それは原点を確かめることができたからだったかもしれない――。
6月17日、ノルディックスキー・ジャンプの高梨沙羅は、自身のインスタグラムを通じて現役続行の意向を表した。
「ここ数週間、気持ちが定まらない中で合宿に入りました。」
と、合宿を行なっていることを伝えた上で、こう続けた。
「試合へ向けた練習とゆうよりは、まだ飛べるのか、自分の気持ちを確認したくて始まった合宿でしたが、トレーニングしている中で、純粋に飛ぶことが好きだとゆうことを再確認できた時間でした。」
そしてこう結んでいる。
「チームに貢献できるよう精進したいと思います。」
これからどう進んでいくのか――。高梨の動向には、スキー界をはじめ、関心が寄せられていた。2018年平昌五輪のときには、大会を終えてすぐさま「4年後を目指します」と明言したが、3度目の五輪シーズンでの言葉はそれとは対照的だった。

スーツ規定違反で失格、崩れ落ちた姿
昨シーズンを締めくくるワールドカップ最終戦を終えたあとの言葉が象徴的だ。
「来シーズンに向けて自分がどうしていくかについては考えて、周りの人たちと話し合いをしなければならないと思っているので、今、この場では答えを出せないです」
競技を続行するかどうか逡巡した大きな要因は、2つの失意をもたらした北京五輪にある。1つは個人ノーマルヒルで4位であったことだ。高梨自身、「世界一になる」ことを目標に掲げての結果に、涙を浮かべた。
「こうやって試合に出させてもらえたことがすごくうれしいことでもあるんですけど、結果を受け入れているので、もう私の出る幕ではないのかもしれないなという気持ちもあります」
自分の可能性を自ら疑うかのような痛切な言葉は、試合後の内面と受けた打撃の大きさをありありと伝えていた。
その2日後の出来事は、高梨にさらに大きな打撃を与えた。
混合団体のメンバーとして出場した高梨は、1回目のジャンプ後、スーツの規定違反とされ失格。それでも残された気力を絞り出すように2回目に臨み、好ジャンプを披露したが、最終的にチームは4位。その責任を一身に負うように涙し、崩れ落ちる姿があった。
オリンピックののち、ワールドカップの舞台へと戻り、シーズンを全うしたものの、戦い終えて容易にその先を決められないのも無理はなかった。

何度も口にしてきた「周囲への感謝の言葉」
でも、そのままでは終わらなかった。
「チームに貢献できるよう精進したいと思います。」の結びの前に、実はこう記している。
「今はまだ応援してくれている人たちの期待に応えられる自信は正直ないけれど、まずは自分の期待に応えられるよう日々練習を重ね」
自ら掲げた目標に届かなかった個人戦と、チームへの責任を果たせなかった思いに駆られた団体戦。その2つは、根底ではつながっている。
ジャンプの世界で台頭し世界のトップジャンパーとなってから、高梨は同じ趣旨の言葉を何度も口にしている。優勝したい、結果を出したいと言うとき、そこに続いていたのは、「先輩方への感謝を込めて」「応援してくださる方への感謝のためにも」という言葉だった。自身の目指す場所は、常に周囲への思いと結びついていた。
それは北京五輪でも変わりない。個人戦で世界一になりたいという目標もまた、自分のためでもあり、感謝を伝える手段であった。だから周囲を慮る気持ちという点で、個人戦も団体戦も同じ土台にあったし、失意の中にも含まれていただろう。
決断を生んだ“自分のために飛びたい”という思い
それでも競技の世界へ戻ろうとしている。
「期待に応えられる自信は正直ないけれど」、でも、「自分の期待に応えられるよう」に。そう思うに至ったのは、ジャンプそのものへの気持ちがあったからではなかったか。
高梨はジャンプの「鳥のようになれる」魅力に引き込まれ、ジャンプそのものが好きで続けてきた。それが核としてある。
今回の合宿で飛び続ける中で、その魅力が褪せていないことを知り、飛ぶことが好きだということもあらためて感じ取ることができた。だから、来シーズンへ向けて、前を見据える気持ちになれたことを、メッセージは伝えている。周囲に感謝を捧げたい、期待に応えたいという思いも残しつつ、自分のために飛びたいという思いも確かめての意思表明であった。

ルールの変化も…高梨の今後は
北京五輪を契機として、ルール面での変化も生まれようとしている。
国際スキー連盟は、選手のボディーのサイズの計測方法について、従来のアナログの形式からレーザー測定器を用いることを決定した。身長と座高から股下の長さを算出するためスーツのサイズにも影響を及ぼす。そこには正確性を追求することで公平性を担保する意図がある。また、スーツの製作や検査方法についても約1年後を目安に検討される予定であるという。
これまでも大小の変化があり、これからも変化が起きるであろうジャンプの世界で、高梨は2011−2012シーズンに女子のワールドカップが始まってから11シーズン、長期休養することもなくシーズンを重ねてきた。世界でただ1人、すべてのシーズンのワールドカップで優勝を飾ってきた。
変化の中でもその歩みを止めなかった。そしてその歩みはここからも続いていこうとしている。
文=松原孝臣
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