夏の甲子園で春夏連覇を狙う優勝の大本命・大阪桐蔭が準々決勝で下関国際に敗れた。NHKの高校野球解説16年目を迎えた杉本真吾氏に敗因、そして敗れることがビッグニュースになるほど無類の強さを誇ってきた理由を聞いた。(全5回の#5/#4へ)

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旭川大高、下関国際の「共通点」

 大阪大会では7試合で54得点、1失点と他校を圧倒。本大会でも2回戦で埼玉代表・聖望学園を19対0で下すなど、驚異的な強さを見せてきた大阪桐蔭はなぜ負けたのか。

「初戦で善戦した旭川大高、準々決勝で勝利した下関国際には共通点がありました。それは選手たちが誰を相手に戦っていたのか、という点です。大阪桐蔭を相手に、ヒットを打っても塁上で当然だという顔をしている旭川大高の選手、インコースに臆せず攻めていける下関国際の投手……両チームの選手たちは、大阪桐蔭という『名前』に負けていなかった。引いたら負ける、そんな強い相手だからこそ自分たちがやれることに集中する。逆説的な言い方になりますが、相手が絶対王者ということを“意識していなかった”。旭川大高と下関国際の戦い方は、今後全国の高校にとっても参考になると思います」

七回、トリプルプレーでピンチをしのいだ下関国際 ©Hideki Sugiyama

 甲子園の出場校は、いずれも各都道府県を制したチームである。そんな強豪校でさえ、「名前負け」してしまう大阪桐蔭は、その強さから“ヒール”の役割を担った稀なチームだった。

 かつて黄金時代を築いた巨人・川上哲治監督や西武・森祗晶監督が「バントばかりでつまらない」と非難されたように、あまりに勝ち続けると突っ込みどころを探される。大阪桐蔭は“有望な野球留学生をたくさん取っている”という批判に晒された。

「野球留学生が多いから強い」のいわれなき批判

 47都道府県49校代表制になった1978年以降、甲子園出場を目指すため、県外への越境入学という“野球留学”が増加した。当時、この行動には否定的な論調が多数を占めていた。広島県の高校野球連盟は1982年から「県外出身選手の登録は1チーム5人以内」という規制を実施。制限違反へのペナルティーはなかったが、この申し合わせは1997年まで続いた。

 現在も“野球留学”は肯定派と否定派に分かれる。1990年代に鳥取県有数の進学校である公立の米子東の監督を務めた杉本氏はどう考えるか。

「私は肯定派です。勉強するために県外から私立の灘高校に進学しても何も言われないですよね。どうして野球はダメなのかと。ただ、練習ばかりして、学生の本分である勉強を疎かにするなら良くない。たとえば今年の米子東には初の野球留学生がいました。ピッチャーの藪本鉄平君が岐阜、セカンドの増田大耀君が滋賀から来た3年生でした。なぜ県外から入学したか聞くと、『甲子園も狙って大学にも進学したい』と。野球だけが目的で来てベンチに残れなかったら、3年間を後悔してしまう。そんな高校生活になってほしくない。それに野球は頭を使うスポーツですから、勉強も必ず役立ちます。中には、越境入学生に『必ずベンチに入れる』と確約する学校があると聞きますが、それは絶対に良くないですね」

「選手を集めれば強くなるわけではない」理由

 杉本氏の地元である鳥取は、予選の参加校数が少ない。それもあり、1970年代後半から甲子園出場に有利と考える生徒が県外から入学してきた。1981年春には、倉吉北が兵庫の上甲子園中からやってきたエース・坂本昇を擁してベスト4に進出。準決勝でPL学園に敗れたものの、“弱小県の飛躍”という強いインパクトを残したため、鳥取は野球留学生の多い地域というイメージを持たれている。

「鳥取城北、倉吉北、米子松蔭、米子北という4つの私立校は越境入学生を多数抱えていますけど、今夏の鳥取大会でベスト4に1校も残らなかった。鳥取大会過去10回で、私立校の甲子園出場は半分に過ぎません。これは、野球が必ずしも上手な選手を集めれば強くなるスポーツではないからだと思います。バレーボールなら優秀なアタッカーがスパイクを打てば、成功率は8割くらいでしょう。でも、野球は3割打てばいい。7回失敗しても優秀と言われるスポーツはほとんどない。だから、普段の意識の持ち方やメンタル面が勝負を左右します。特に高校野球の場合、その比重が大きくなる」

テレビには映らない「大阪桐蔭の強さ」

 今夏の大阪桐蔭は、ベンチ入りメンバー18人中14人が県外中学の出身。同じ近畿地区を除いても7人いる。西谷監督が夏を制した4大会で近畿以外出身の選手は2008年6人、2012年3人、2014年6人、2018年6人。福島由登や中村誠、根尾昂、柿木蓮などの主軸が越境入学のためか、「野球留学生がいるから強い」との批判もあった。しかし、杉本氏は「大阪桐蔭の強さと野球留学生の数に相関関係はありません」と言い、こう続けた。

「中学卒業時の実力が高くても高校で伸びるとは限らない。多くとれば勝てるなら、どのチームも強くなりますが、そうはならないですよね。西谷監督の指導力の賜物だと思います」

 大阪桐蔭は全ての野球部員に寮生活を送らせている。洗濯や掃除は1年生も3年生も各自で行うため、いかに自分の時間を確保するかに頭を使う。無駄をなくし、隙間時間を有効活用するという自己マネジメント力が自然と身に付く。杉本氏は「大阪桐蔭はグラウンドでも時間を大切にしている」と指摘する。

「テレビにはほとんど映らないですけど、常に“目的の明確な全力疾走”をしていました。攻守交代の時にいち早くポジションにつき、守備位置の確認やキャッチボールをして、万全を期す。ネクストバッターズサークルやバッターボックスに向かう時も1秒でも早く行って、1本でも多く素振りをする。この“準備”がレベルの高い守備や打撃を生み出している。単に全力疾走しているのではなく、西谷監督が意味を伝えた上で徹底しています」

大阪桐蔭・西谷監督 ©Nanae Suzuki

西谷監督が言う「準備」の意味

 今大会を振り返っても、西谷監督や選手たちが試合後のコメントで何度も“準備”という言葉を使っている。初戦の旭川大高戦は3点を追う展開になったが、海老根優大外野手は「先制される準備はしていた」と事前の心構えを話し、松尾汐恩捕手は「次もしっかり準備したい」とすぐに切り替えた。2回戦で聖望学園から19得点を奪って圧勝すると、西谷監督は「データ通り。しっかり準備できていた」と振り返った。3回戦の二松学舎大付戦で大前圭右選手を大会初スタメンに抜擢した理由を聞かれると、「いつもベンチでいい準備をしてくれていた」と語った。

「西谷監督は高校で終わる選手を作るつもりがない。常に『それで上でやっていけるか?』と日々ハッパをかけ、大学や社会人で通用するように育てている。だから、入学志望者が増える。たとえば、米子ボーイズ出身の森中健太選手は高校3年の夏にベンチに入れませんでしたが、関西学院大学に進学してベストナインを獲っています」(杉本氏)

「勝負事に絶対はない」を想起させるほど強かった

 “長く野球を続けるための3年間”という潜在意識が大阪桐蔭を強くしてきた。他の高校と違い、3年生は夏の大会が終わっても卒業まで練習する。今春巣立った20人は全てプロや大学、社会人で野球を続けている。都市対抗野球では昨年20人、今年27人が大阪桐蔭のOBでともに出身選手の数でトップだった。

「今大会では惜しくも敗れましたが、彼らの野球生活はこれからも続きます。卒業後も見据えた大阪桐蔭で指導を受けてきた選手たちですから、誰も燃え尽き症候群になることもないでしょう。3年生にはこの先の大学や社会人、プロ野球といった舞台で悔しさを晴らしてほしいですね。

 一方、2年生は甲子園で優勝するチャンスが残っている。前田悠伍投手の涙を見ていると、2017年夏の甲子園を思い出します。あの時、福井章吾キャプテンのチームが敗れ、その悔しさを知った柿木蓮投手、根尾昂投手ら2018年世代が春夏連覇を成し遂げた。旭川大高、下関国際の粘りは、いまの2年生たちにとって大きな教訓になったはずです。『勝負事に絶対はない』ということも」

 勝負事に絶対はない――。1つの敗北が言い尽くされた教訓を思い出させるほど、大阪桐蔭は強かった。そのチームに名前負けしなかった下関国際が甲子園の歴史に名を刻んだ。

©Hideki Sugiyama

【プロフィール】
杉本真吾(すぎもと・しんご) 1965年5月5日生まれ、鳥取県出身。米子東で1983年夏に甲子園出場。東京の駿台予備校で1浪後、慶應大学文学部に入学。野球部では4年時に新人戦の監督を務め、優勝。法学部に転部したのち、野球部の助監督就任を要請される。その後、山陰合同銀行に入社。東京支店、米子支店で計6年間働き、1997年から米子東の監督を2年間務める。現在、鳥取で『皆生温泉 芙蓉別館』などグループ5社を持つ『皆生タクシー』の社長。

文=岡野誠

photograph by Hideki Sugiyama