「……杉本さん、なんで気づいたんですか」
 他球団が見落としていた坂本勇人の潜在能力を悟っていた巨人の大森剛スカウトは、慶應大学の先輩・杉本真吾氏の一言に顔を青ざめた――。
 今年も夏の甲子園で熱戦が繰り広げられている。NHKの高校野球解説16年目を迎えた杉本氏に『思い出の試合』を聞くと、「坂本勇人の衝撃ファウル」「馬淵監督との敬遠に対する見解の相違」「野球観を変えた菊池雄星の全力疾走」など意外な場面が飛び出した。
※名前や肩書きは当時。現役選手はカッコ内に所属球団を記載。

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「衝撃でしたよ」

 米子東の監督を経て、2006(平成18)年のセンバツから本格的にNHKで甲子園の解説を始めた杉本氏は大会1回戦、光星学院の坂本勇人(巨人)のバックネット直撃のファウルに度肝を抜かれた。

「次の試合の解説だったので、放送席の前で光星学院対関西を観ていました。そしたら、関西のダース(・ローマシュ匡)投手の直球を、坂本選手が鋭いスイングでバックネットに突き刺さるようなファウルを打った。ものすごい打球で、衝撃を受けました。慌てて、高校野球の雑誌を見たら『青森県ナンバー1ショート』と書いてあった。でも、この選手は『高校球界ナンバー1ショート』だと思ったんですよね」

2006年のセンバツ甲子園でヒットを放つ坂本勇人(巨人)。投手は関西・ダース・ローマシュ匡 ©KYODO

「……杉本さん、なんで気づいたんですか」

 慶應大学出身の杉本氏は、1期下で巨人のスカウトである大森剛に衝撃を伝えた。

「大会期間中、大森と飲んだ時に『俺の目が間違っているかもしれないけど、光星学院の坂本って“高校球界ナンバー1ショート”じゃないか?』と聞いたんですよ。そしたら、『……杉本さん、なんで気づいたんですか』と大森の顔が青ざめた。毎年、センバツの1回戦が終わった後に12球団のスカウトが集まって懇親会をするらしいんですよ。その会で、幸いにも坂本の名前が出なかったんですって。大森は他球団に知られたくないから、夏に出場しないでほしいと思ったそうです。山下哲治スカウト部長に映像を見せたら、『すごい選手見つけたな』と褒められたと言っていました」

大森剛氏の現役時代(1996年日本シリーズ) ©BUNGEISHUNJU

 夏の青森大会決勝で、光星学院は青森山田に4対5で敗れ、坂本は甲子園に進めなかった。大森は9月の高校生ドラフトで坂本を1位に推すも、巨人は愛工大名電の堂上直倫を指名。3球団競合の末、中日が交渉権を獲得したため、外れ1位で坂本を指名した。2年目でレギュラーを奪った坂本は一昨年、榎本喜八に次ぐ史上2番目のスピードで2000本安打を達成。5度のゴールデングラブ賞に輝く“球界ナンバー1ショート”に成長した。

「関西との試合でも、ステップワークがものすごく良かった。ダブルプレーでセカンドベースを踏んでファーストに投げた後、一、二塁間の真ん中ぐらいまで行くんですよ。躍動感があった。守備でも高校球界ナンバー1じゃないかと。坂本の凄さに関しては、偶然気付きました。実際には見落としているほうが多いんですけどね(笑)」

家業は“タクシー会社”…NHK解説が話題に

 杉本氏は、米子東で1983年夏に「3番・捕手」として甲子園出場。1997年3月から母校の監督を務めた。家業のタクシー会社との兼務という事情もあり、2年で退任。その矢先、NHK鳥取放送局から県大会の解説を要請された。結果論ではなく、事前に注意点を指摘する話しぶりが評判を呼び、2002年のセンバツでゲスト解説を務め、2006年からレギュラーに昇格した。

「甲子園は選手にとっての晴れ舞台ですし、今後生きていく上で励みになる。中継を録画して、生涯何度も見るはずなので、大前提として褒めます。たとえば、ピッチャーが2ストライクに追い込んでから1球外した時、『3球勝負した方がいいですね』と言っても、『速いストレートを持っているので』と必ずフォローを入れます」

高校(米子東)時代、キャッチャーだった杉本氏(写真=本人提供)

 何もかもを肯定したら解説にならないが、自らの意見を提示した上で、選手の良い部分にも言及する。もう1つ、杉本氏には高校野球解説者としての信条がある。

「甲子園では大差になる試合もあります。時折、途中であきらめる選手もいるし、気の抜けたプレーが出る時もあります。ただ、やる気なく出場したチームは1つもない。だから、過程を大切にしてあげたい。フォアボールで崩れたピッチャーがいたら、『地方大会では1試合1、2個しか出さないんですけどね』と話します。NHKで長年実況をされた小野塚康之アナウンサーとそう誓いました」

「敬遠」をめぐって馬淵監督と見解が割れた

 解説者として、忘れられない試合がある。2008(平成20)年夏、1回戦で鳴門工(徳島)と本荘(秋田)が当たった。本荘はエースの池田恭介が力投し、8回まで2点に抑える。9回表、本荘は同点に追いつき、8番・池田の右翼越えの二塁打で3対2と勝ち越した。

「池田投手は休む間もなく、肩で息をしながらマウンドに上がり、1死二塁のピンチを迎えました。そこで、本荘は敬遠策を取ったんです。既に170球くらい投げていましたし、バッター1人か2人しか持たない体力になっていた。アナウンサーに『この作戦はありですか、なしですか』と聞かれ、『ありだと思います』と答えました。ゲッツー狙いと考えたんです」

 敬遠後、池田はこの日10個目の四死球を与え、1死満塁と傷口を広げてしまう。その後、連打を浴びてサヨナラ負け。本荘の甲子園初勝利は夢と消えた。

「試合後ホテルに戻ると、ABCで解説をしていた明徳義塾の馬淵(史郎)監督が『勝ち越しのランナーを敬遠で出すなんて考えられない』と話していたと知りました。1つの敬遠に対して、NHKとABCで見解が違った。野球にはセオリーというその場面における最大確率の作戦があるので、解説者の意見はまず同じになるんですよね。私は投手の状態を見て『あり』と言ったんですが、結果的には打たれました」

明徳義塾・馬淵監督 ©BUNGEISHUNJU

野球観を覆された「花巻東の野球」

 全力疾走をしたピッチャーはゆっくり休むべき――。杉本氏は翌2009年の夏、自身の野球観を覆される場面に遭遇する。2回戦で、プロ注目の菊池雄星(ブルージェイズ)を擁する花巻東が横浜隼人と対戦した。1対1で迎えた7回裏、8番の菊池がストレートを捉え、鋭い打球がセンターの頭を越えた。

「三塁まで全力疾走して、タッチアウトになった。2アウトランナーなしなので、私は『菊池投手を休ませるために、次のバッターはできるだけ粘りたいですね』と言ったんですよ。もしかしたら、前年の鳴門工対本荘戦が頭によぎったのかもしれません。ところが、パッとベンチを見たら、菊池投手は休むどころかベンチの最前列で一番大きい声を出しているんですよ。『せこいこと言ったなぁ』と自分を責めましたね」

同年の夏、菊池雄星を擁する花巻東はベスト4進出 ©BUNGEISHUNJU

 間一髪アウトになった全力プレーを称えるように、花巻東のベンチは満面の笑みと大きな拍手で菊池を迎えた。続く9番の佐藤隆二郎が、三塁へのボテボテの当たりで一塁にヘッドスライディングして出塁する。そして、1番の柏葉康貴が勝ち越し2ランを放った。

「花巻東はどんな時でも全力プレーを忘れない。普通の監督なら『ピッチャーを休ませたいから粘れ』と指示しますよ。でも、佐々木洋監督は違うんですね。そんなことは考えずに、甘い球が来たら打てと。相手バッテリーが『振ってこない』とわかったら、簡単にストライクを取ってきますよね。そしたら、不利になってしまう。日頃から、休ませなくてもいいような練習をしているのでしょう。花巻東は、常に最善策を取るための全力プレーを徹底している。それが、大谷翔平選手(エンゼルス)の二刀流につながっている。周りが不可能だと言っても、『全力で取り組めば何でもできる』と考える」

 チームの特徴は一つひとつのプレーに現れる。それは一過性のものではなく、先輩から後輩へ受け継がれ、やがて伝統と呼ばれる。花巻東から二刀流の大谷翔平が誕生したのは偶然ではない。新たな伝説が今日も高校野球から生まれている――。

【プロフィール】
杉本真吾(すぎもと・しんご) 1965年5月5日生まれ、鳥取県出身。米子東で1983年夏に甲子園出場。東京の駿台予備校で1浪後、慶應大学文学部に入学。野球部では4年時に新人戦の監督を務め、優勝。法学部に転部したのち、野球部の助監督就任を要請される。その後、山陰合同銀行に入社。東京支店、米子支店で計6年間働き、1997年から米子東の監督を2年間務める。現在、鳥取で『皆生温泉 芙蓉別館』などグループ5社を持つ『皆生タクシー』の社長。

文=岡野誠

photograph by BUNGEISHUNJU