6月19日、東京ドームで行われた『THE MATCH 2022』でK-1王者の武尊に勝利し、那須川天心は公式戦47連勝という記録を残してキックボクサーとしてのキャリアを終えた。ボクシングへの転向を表明している23歳は、宿命のライバルとの戦いを終えて何を思うのか。一夜明け会見後に、NumberWebの独占インタビューに応じた。(全2回の1回目/後編へ)

「いい人生ですよ。武尊選手との試合を最後に引退してもいいくらいの(笑)。相当“詰め詰め”ですよね」

 武尊との“世紀の一戦”で、ダウンを奪った末に判定勝ちを収めた那須川天心。大会翌日の6月20日には一夜明け会見に臨み、その後、筆者にこれまでのキックボクサー人生を独白した。

 世界の強豪が集結したトーナメントで優勝した。フロイド・メイウェザー・ジュニアとも拳を交わした。「1vs3」という異例の3人掛けにも挑んだ。いつもとは違うヒジ・ヒザありルールでムエタイの超強豪とも闘った。“詰め詰め”という表現は決してオーバーではない。

『THE MATCH 2022』(6月19日・東京ドーム)のリングに立つまでに、那須川は自分を育ててくれたRISEに軸足を置きつつ、RIZIN、KNOCK OUTと様々なリングに上がった。それだけ引く手あまただったという証左でもあるが、その期間は8年だったとあらためて指摘すると、那須川は「へぇ〜」とまるで他人事のように驚いた。

「8年か。10年はやっていないんですね」

1ラウンド終盤、カウンターの左フックで武尊からダウンを奪い、那須川天心は拳を突き上げた ©THE MATCH 2022/Susumu Nagao

那須川天心にとっての「理想のヒーロー」とは?

 5万6399人(主催者発表)が見つめる東京ドームのリングに上がるや、初代ウルトラマンの必殺技として知られるスペシウム光線のポーズをとったように、那須川は特撮スーパーヒーローへの憧れが強い。多くの日本生まれの男児にとって、「格闘」の原体験は特撮ヒーローvs怪獣だと思われる。そのまま特撮ヒーローに憧れるのは言わずもがなだ。

 そんな那須川が格闘家を志したのは、幼少期に地上波で旧K-1を観たことがきっかけだった。スタート地点は多くの同世代の選手たちと同じだが、そこからの視点は明らかに違っていた。物心がついて以降は、誰かと自分を重ね合わせることや、憧れるようなことはなかったのだという。

試合開始前、那須川天心は「スペシウム光線」のポーズをとった ©THE MATCH 2022

 那須川は「自分の中で理想のキックボクサー(像)というのはあまりなかった」と打ち明ける。

「何もないところから(自分を)作っていったという自負はあります」

 理想とするヒーローは、これから成長していく自分自身だった。もちろん、格闘技をやり始めた当初は、全盛期には地上波3局で放送していたK-1の舞台に上がることを夢見た。

「でも、自分がプロになったとき、そういう舞台(地上波で放送するようなイベント)はなかった」

 那須川がプロデビューした2014年、旧K-1やPRIDEはすでに活動を停止していた。ふたたび格闘技が地上波のゴールデンタイムで放送されるようになるのは、翌年12月29日と31日に旗上げしたRIZINを待たなければならない。小学校低学年の頃にテレビで何度も観た東京ドームでの格闘技イベントはなくなっていた。

「いつか俺も絶対、東京ドームでやってやる」

 プロデビュー後、同ドームで開催された三代目 J SOUL BROTHERSのライブに足を運んだ那須川は、いちファンとして楽しむ一方で奥歯を噛みしめた。

「ほかのエンタメの方々が東京ドームでライブをしていると、めっちゃ悔しかった。チケットも取れないくらい人気だし、(ステージから)手を上げればキャーキャー騒がれる。『こんにちは!』と挨拶しただけで、お客さんはワーッと盛り上がる」

 東京ドームに反響する大歓声を聞きながら、「こんな不公平なことってあるのか!」と憤りを感じた。

「いつか俺も絶対、東京ドームでやってやる」

念願の東京ドームでゴンドラに乗って入場する那須川天心 ©Takuya Sugiyama

 有言実行、その思いは最後の最後に結実する。当初は4月2日のRISEでの一戦を最後にキックボクシングから卒業する予定だったが、昨年12月、くすぶっていた武尊との夢の一騎討ちの話がいきなり動き出し、クリスマスイブに正式発表するに至った。

 デビュー以来、無敗の快進撃を続け、結局一度も黒星を喫することがないままキックボクサーとしての現役生活を終えた那須川天心の実力が、日本キック史上最高傑作であることは疑いのないところだ。その一方で、とてつもない強運を持っていたことも否定できない。

「試合内容は全て完璧というわけではないけど、ストーリーとしてはほぼ完璧でしたね。本当に運もあったし、味方につけられたと思います」

ある事前アンケートでは7割が「武尊の勝利」を予想

 武尊との世紀の一戦が正式に決まったとき、那須川は嬉しい反面、覚悟もしていた。マッチメークが成立した時点で、すでに知名度では那須川の方が上だったように思われるが、武尊への応援の方が大きくなるかもしれない、と考えていたという。

「だって(世間的には)武尊選手が夢の対決を実現させた、みたいな流れになるじゃないですか」

 両者とも対戦を熱望しながら、“大人の事情”で対戦は実現せずにいた。少なくともK-1は鎖国主義を貫いていたため、今回の開国にあたって武尊側が「能動的に動いた」と思われるのは仕方のないことだった。

 少なくとも関係者の間での勝敗予想は「那須川が有利」という声の方が大きかったが、もっと広い意味での格闘技ファンの声まで耳を傾けると、状況は変わってくる。果たして、この大会をライブ中継したABEMAが事前番組で集計したアンケートによると、実に7割が武尊の勝利を予想した。

 この結果を那須川は冷静に受け止めていた。

「武尊選手に勝ってもらいたい、という気持ちもあって、そういう空気になったのかなと思いました」

「○○が勝つ」と「○○に勝ってもらいたい」の意味は微妙に違う。アンケートひとつとっても、そのニュアンスの違いを肌で感じていた。

武尊との試合後、会見で物思いに耽る那須川天心 ©Koji Fuse

 そもそも那須川の定義付けは独特だ。世間と重なり合うところもあれば、全く異なるところもある。その“ズレ”が魅力のひとつにもなっているのだが、武尊戦に対する考え方もそうだった。スポーツライターの立場から見れば、「キックボクサー・那須川天心のラストマッチ」という定義付けになるが、本人の考えはそうではなかった。

「キックボクサー最後の日というより、武尊選手とやるということで、気持ちの高まりはありましたね」

 その理由はひとつしかなかった。

「ここ最近、『天心が負けるんじゃないか』と思われる試合はずっとなかったじゃないですか。こういう気持ちになったのは、たぶん(2018年9月30日の)堀口恭司さんとの試合以来ですね」

発表会見で「これ以上ないほど上機嫌」だったワケ

 対戦相手によって、那須川のモチベーションは上がることもあれば、下がることもある。プロである以上、マッチメークが決まればそれなりの抱負を述べるが、自分の気持ちに嘘はつけない。ここ数年、納得のいかない対戦相手との試合が決まると、那須川は会見場でも口数が少なくなり、見るからに不機嫌になることもあった。そのリアクションはいつでも“素”なのだ。

 那須川は「キックも(真剣勝負としての)エンターテイメント性を持たないといけない」と主張する。

「選手は誰が見ても、『コイツが一番』と思ってもらえるような対戦相手と闘わなければいけないし、そういう試合をしなければいけない」

 果たして、vs武尊の発表会見時の那須川は、これ以上ないといっていいほど上機嫌だった。まるでクリスマスイブにサンタクロースから最高のプレゼントを贈ってもらった子供のように。20歳を過ぎてもそんな無邪気さを持ち合わせているところにも、那須川の魅力は隠されている。

昨年12月24日の対戦発表記者会見 ©Koji Fuse

キック界におけるチャンピオンベルトの価値

 現役生活を送る中で那須川が痛感したこと──それはチャンピオンベルトを巻くことだけが、必ずしも世間の評価につながるわけではないということだった。

「キックボクシングの世界には、チャンピオンベルトがたくさんあるじゃないですか」

 中には認可団体の所在が怪しいものや、ランキングすら発表されていない王座もある。キックボクサーは自分が獲ったチャンピオンベルト全てを腰に巻いたり、肩にかけたりして自分の宣材写真として使用するケースが多い。ベルトが強さの証である以上、それはそれで評価されるべきことながら、那須川はそういった写真を撮ることに一切興味を示さない。

 その価値観は昔から1ミリたりとも変わらない。実際、那須川はこれまでに複数の王座を奪取しているが、その全てのチャンピオンベルトと一緒に収まるような写真は撮っていない。

 ベルトの価値は、巻いた選手が観戦者の心に焼きつくような防衛を重ねることで高めていかなければならない。そのことをよくわかっているからだ。そうしなければ、ややもすると勝利者賞のトロフィーと変わらないものになってしまう。

 那須川にとっては獲得したタイトルではなく、「オンリーワンであること」こそ全てだった。<後編へ続く>

文=布施鋼治

photograph by THE MATCH 2022/Susumu Nagao