7月2日のバンテリンドームナゴヤは、試合前から一気にボルテージが上がっていた。中日対阪神戦の始球式に登場したのが清原和博さん。ドラゴンズのユニホーム姿で、背番号は2022。投げた球はショートバウンドし、スピードは59kmだった。

 中日の立浪和義監督はPL学園の2学年後輩。対する阪神の矢野燿大監督も、同じ大阪の桜宮高で1歳違い。桁違いのパワーと圧倒的な強さ――2人にとって、あの「甲子園は清原のためにあるのか」という名実況は、自分たちとは全く別の、夢の世界に住むスーパースターに向けられた賛辞だった。

 しかし、この始球式に感謝していたのは清原さんの方だった。投球後に取材対応した言葉を、放送、通信、新聞各社は速報で伝えている。

「グラウンドに下りる日は一生ないと思っていた」

「今日という日を忘れずに、感謝したい」

「自分は何千と試合に出ましたけど、まるで雲の上を歩いているようなフワフワした気持ちでした」

清原和博氏がグラウンドに立てた理由

 豪快なホームランをかっ飛ばし、番長と呼ばれ、肩で風を切って歩いていたスーパースターが、始球式でグラウンドに立てたことに心から感動していた。なぜ「グラウンドに下りる日は一生ない」と思っていたのか。もちろん自業自得である。しかし、罪を憎んで人を憎まなかった後輩が、再び下りる道筋をつくった。2月下旬に沖縄キャンプに招いたのが、清原さんにとっていわば野球界への「復帰戦」だと筆者は書いた。この招待を境に、在名テレビ、ラジオ局を中心に、中日戦の解説の仕事が入るようになった

 通常、中継が終われば解説者は球場を出る。それでも番記者が、清原さんの囲み取材を要望すると、いつも清原さんは快諾した。「復帰戦」をお膳立てしてくれた立浪監督への恩返しだった。しかし、コロナ禍では部外者がグラウンドに下りることはできない。解説者席とグラウンド。唯一の例外である始球式によってその距離を埋めたのも立浪監督だった。

PL学園の不思議な魅力…「強さ」と「つながり」

 清原さんと立浪監督。2人をつなぐ「永遠の学園」には不思議な魅力がある。現在でいえば大阪桐蔭のように、甲子園を我が庭としていた超強豪校だが、それもすっかり昭和の伝説になった。最後に全国制覇したのは立浪監督たち33期生の1987年。最後の甲子園は55期生の2009年。そのわずか7年後、62期生の2016年を最後に公式戦には出ておらず、休部とはいえ実質的に廃部であることは誰もが気づいている。野球少年からすれば福留孝介や前田健太なら知っているが、彼らの母校にそんな時代があったとは知らないはずだ。想像上の怪物チーム。あの強さを自分の目で見たり、感じたりしたことはないのである。

PL学園時代の福留孝介(現・中日) ©BUNGEISHUJU

 ではなぜ、かつてのPL学園はあれほどまでに強かったのか。その理由をひとつ挙げるとすれば、「自分たちを信じ抜く力」にあった。

 グラウンドには神様が宿っている。昭和の球児の多くは、そう信じていた。PL教団が運営するPL学園は言うまでもない。甲子園を席巻していたころ、選手がユニホームの胸の部分をギュッと握るシーンが印象的だった。あれは「おやしきり」と呼ばれる。ユニホームの下にはアミュレットというお守りは確かにあるのだが、実は「ここで打たせてください」と願い、すがっているわけではない。「いつも通りの力を発揮します」と誓っているのである。信じ抜くことによって、あの強さは生まれた。

 そして立浪監督自身、在校時の厳しさを「まるで刑務所と一緒」とまで言いながら、PLのつながりを大切にしている。西武との交流戦が行われた5月には、清原さんや立浪監督の恩師である中村順司元監督が始球式を務めた。西武には松井稼頭央ヘッドコーチ、平石洋介打撃コーチら教え子がいる。立浪監督はそれを見越した上で依頼したのだ。 

写真入れる 02 PL学園元監督・中村順司氏(2015年撮影) ©Wataru Sato

賛否ある決断の数々…その根源にあるもの

 かつてのPL球児たちは、中年、初老の域に達しつつある。それなのに、今も強い連帯が保たれている。キャンプでの「復帰戦」の折にも触れたが、清原さんを招くにあたっては反対意見や慎重論もあった。立浪監督もプライベートでの支援に限定するやり方もできたはずだが、球団に掛け合い、招待することを決断した。

 指揮官としても、攻守に精彩を欠いた京田陽太に交代を命じただけでなく、試合中に遠征先から名古屋へ帰らせた。中村紀洋打撃コーチを開幕から2ヵ月で二軍に配置転換した。外野手専念でスタートした根尾昂を遊撃手に再挑戦させた上で、投手登録へと変更した……。これらはすべて、立浪監督が矢継ぎ早に打った打開策であり人事案だ。もちろん目的はチームやその選手の成績が上向くことである。だが、手段としては万人が納得するものではないだろう。

 周囲の批判を恐れて無難な道を選ぶのではなく、イバラだらけだとわかっていても自分が正しいと信じた道を行く。クセの強いエリート集団を、キャプテンとして束ねた高校時代と同様に、立浪監督には強いリーダーシップがある。しかし、現実には最下位で苦しんでいる。期待の石川昂弥は左膝前十字靱帯の手術で今シーズン絶望。4番のダヤン・ビシエド、エースの大野雄大、セットアッパーのジャリエル・ロドリゲス……。主力クラスがそろって戦列を離れた。八方ふさがり。そんなピンチにも立浪監督は「決断」から背を向けず、戦っている。言い換えれば、チームの力を誰よりも信じているはずだ。

 巨大かつ一糸乱れぬアルプス席の人文字。全国屈指の規模を誇ったPL花火大会。そして逆転のPL。昭和の夏に欠かせぬ風景だった。「決断」から逃げず、勝利をつかんできたリーダーなら、きっと逆転する。そんな日が来ることをファンは待っている。

文=小西斗真

photograph by Sankei Shimbun