 奨励会の頃の経験って、むしろ将棋じゃない部分で生きている気がします。一番は、『失敗を想定して行動するようになった』ということですかね。年齢制限で退会しているので、とんでもない失敗をしているわけですよね?」

自分は天才ではない。だから今……

 ——26年間を棒に振ってしまった……と感じる人もいるでしょうね。

「当然ですけど、望んで失敗する人なんていません(笑)。だから、自分が今やっていることについて、成功した場合と失敗した場合を想定するようになりました。

 あと、奨励会ってしんどい場所なので(笑)。だから実社会でしんどいことがあっても、三段リーグよりは……と思える。そういったことも奨励会の経験が生きる部分ですかね。

 将棋を勉強するときも、意識が変わりました。自分は、棋力向上という点においては天才ではない。だから今、自分が取り組んでいることが、そんなにパッと効果が出ないという認識なんです。3〜4年後にどうなっているかなと想定しながら行動するようになりました。

 今やってることの効果が出なくても、気にしなくなったというか……長期計画を立てるようになったというか。三段リーグって1回が半年ですし。ま、1期で抜けるなんてほぼあり得ないので、2年間くらいを想定して取り組まないといけないので」

将棋が「着せ替え人形」「傀儡」になってしまう恐怖

 ——三段リーグの頃は長期的に取り組むことができなかったという後悔もあるんですか?

「ありますね。奨励会時代で一番まずかったのは、ただ漠然と勉強していたということです。勉強をサボっていたわけではないんですけど。

 将棋の勉強って、基本的には棋譜並べと詰将棋と実戦の三本柱といわれるじゃないですか。それをただ淡々と続けていて、十代の頃って、それをやっていたら淡々と伸びていった。でも三段まで行ったら、みんな努力しているのは当たり前なので。その中でどう抜け出すかを考えないといけなかった。

 それは将棋ソフトの使い方も同じで、今はみんな使っている。その状況でどう抜け出すかを考える必要があるんですけど、その視点が抜けていたのは、今になって思うことです」

 ——三段で退会した竹内貴浩さん(※指導棋士。藤井聡太竜王の兄弟子に当たる)が、プロの研究会に呼ばれて最新の研究をノートに付けていたけど身に付かなかったということを『着せ替え人形になっていた』と表現していました。

「ああ、それは感じますね。ここまではソフトを使った研究で、準備の範囲内だったんだけど、そこから先でガタガタと崩れていくような将棋を見ると……言葉は悪いですけど、将棋ソフトの操り人形というか、傀儡になっているなと。

 それは序盤だけで、中終盤の力が自分にトレースできていない。だから、ただ漠然と使うだけでは身に付かないんだろうなと思います」

 ——お話をうかがっていると、奨励会というシステムは、どうも棋力向上にあまりプラスに働いていないように聞こえてしまうのですが……?

「棋力向上という面から言うとですね。悪効率の極みだと思います(苦笑)。

 メンタルは鍛えられますが、棋力が伸びる環境ではない。モチベーションというのが、将棋が伸びる条件なんです。しかし、三段リーグは無駄な戦いが多すぎる。半年間が無駄に溶けていくような環境は……」

他人のことを思うと、三段リーグはきついです

 ——だいたい13勝5敗で三段リーグを抜けられると言われていますが、それはつまり6敗した時点でゲームオーバー。残りの時間が消化試合になってしまう。年齢制限がある中で、半年が無為に溶けていくのは、野月浩貴八段の『三段リーグは首にロープを掛けられた状態で将棋を指す』という言葉が思い起こされます。

「将棋はメンタルも影響しますからね。三段リーグの空気感は、二段以下とは完全に別物です。それに慣れる精神力を得るのは、棋力にも繋がるとは思いますが」

 ——そこで勝ち抜いていくのは、どんなタイプですか?

「他人にどう思われても気にしないタイプが強いと思います。他人のことを、いい意味で、切り捨てるというか。無視するというか、視界から排除するというか……気にしないタイプですね。

 他人のことを思うと、三段リーグはきついです。長年切磋琢磨してきた人間が去ってしまうのは、きつい……」

 ——なるほど。人柄や性格が棋力向上に影響するとお考えでしょうか?

「私は棋譜を見れば、その人の性格が見えてくるんです。指し手や消費時間などから、何となく見て取れる。そしてそれがけっこう当たるんですよ。

 棋力を伸ばすという観点で言うと、今は相当シビアにならなければいけないと思います。勝つためには、ダメなものをアンインストールしないといけない。好きなものを捨てきれる覚悟を持てるかが問われます」

藤井さんは本気で将棋を極めたいと考えているはず

 ——あらきっぺさんの目から見て、藤井竜王はどんな性格だと思われますか?

「藤井さんの発言を見ていると、非常にストイックな感じを受けますね。何らかの甘さがあると将棋にも出てしまうはずですが、藤井さんは本気で将棋を極めたいと考えているはずです」

©Takashi Araki

 ——しかし、あの若さで一人だけ突き抜けて強くなってしまったとしたら……将棋へのモチベーションは続くものでしょうか?

「ええと……海は、波が必ず起こりますよね? 高い低いの差はあるけれど、波は常に続いている」

 ——モチベーションも、そういうものだと?

「棋力というのは、高くなれば見えるものが違ってくるんです。上にいけばいくほど、見えるものがもっと増える。『この先はどうなんだろう? もっと先はどうなっているんだろう?』と。人間の寿命では、その波は止まらないと思いますね」

 ——最後に、これは非常にセンシティブな質問になってしまうんですが……奨励会の、最後の対局。勝てば勝ち越し延長ができた対局で、負けて退会になってしまったときのことを教えていただけますか?

「最後の三段リーグについて言うと……私、開幕5連敗しているんです。そこから何とか勝てるようになって、0−5から9−8になって、最終戦を迎えるんです」

 ——じゃあ最後の最後まで、希望を捨てずに戦ったんですね?

「0−5の時点でもう覚悟したんです。『自分はもう棋士にはなれないし、終わったんだな』って。

 私は三段リーグで一度も勝ち越しができなかったんですけど、一度も勝ち越せない人間が0−5になっているって、普通はゲームオーバー。客観的に見ても主観的に見ても、ゲームオーバーだなって。だから、そこからはもう、目としては勝ち越し延長が残っているんですけど、気持ちとしては終わったんですよ。正直なところ。

 だからもう……結構、その……5連敗してからの残りの13局は、勝つにしろ負けるにしろ、淡々としていたところはありましたね」

最後の将棋が、大熱戦だったんです!

 ——その13局の中には、藤井竜王と対戦した16回戦も含まれています。

「もちろん全力で指したんですけど、最終局で負けたときも悔しかったんですけど……でも負けたときに感じたのは、悔しさというよりも、一つのピリオドを打ったという。そういう感覚のほうが強かったです。だから5連敗したときのほうが、喪失感というか、絶望感が強かったんです。あと……最後の将棋というのが、大熱戦だったんです!

 200手くらいの将棋になりまして。後でソフトに解析させたら、100手目くらいまでお互いに均衡を保っていたんです。これ、けっこう珍しいんですよ。普通はもっと早く差が付くので。

 100手目くらいから秒読みになって、そこからは泥仕合になったんですけどね。最後は、負けて残念だったんですけど、これだけやって、最後にこんなにいい将棋を指せて終わりなら、仕方ないなと思ったので。

 奨励会の退会って、痛いんですけど……そこまで気落ちしなかったというのは、自分でも不思議でしたね」

 ——むしろ爽やかな感じすら受けますね。今のお話しぶりからは。

「そうですね。やっと終わったな……て。普通の退会のしかたとは、ちょっと違うと思います。自分の場合は、奨励会生活が終わってホッとしたなというのはあります。開幕5連敗というのはショッキングだったので。

 最後は……長編小説を読み終えたような感じでした。『これで終わったな』って」

 ——そういう終わり方だったからこそ、本を書くという道に進んでいるのでしょうか?

「ああ……それはありますね。そういう終わり方だったからこそ、今も将棋に取り組めているんだと。うん。それは確かなことですね。もっと悔いの残る終わり方だったら、将棋を辞めていたと思います」

©Takashi Araki

勝負師タイプではないからこそ、趣味として

 ——あらきっぺさんは今後、再びプロを目指すことはあるんでしょうか? それとも別の道で将棋を探求していくのでしょうか?

「プロを目指す気は全くありません。いま将棋をやっているのは、単純に将棋が好きだからでして。本当にその一言に尽きます。将棋をやり続けるだけなら、プロではなくてもいいわけで。

 それに性格的にも自分は勝負師タイプじゃないと思います。三段リーグに在籍していて、一番他の三段の方々と差があるなと感じたのは、技術よりも精神面ですね。

 将棋指しって、勝負が向いているタイプと将棋が向いているタイプ、研究が向いているタイプの3種類にわかれると言われますが、私に関していうと、研究に偏ってるんですよ。9割くらい研究で、勝負に関しては1割ないくらい。

 執念がないというわけではないんです。でも、自分が将棋をやっていて面白いなと感じる部分って、わからないことをわかるようになった瞬間だったり、どうやったら強くなるんだろうという方法を確立できたり、そういうのを掴めたときの感触が楽しかったりするんです。

 もちろん勝ったら嬉しいんですけど、勝つために将棋をしているという感じじゃない。今、プロを目指して『さあ頑張ろう!』となっても、道中も大変だし、プロになってからも大変だと思うんです。

 プレイヤーとして活躍したいという思いはありますけど、そこからプロになろうとか、勝負の世界で生きていこうという感じにはならないです。だから……プレイヤーの面では、趣味として将棋にかかわっていこう、という感じですね」

 ——ありがとうございました。まるで……長い長い物語を読み終えたようでした。

もし最後の三段リーグで、藤井聡太に勝っていたら

 荒木隆が参加した三段リーグは、7期。

 通算成績は57勝69敗。最高成績は9勝9敗が2回。

 最後となった第59回三段リーグで荒木が敗北した相手は、うち7人がプロ棋士になっている。その中には朝日杯で破った出口若武の名もあり、そして1期で三段リーグを駆け抜けた藤井聡太の名もある。

 14歳の、史上最年少四段が誕生したその日。同じ千駄ヶ谷の将棋会館では、荒木隆という三段が勝ち越し延長をかけて200手もの将棋を指し……そして敗れ、奨励会を去った。華やかな記者会見の、その裏で。

藤井聡太三段が ©Kyodo News

 もし、16回戦の結果が逆だったら? 藤井聡太が負け、荒木隆が勝っていたら?

 藤井ブームは起こらず、そして異色のベストセラーも生まれなかったかもしれない。たった1局の結果が変わるだけで、後の歴史は大きく変わっていただろう。

 奨励会とはそういう世界だ。

奨励会では芽が出ずとも、別の場所で独創性を

 あらきっぺは現在、『現代将棋を読み解く7つの理論』と『終盤戦のストラテジー』に続く、3作目となる本を準備中だという。

 プロを目指して将棋を指し続けた、26歳までの日々。

 その長い長い戦いの軌跡を長編小説のように語った男は、奨励会という世界では、遂に芽が出なかった。

 しかしそれは、あらきっぺが他と比べて劣っていたということを意味しない。

 奨励会という、他の誰かによって将棋との向き合い方を決められた世界では、その独創性を発揮しきれなかったというだけに過ぎない。将棋という広大な世界で、あらきっぺが次にどんな作品を書くのか。どんな奇抜な方法で未来の将棋と向き合おうとするのか。それは誰にもわからない。

 一つだけわかることがあるとしたら、それはきっと、まだ誰も試みたことのない、全く新しいもののはずだ。

 そして、あらきっぺは書き続けるのだろう。

 私たちが抱いている過去の価値観をアンインストールしてくれるような、全く新しい将棋の物語を。

<#1、#2からつづく>

文=白鳥士郎

photograph by Takashi Araki