2022年7月30日、夏の新潟競馬開幕週。その初日のメインレース「関越S」で悲劇が起きた。2021年日本ダービー(4着)以来、1年2カ月ぶりにターフに帰ってきたグレートマジシャンが最後の直線半ばで右第1指関節脱臼を発症し競走中止。予後不良と診断され、安楽死の措置が取られた。本記事では同馬が駆け抜けた足跡を振り返る。

ルメールをして「幼いけど、この馬は走る」

 09年ドイツ年度代表馬ナイトマジック(09年ドイツオークス、10年バーデン大賞を優勝)の6番子として、グレートマジシャンは2018年5月7日にノーザンファームで誕生した。父は日本競馬界の至宝ディープインパクト。新潟ジャンプSを勝ったフォイヤーヴェルクなど兄姉が堅実に成績を出しており、良血として若駒時代から大きな期待をかけられて育った。ただ、3月に出産のピークを迎える日本のサラブレッド生産では遅生まれにあたる5月生まれ。2歳時は「3、4月ぐらいまでは他の馬より一周遅れている感じ」(宮田敬介調教師)だったといい、騎乗トレーニングに入るのが育成を担ったノーザンファーム早来で最も遅かったほど。同期のライバルがデビューしていく中、じっくり成長を促された。

 結局、デビューは2歳の11月。その頃にはメキメキと力をつけ、調教では格上馬を圧倒する走りを見せるようになっていた。新馬戦は着差こそ2着馬に頭差と地味だったが、直線で他馬にかわされるたびに差し返す離れ業。ルメールをして「幼いけど、この馬は走る」と言わしめた。

2020年11月1日の新馬戦、鞍上のルメールはその能力に太鼓判を押した ©Sankei Shimbun

 そして、2戦目・セントポーリア賞の衝撃は競馬ファンなら覚えている方も多いのでは。出遅れのロスがありながら、のちにダービートライアルのプリンシパルSを完勝するバジオウを寄せ付けず、2馬身半差の圧勝。上がり3Fのタイムはメンバー最速の33秒3をマークしたが、同2位のバジオウが34秒2。ベールを脱いだ異次元の末脚は見る者を魅了した。ルメールの評価も「走り方はまだまだ子供っぽいが、凄くいい」とさらに期待値が上がった印象を受けた。

セントポーリア賞から毎日杯、日本ダービーへ

 今年、競馬の殿堂入りにあたる顕彰者に選出された藤沢和雄元調教師もグレートマジシャンの走りに心を動かされた一人だった。セントポーリア賞の数日後、宮田調教師が「レース後にあれだけの馬を育ててこられた藤沢先生から“この馬は凄いぞ”と言っていただけた。凄くうれしかったです」と充実の表情を浮かべていたことが思い出される。ソエ(成長途上の若駒に多い炎症)をケアしながら、調教の負荷を上げきっていない中での勝利だったことも無限大の潜在能力を感じさせた。

 ただ、心身ともに未完成であることから無理はせず、3歳クラシック1冠目の皐月賞の出走は目指さずに、GIII・毎日杯から2冠目の日本ダービーへ向かうこととなった。

 その毎日杯では単勝1.9倍の圧倒的1番人気に支持された。グレートマジシャンはその期待に違わぬ走りを見せ、阪神競馬場の芝1800mを日本レコードタイ(当時)の1分43秒9で駆け抜ける。しかし、同タイム、わずか首差だけ前にシャフリヤールがいた。「バケモノがいた。勝った馬が強かった」とは当時のルメールの談。シャフリヤールは次戦の日本ダービーを優勝し、翌年には海外へ飛び出しドバイシーマクラシックを制すのだから鞍上の言葉は的確だった。ただ、その“バケモノ”と同タイムで叩き合ったグレートマジシャンもまた特別な存在であることを証明した重賞初挑戦でもあった。

のちにダービー馬となるシャフリヤールとの叩き合い ©Photostud

ダービーは頂点まで0秒2差の4着

 キャリア4戦目で臨んだ日本ダービーはデビュー以来、初めて1番人気を譲ったが、それでも3番人気。育成段階では同期に大きく遅れを取っていた馬が、2018年に生まれたサラブレッド7398頭の頂点を決める一戦で、ファンから3番目に多い支持を受けるまでになっていた。

 ダービーでは不利とされる外枠(17頭立て13番枠)からのスタートとあって、道中は馬群の後方。新コンビの戸崎圭太(ルメールはサトノレイナスに騎乗)のゴーサインに応え、4コーナーで馬群の外を回って一気に加速した。先に抜け出した1番人気の皐月賞馬エフフォーリア、2番人気の紅一点サトノレイナスを、馬群を割って伸びてきたシャフリヤールとともに追いかける。2分22秒5のダービーレコード(当時)で決着した極限の勝負。残り200mまでは先頭をうかがう位置にいたが、最後はシャフリヤールとエフフォーリアが体一つ抜け出す一騎討ちに。グレートマジシャンはさらに後方から追い込んできたステラヴェローチェに鼻差かわされ4着に終わった。世代の頂点までわずか0秒2差、届かなかった。

日本ダービーでは大外から追い上げを見せ、世代の頂点へと追いすがった ©Keiji Ishikawa

荒削りでも美しく、強かったグレートマジシャン

 遅咲き傾向の血統背景、何よりグレートマジシャン自身が描いてきた成長曲線から秋のさらなる飛躍が大いに期待されたが、9月に右前脚の種子骨靱帯の炎症で3歳シーズンの年内休養が決定。懸命で入念な治療が施され、426日ぶりにファンの前に戻ってきたのが、冒頭に書いた新潟競馬だった。1年以上レースを走っていなくとも、ファンはグレートマジシャンを1番人気に支持。単勝オッズ2.4倍は抜けた人気だった。計り知れないポテンシャルを感じさせるあの走りがまた見られると多くの人が信じて疑わなかった。

 生涯わずか5戦。それでもその脚に大きな夢を抱いたファンは多かった。筆者もその一人だ。スラッと伸びた脚に、黒光りする気品あふれる青鹿毛の馬体。荒削りでも美しく、強かったグレートマジシャン。心よりご冥福お祈りいたします。グレートマジシャンの足跡を振り返った本原稿がいつか、競馬ファンの方々が同馬に思いをはせるきっかけの一助になれば幸甚に存じます。

文=田井秀一(スポーツニッポン)

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