2016年リオデジャネイロ五輪で団体4位、昨年の東京五輪で団体5位と、日本をメダルへあと一歩のところまで押し上げた立役者の一人、杉原愛子(武庫川女子大学)が、この6月に行なわれた全日本種目別選手権で現役生活に一区切りをつけた。

五輪に2度出場し、高い技術と華のある演技で観衆を魅了してきた杉原に、近年、JOCなどの公的組織でも議論されるようになっている女性アスリートの性的な画像投稿・拡散の問題や、SNSの誹謗中傷問題について考えを聞いた。(全3回の特別インタビュー3回目/#1、#2へ)。

「そういう目で見ないでほしいと言っても、見る人はいる」

 性的な部分を強調する画像は、以前からあった。ただ、昨今はインターネット上で大量に拡散されるようになっている。性的な画像に関して、女子体操選手はターゲットになりがちだ。杉原はどのように向き合ってきたのか。

「私はどちらかというとあまり気にしないようにしていたタイプです。(性的な目的で投稿された)画像を目にしてしまった時などは嫌な気持ちはしますが、別にどうでもいいや、と流すようにしています。本当は、そういう目じゃなくて、体操を見てほしいという気持ちが大きいですけどね」

 SNSでは、匿名のアカウントから不快な画像が送りつけられることもある。また、メディアの報道でも、何故この写真がチョイスされたのかと疑問に感じてしまうような写真が掲載されることがある。

 杉原は「そういう時は、まあ、しゃあないと思うようにしていました。いくらそういう目で見ないでほしいと言っても、見る人はいますから、受け流すしかない。それが一番の自衛策でもあります」と語る。

「予選落ちしろ」「しね」東京五輪で送られた誹謗中傷

 SNSでは言葉による暴力もある。とりわけ昨年の東京五輪前後はSNS上で選手への誹謗中傷が相次ぎ、社会問題になった。これについてはどのように対処してきたのだろうか。

「ある意味、私は、その誹謗中傷を真に受けるのは違うと思っていて、逆に、この人は私に注目しているんだというように、発想を転換するようにしていました」

東京五輪女子団体決勝ゆかでの演技 ©JMPA

 杉原はそのように語る。

「それでもやはり、目にするだけで嫌な気持ちになる書き込みはあります。自分のことだけではなく、同じ日本代表の仲間に対しての書き込みで気分が悪くなることも多々ありました」

 誹謗中傷がエスカレートしていた東京五輪の期間中は、選手村で情報交換をしていた。すると、同じアカウントから何人もの選手に同じような誹謗中傷のメッセージが届いていることが判明。中には「平均台で全員落ちて予選落ちしろ」や、ストレートに「しね」などのメッセージもあったという。平均台で落ちて……と書き込むのは体操ファンである可能性もある。胸が痛くなるような状況が、真剣勝負を繰り広げる大舞台の裏では起きていた。選手たちはこのようなこととも闘いながら、競技を行なっていたわけだ。

「東京五輪では、選手村の部屋でみんなでいろいろ話し合っていました。そうすると少し気持ちが楽になりましたね。“この人、何人に送ってんねん”というアカウントがあるのも分かりました」

東京五輪5位入賞を果たした女子団体だが、その裏では選手たちに誹謗中傷のメッセージが送られていた ©JMPA

杉原が明かす、東京五輪の裏で起きていた“偽らざる真実”

 SNSの問題ともリンクするのが、選手のメンタルヘルスの問題だ。東京五輪では、世界中が注目する女子体操のシモーネ・バイルズ(米国)が、メンタルヘルスの問題を抱えた状態で大会を迎え、団体総合決勝の途中で棄権したというケースがあった。

 杉原は団体総合予選から決勝までの中1日にあった公式練習でバイルズを見て、異変を感じていたという。

「練習を見ていると、バイルズ選手がすごく落ち込んでいる様子が分かりました。技の途中でやめてしまうなど、何か歯車が狂っていそうな感じで、私たちは練習に集中しながらも『大丈夫やろか?』と心配になるほどでした。原因は分かりませんでしたが、何かがあるのだろうということは周りから見て明らかだったと思います。『元気になってほしいな』と心配していました」

 バイルズは団体決勝当日の直前練習でも、ケガをしそうな危ない着地をしていたそうで、アップ会場では「あのバイルズに何が起きているのだろう」というムードになっていたそうだ。結果的にバイルズは決勝の1種目めの跳馬で予定していた技を跳べないという、まさかの失敗。2種目め以降を棄権した。

「バイルズ選手は異次元だと思っていましたから、あの姿を見て、やっぱり人間なのだなと思ったものです。一方で、あれほど突出したトップの選手でもメンタルヘルスは重要で、大変なのだということをあらためて感じました」

 これが、東京五輪の舞台裏で選手が直面していた偽らざる状況だ。

「パリ五輪までやって」の声も…杉原が描く未来とは?

 それでも、2度の五輪を経験した杉原が感じているのは体操競技の素晴らしさ。世界の舞台で多くの経験を得てきた彼女が今これから目指したいと考えているのは、次世代のオリンピアンたちのロールモデルになることだ。

「今は最終的な目標をどこに定めるかについて、多くの選択肢を持っている状況だと思っています。審判の勉強をしたり、エキシビションをやったり、体操の講習会に行ったり、さまざまなことをやっています」

 一番に考えているのは指導者になること。そして、ゆくゆくは国際体操連盟(FIG)の審判委員会メンバーになるというところまで目標として描いている。そのためには国際審判の資格を取得する必要がある。だから英語の勉強もしている。

 根底にあるのは体操の日本女子を強くしたいという思い。22歳で「一区切り」という決断に対して「早い」という声は多く、「パリ五輪までやってほしい」と言われることもあるというが、今このタイミングで競技生活に一区切りをつけることにしたのは、やりたいことがたくさんあるというのが最大の理由だ。将来もずっと体操から離れずにキャリアを積んでいく準備を始めるために、今このタイミングでの一区切りを決断したということである。

「私は体操が好き。ですから、普及にも関わりたいと思っています。海外では『パルクール』の競技人口が増えていますし、そういった新しい競技に流れていかないようにしないといけないなとも思っています。そのためにも、体操の魅力を伝えたいんです」

 将来を語る杉原の目は、きらきらと輝いていた。《#1、#2から読む》

(撮影=榎本麻美)

文=矢内由美子

photograph by Asami Enomoto/JMPA